世界的ヒットメイカーの仕事術とは? ジョシュ・カンビーに学ぶ音楽づくりの最先端

ジョシュ・カンビー(Courtesy of avex)

数多のビッグネームに携わってきた世界的ヒットメイカー、ジョシュ・カンビーが日本のavexからソロデビュー。3rdシングル「Worth Missing」を7月3日に配信リリースした。爽やかな歌声に加えて、楽曲制作やプロデュース、楽器演奏、プログラミングやエンジニアリングまで手がける全方位型のニューカマーは、どうやってその才能を磨いてきたのか。電話インタビューで本人を直撃した。

近年のポップ・ミュージックに親しんでいる人なら、ジョシュ・カンビーの名前は知らなくても、彼の仕事にはきっと触れてきたはずだ。USカリフォルニア州アナハイム生まれのジョシュは、南カリフォルニア大学(以下、USC)の音楽ビジネス・プログラムに参加して一年飛び級で卒業後、ビヨンセも手掛けた名匠トビー・ガッドに弟子入り。マドンナ、クリス・ブラウン、アダム・ランバートといった大物から、NU’EST、BoAや東方神起、テヨン、NCT2018、中国のクリス・リーやJJリンといったアジア圏の人気アクトまで、プロデューサー/作家として幅広く携わってきた。

さらに、ダンス・ミュージックの世界でも名を馳せてきた彼は、ソロアーティストとしては自ら作詞・作曲・プロデュースを手掛け、ギターやキーボードなどを演奏。ストリーミング時代に対応した繊細なポップソングで、持ち前の美声を披露している。もちろん、その実力は折り紙付き。裏方としてキャリアを積み上げ、新しい世界へ飛び立とうとしているジョシュに、これまでの歩みと音楽づくりの哲学、日本との関係、将来の展望などを語ってもらった。


ジョシュの作曲/プロデュース楽曲を集めたプレイリスト。カイゴやギャランティスの名前が示すように、彼はダンス・ミュージックのシーンとも親和性が高い。


自然の成り行きから、ポップ・ミュージックの最前線へ

―まずは、ここまでの経歴について教えてください。

ジョシュ:どこから話そうか。子供の頃はピアノをやっていて、クラシックピアノを習っていたんだ。だけど譜面を読むのがあんまり得意じゃなくて、割と早くからジャズに転向した。ジャズってインプロが主体だから、誰かが書いた曲を譜面で読んで弾く、というのではなく、音楽を感じながら想像力で対応していくって感じだよね。そっちに転向してから世界が開けて、映像に音楽を付けたり……なんてこともやるようになった。それがハイスクール時代の話。で、実はその創作活動もUSCの音楽ビジネスコースへ進学する際の評価の一環になったんだ。

―そもそも音楽に興味を持ったきっかけは?

ジョシュ:子供の頃、父親がボランティアで、教会で音楽を演奏していたんだ。教会でギターを弾く彼の姿はカッコ良かった。そんな父親だから家でもいつも音楽が流れていて、自然と馴染んでいったんだと思う。そこから、自分で作るのが楽しくなって今に至る感じ。


今年2月に発表されたソロデビューシングル「Sound Of Your Name」のMVは、新潟・妙高高原で撮影された

―その頃は、どんな音楽をよく聴いてたんですか。

ジョシュ:ジャズが好きになった頃によく聴いていたのは、デューク・エリントンやジョージ・ガーシュウィン、カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、ルイ・アームストロング……いわゆる音楽の天才、巨匠たち。映画音楽ではジョン・ウィリアムス、ハンス・ジマー、トーマス・ニューマン……その一方で、コールドプレイとかU2、ワンリパブリックなんかも大好きだったし、80年代の音楽もよく聴いてたよ。ティアーズ・フォー・フィアーズとか。家で普段から聴いていたのは、むしろそういう音楽だね。ドラムの音とかタムの音とか、ものすごく大きくてさ!

―80年代ならではのサウンドですよね。そこに気がつくってすごくないですか。10代の子だったらヒット曲を聴いても一緒に歌うとか、そのアーティストの真似をするとかが普通だと思うけど、音の作られ方にそこまで色々思うなんて。

ジョシュ:あはは。割と早くから自分でコンピュータを使ってクリエイトしていたからじゃない? 自分で作る音はこんなにショボいのに、その時代のレコードはなんで音が壮大なんだろう、みたいな。生のドラムの音は知っていたから、それがレコードではこんなに違う響きになるという、その違いが面白いと思った。そこに想像力や芸術性、嗜好やキュレーション、テクノロジーやスキルが働いているわけで。そういうのを(自分の表現に)取り込むのがどんどん面白くなっていったんだ。


自身の影響源をまとめたプレイリスト。ソングライター/プロデューサーとして特に研究した人物として、ワンリパブリックのライアン・テダーを挙げている。「彼らの作品はソングの形をとったポエトリーに近くて、なおかつプロダクションも優れている。プロダクションと歌詞を両立させたバンドって珍しいと思うんだ」

―その後、プロとして活動するようになったのは?

ジョシュ:変な話、いまだにプロの自覚が無かったりするんだけど(笑)。それくらい自然な流れでここまで来てしまって……自分でもどうやってここまできたのかよくわからないんだ。

―なるほど(笑)。

ジョシュ:でも、質問の答えとしては19才からになるのかな。コマーシャルに自分の曲が使われたのが最初だから。「アメリカン・ダンスアイドル」(※)の曲。インターンでいくつかの会社に出入りして、コーヒーを出したりしているうちに、「音楽を作っているんだったら」と曲を聞いてもらう機会が出てきて。気がついたらFOXに採用されて、225ドルの小切手が送られてきた。それが音楽で稼いだ初めてのお金。あの時はびっくりした(笑)。

※FOXテレビで2005年から放送されているダンスオーディション番組(原題:So You Think You Can Dance)

―ちなみに今はおいくつですか。

ジョシュ:僕? 29才。

―お若いんですね。自分で歌うようになったきっかけは?

ジョシュ:あー、それを聞かれると困るんだけど……。

―なぜ(笑)。

ジョシュ:素晴らしいシンガーは最初から歌えるものだし、子供の頃から自分が歌えることを知っていて、スター性も兼ね備えた人が多い。でも僕は全然そういうタイプじゃなかった。教会に通っていたからそこで歌ってはいたし、まったく歌わないわけじゃなかったけど、ポップソングを歌うってなると……もちろん、頑張って上達はしているつもりだけど、スタジオの仕事でアダム・ランバートの歌なんか聴いちゃうとさ。素晴らしい声に自信がなくなるんだよ。


アダム・ランバートが2019年に発表した「Feel Something」で、ジョシュは作曲とプロデュースに携わった

―そこは比べるところじゃないでしょう(笑)。

ジョシュ:さっきの質問に答えると、僕は大学を卒業したあと、プロデューサー兼ソングライターのトビー・ガッドを師匠と仰ぐようになるんだけど、彼はジョン・レジェンドの「All of Me」やビヨンセの「If I Were A Boy」を書いているハンパない人で。彼の現場にソングライターがやってきて、その録音を手伝ったりすることも多かった。

それであるとき、アーミン・ヴァン・ヴューレン(オランダの人気DJ/プロデューサー)がトビーのスタジオにやってきて、ソングライティング・セッションを行なったんだ。でも、アーミンはいわゆるシンガーではないし、その場にいたソングライターも歌えない人ばかりだったから、たまたま居合わせた僕が歌入れすることになった。そうしたら「いい声だからこのまま一緒にやってくれ」という話になり、気がついたら僕はイタリアでMVを撮影していた。それが「Sunny Days」という曲で、ダブル・プラチナムになったり、ラジオで1位になったり……本当に信じられなかったよ(笑)。

―本当に次々と繋がっていくんですね。

ジョシュ:さっき言ったでしょ、自然の成り行きでここまで来たって(笑)。


「Sunny Days」のMVにはジョシュも出演。YouTube再生回数は3800万回を突破

Translated by Kazumi Someya

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