『ノマドランド』クロエ・ジャオ監督、ジャーナリズム精神で社会に寄り添う映画づくり「人間って本当に面白い」

この方法によってジャオは『ノマドランド』に極めて感動的な要素をもたらした。同作の登場人物の中には、ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーの2017年のノンフィクション作品『ノマド—漂流する高齢労働者たち』で取り上げられた人物もいる。それ以外の登場人物は、書籍の映画化権利を購入し、『ノマドランド』のプロデューサーでもあるマクドーマンドとジャオが道中で出会った人たちだ。4カ月間、ジャオがキャスティングと脚本の執筆を急ぎ足でこなすなか、撮影クルーは各々のワゴン車でサウスダコタ州、ネブラスカ州、アリゾナ州、ネバダ州、カリフォルニア州を巡り、行く先々で会った人たちの物語を積み重ねていった。マクドーマンドは、ノマド仲間たちとともにAmazonの倉庫での梱包作業、製糖のためのビーツの収穫、誰もいないキャンプ場のトイレの清掃に携わった。彼らの描写には同情もなければ、ヤラセもない。マクドーマンドが言うように、ジャオは「センチメント(感情)とセンチメンタリティ(感傷的なこと)との間に明確な一線を引いている」のだ。

「私たちは、自分にとっては世界の終わりのような、困難な状況を人生のどこかで経験します」とジャオは『ノマドランド』の登場人物たちについて語る。「闘いを強いられ、ときには自分という存在を見直さなければいけません。私たちを定義づけていたものが失われてしまったから……忍耐力、そして新しい人生と自分を見つけられることは、私にとって人間のスピリットなんです」

マクドーマンドが演じた主人公ファーンは、夫の死と工場の閉鎖にともなう街の経済破綻後の生き方を模索する。無職で家賃が払えない彼女は、ひとりで旅に出る。ファーンはストイックで頑固なまでに自立しているが、温かい心を持つ彼女は優しい存在感を放つ。それは、ジャオが実際のノマドたち、マクドーマンド、さらには自分自身から引き出した特徴の集大成なのだ。

「最初の映画の準備に取り掛かって以来、ずっと移動しながら生活しています。車の中、キャンプ場、モーテルなどですね」とジャオは言う。「ひとりの時間も多かったですし、それがすごく気に入っていました。穏やかさや孤独といった感覚を身につけるのはとても難しいですが、一度できるようになると素晴らしい力になります。それがあれば、たいていのことは乗り越えられますから」


『ノマドランド』フランシス・マクドーマンド(Photo by (C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved.)

ジャオは、子どもの頃からあちこちを転々としてきた。ひとりっ子として中国・北京で幼少期を過ごした彼女は、学校では“問題児”だった。教科書の表紙を破って漫画のカバーにし、授業中にこっそり読んだ。欧米文化に夢中になり、MTVや『ターミネーター』に『天使にラブ・ソングを』といったアメリカ映画を浴びるように観た(それ以来すっかり映画オタクのジャオが筆者とのビデオ通話に使っている背景画像はキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』)。両親はひとつの場所にじっとしていられない娘の性格を尊重し、彼女が14歳になるとロンドンの寄宿学校に入学させた。だが卒業を目前に控えた17歳の頃、アメリカへの憧れが爆発した。ジャオは両親に「ハリウッドサインがある場所に行きたい」と訴え、カリフォルニア州ロサンゼルスの高校に編入した。

「アメリカのことなんて、ほとんど知りませんでした」と、ジャオは声を出して笑いながら言う。「マイケル・ジョーダン、マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス——他のことには無関心でした。どちらかと言えば箱入り娘で、無知だったんです。でも、1999年のロサンゼルスのダウンタウンにティーンエイジャーを送り込むことがどういうことかわかりますよね? いろんな発見をします」とニンマリ笑った。「本当に、いろんな発見がありました」

アメリカという新しい故郷の複雑な社会情勢をジャオがまったく知らないことに気づいた高校の教師が、放課後毎日ジャオにアメリカ史を教えた。その結果、ジャオは政治に強い興味を持った。マサチューセッツ州のアメリカ最古の女子大学である名門マウント・ホリヨーク大学に進学し、アメリカ政治学を専攻した。卒業後は、マンハッタンでバーテンダーとして働くなど職を転々とし、ニューヨーク大学(NYU)で映像制作を学んだ。大平原や山々といったアメリカ西部の大自然に愛情あふれる眼差しを注ぐジャオの作品がこの国の神髄をとらえているのは、自然と湧き出る好奇心と旅への渇望によるものなのだ。それ以外にも、中国出身であることから肩の荷は「いくらか軽い」と言う。「歴史やそれが意味するものなどの重荷が少ないんです。それは私の一部ではなかったから。その結果、より多くの自由を与えてもらっているのかもしれません」

Translated by Shoko Natori

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