米でCD売上が17年ぶりに増加、CDの長所を考えてみた

マニア向けから、広く愛される名盤へ

CDには独特の魅力がある。長尺の音楽にこれほど優しいフォーマットは他にない。CDがあったからこそ、『ペット・サウンズ』『アナザー・グリーン・ワールド』『Heart of the Congos』『アストラル・ウィークス』はマニア向けではなく、広く愛される名盤になった。リー・“スクラッチ”・ペリーがメインストリームでもてはやされるようになったのもCDのおかげだ。CDになる前から有名だった『カインド・オブ・ブルー』のようなLPも、CDで改めて話題を呼んだ。CD時代から生まれた傑作――ディアンジェロの『VOODOO』やレディオヘッドの『Kid A』、ミッシー・エリオットの『スゥパ・ドゥパ・フライ』――も、ストリーミングだったらコケていただろう。

だが、CDはNapster全盛期の後に停滞した。MP3はCDと比べると音は小さいが、便利で(たいてい)無料だった。だが、ここでおかしな事態が起きる。当時ダウンロードした音源は、膨大なデータの山に埋もれてしまったのだ。この時代をエスクァイア誌のデイヴ・ホルムズ記者は、「消された年月」という名言で評した。ホルムズ記者もこう記している。「2003年から2009年の間に購入したものは、充電器が見つからなくなって埃を被ったiPodか、3世代前のMacBookの中に眠っている。カイザー・チーフスの1stアルバムをまるごと購入したにせよ、99セント出して『ライオット』だけを買ったにせよ、もう二度と手にすることはできない」

世間が物理メディアの愉しみを再発見している理由のひとつに、ストリーミングカルチャーはどこか儚いという点があげられる。「所有」する音楽はどれも企業側の気まぐれに左右される。数年前、MySpaceはサイトにアップロードされた楽曲をすべて、ボタンひとつで誤って削除してしまった。おそらく次の標的は写真だろう。

物理メディアはアーティストの稼ぎとも直結する。ここが他のフォーマットよりも秀でている部分だ。廉価で、迅速に生産できる。しかし昨今、アナログ盤に関しては生産工場の不足ゆえに消費者のLP需要に追いつかない状態だ。アナログ盤復活の先陣を切ったのはインディーズアーティストだが、彼らもアナログ供給不足のあおりを受けている。工場側は大手レーベルのヒット曲の合間をぬってインディーズのアナログをプレスするため、アルバムリリースまで1年以上待たなくてはならないことも多々ある。

2000年代、イギリスのNME誌は毎週アンケートを行って、話題のバンドに「アナログ派? CD派? MP3派?」と質問した。たびたび取り上げられるジョークだが、CDを選んだ者はゼロ、9:1の割合でアナログ派だった。たしか1人だけ、Art BrutのメンバーがCDを推していた。だがその本人も「一番好きなジェームズ・ボンドにジョージ・レーゼンビーを選ぶようなものだよね」と認めている。

CDが栄華を誇った時代の音楽セールスが史上最高額に達したのは疑いようのない事実だ。これほど見事にファンから20ドル札をもぎ取るオーディオデバイスは他になかった。今見ても驚くような数の人々が、デジタルディスクを買いに走った。90年代は誰もが「レコードショップ」(大半のレコードショップにはレコードは売っていなかったが、「CDショップ」なるものは存在しなかった)に通いつめ、棚を漁り、なにやら変わったものを持ち帰っては、最後まで聴きとおした。すぐに聴き飽きるストリーミングとは違い、時間と感情のエネルギーを要した。「あっそ」という反応スイッチをオフにして、どんなに奇妙な音も流れるままに耳に入れた。そうやってファンはドイツのサイケデリックや日本のプログレ、西アフリカのスクース、キングストン・ダブにハマっていったのだ。

Translated by Akiko Kato

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