デュラン・デュランが語る、80年代が特別だった理由、革新的であり続けるためのバンド論

ダンスミュージックへの興味

ーライブを観に行って、観客の中に多くの若いファンがいるのはワイルドなことです。あらゆる世代がみなさんの音楽を発見しているような気がします。

ニック:それは、バンドとしても望んでいることだ。自分たちが始めた頃は、セックス・ピストルズのキャリアは2年程度、ビートルズは長くても7、8年程度だったから、その先のことは考えていなかった。僕たちも性急なスピード感で活動を送ってきた。そこから40年経った今でも、一緒に仕事をするのが楽しいと思えるのは、全員が満足できるものを見つけることができるからだ。

ジョン:僕らのようなアーティストの音楽を若い人たちに紹介するうえで、ストリーミングは非常に重要だと思う。70年代に音楽を探しに楽器店に行って、ビートルズのアルバムが目に入ったとき、まるで別の時代の遺物のように感じたのを覚えている。(解散から)まだ10年も経っていないのに、まるで骨董品のようだった。でも、ストリーミングによって古い音楽がブランド化され、すべてが現在のものになったことで、若いリスナーはあらゆるジャンル、あらゆる年代の音楽に、より民主的な方法でアプローチできるようになったと思う。

サイモン:誰もが10代のような気持ちで、ビリー・アイリッシュと同じようにジョージ・ハリスン、イーグルス、そしてデュラン・デュランを所有することができる。

ニック:今は、みんなジャンルにこだわらなくなってきていると思う。以前はヘヴィメタルのファン、ロックのファン、フォークのファンといったふうに分かれていた。でも今では、テーム・インパラと並行してボブ・ディランの音楽も好きでもおかしくないし、境界線は見事なくらい曖昧になっている。


Photo by Nefer Suvio

ー昔はとても神経質でしたよね。古い音楽と新しい音楽の違いとか、ジャンルの境界線に対して。

ロジャー:自分たちもすぐに気移りしていた。1978年にはパンクが終わっていたのを覚えている。そこからエレクトロニック・ミュージックのような次のものに向かっていった。当時はトレンドの移り変わりが本当に早かったけど、今は少し変わってきていると思う。

ニック:途中で何を発見するかも重要だね。10代だった頃の僕らに、大のファンク・ファンはいなかったと思う。シックやシスター・スレッジ、ディスコは好きだったけど、スライ&ザ・ファミリー・ストーン辺りは好きではなかった。でも、『Notorious』の前に彼らを見つけて、僕たち全員が大きな影響を与えられた。しばらくの間、この方向性で活動したいとも考えたけど、最初のアルバム何作かを出した頃はそんなことできなかったし、その段階まで届いていなかった。



サイモン:ダンスミュージックは常に存在していたと思う。60年代のソウルからモータウン、70年代のノーザンソウルを経て、90年代にはアシッドハウスやレイヴなどが大々的に取り上げられてきた。

ニック:僕らは最初からダンスミュージックを取り入れてきたけど、それは当時のクールなインディーロックの流れに逆らったものだった。誰もかっこいいと思っていなかったけど、自分たちにとってはピッタリだったんだ。なぜなら、人々に踊ってほしいと思っていたし、(クラブで)毎晩ダンスを見ているような環境にいたから。僕らはその一部になりたかった。

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