甲斐バンド、1974年から1977年までの歩みを振り返る



この曲はシングルチャート7位。本人たちか希望したわけではないでしょうけど、有線放送大賞の新人賞をもらったりしてます。甲斐さんのエピソードは伝説的にいろいろあって、小学校の頃に紅白歌合戦に出場している曲の歌詞を全部暗記していたという歌謡少年でもありました。その一方で、その何倍か洋楽を聴く洋楽少年でした。高校生の時に、ノーマン・ホイットフィールドでCCRのカバーもやったりしていた話もこの後に出てきます。



1975年10月発売のシングル『かりそめのスウィング』。ロックとか歌謡曲ではない、レトロなジャジーさは当時新鮮でしたがヒットしませんでしたね。この時、一番ヒットしていたのがダウンタウン・ブギウギバンドの「スモーキン’ブギ」ですからね。あの3コードのわかりやすさに比べると、この曲はなかなかカテゴライズできなかったということは今ならよく分かりますね。「裏切りの街角」は、誰もが歌える歌謡曲的な一面で、対極的に大人っぽいことをしようとしたのが「かりそめのスウィング 」でしょうね。

冒頭で、甲斐バンドをはっぴいえんどからBOØWYまでの過程の最重要バンドであると話しました。はっぴいえんどは1970年から実質2年半の活動でアルバムも3枚しかない。その中の『風街ろまん』は、あまりにも傑作で史上に残る金字塔だったわけで、あのアルバムがずっと語り継がれるのは当然だと思います。ですが、バンドという集合体の歴史でいうと、その後のロック史で語られるべきものがどのくらいあるんだろうか、と思ったりするんです。どのくらいの期間活動して、何を残したのか? と考えた時に、甲斐バンドは、違う形でもっと語られるべきだろうというのが今月の趣旨でもある。ちょっと偉そうですね。

何が違うかというと、たとえば、『風街ろまん』は松本隆さんの都市幻想みたいなものが彼の言葉によって作り上げられてましたが、甲斐バンドはもっと生々しかった。1970年代の東京とか当時の都会の光と影が、特に2枚目と3枚目のアルバムが脈々と歌われている。そして劇的だった。そこには時代の青春みたいなものがあったことも付け加えなければなりません。例えば次の曲をお聞きいただこうと思います。1976年10月に出た3枚目のアルバム『ガラスの動物園』から「新宿」。

Rolling Stone Japan 編集部

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