DOPING PANDAフルカワユタカが明かす、バンド再結成秘話

最初は「音源は出したくない」と言っていた

──フルカワさんは、最初は、音源は作るつもりはなかった、ってきいたんですけど。

僕はそうです。ふたりには言わなかったですけど、やっぱり自分の中でプライドがありましたから。俺は音楽をやめずに続けてたんだよ、っていう。レコーディングの環境なんか、ドーパンに比べたら大変で。

──かけられるおカネとかね。

家で相当練習して、スタジオで1テイクでOKできるぐらいに、曲を染み込ませてスタジオに行くわけじゃないですか。そういう苦労もしてきて、曲も書いてきて……バンアパのまあちゃん(原昌和)と書いたり、HAWAIIAN6の(安野)勇太と書いたり、ポリの林くんとか、ベボベ(Base Ball Bear)と書いたり。そこでいきなりDOPING PANDAのアルバムって、おんなじ温度感で作れるかな? っていう不安がありましたね。まだSONYから出せるって決まってなかったし、そういう手弁当な制作になる可能性があったわけで。
それともう一個は、彼らは彼らで、昔と今では違うじゃないですか、マインドが。

──当然そうですよね。

HayatoはHayatoで、チャットモンチーのマネージャーの仕事をしていた中で、一流のドラマーとか、名うてのエンジニアさんと関わって来ただろうし。で、えっちゃん(橋本絵莉子)の歌を聴いてきたわけじゃないですか。そういう中で、Hayatoの哲学なり正義が、絶対できているから。DOPING PANDAの時は、制作においては、言ったらDOPING PANDA教のFurukawa Yutaka教祖がいて(笑)、そこにふたりがエッセンスを入れる、っていうふうにやっていたけど、それはもうできないわけじゃないですか。それができなくて、当時のドーパンを超えるようなものが作れるのかな、っていうのがありましたね。だから、マネージャーにはよく言ってましたよ、音源は出したくないって。Hayatoは最初から、音源はあった方が良いって言ってたけど、僕はそこはかわしてたというか。


3月2日(水)ニューアルバム『Doping Panda』をリリースし、同日に新代田FEVERにて入場者100名限定のキックオフ・ライブを行った(Photo by Rui Hashimoto)

──その気持ちが翻ったのは?

翻ったのは、2021年の夏前ぐらいかな、チーフマネージャーに、「音源作りたくないって言ってるけど、でもこの先さ、ユタカくんがやりたいって言ってる、ACIDMANと対バンとか、(ストレイ)テナーとやるとか、そういう時に、自分らだけ10年以上前の曲だけでやるの? それ、恥ずかしくない? 闘えないよ?」と言われて。それは確かに恥ずかしいな、と思ったんですよ。それは結局、自分の10年のプライドに、逆に泥を塗る行為になるというか。大勢の人が見ていたわけじゃないけど、自分なりにやって来た10年があるじゃないですか。そこにフタをしちゃうことになるな、と思ったんですよ。俺は10年で成長しているんだから、その10年をDOPING PANDAで表現しないといけない。Hayatoとタロティとの温度差はあるかもしれないけど、彼らの10年もそこに落とし込めるようにすればいい、そっちの方が健全だ、と思いました。その時に最初に作ったデモが、リードトラックになった「Imagine」だったんです。

──「Silhouette」は、ソロとして先にあった曲だそうですけど──。

そうです、faniconで発表するのに作った曲です。それは原形で、ドーパンでやるにあたって、だいぶ作り直しましたけど。

──それ以外の、DOPING PANDAの曲を書くということは、スムーズにできました?

はい。まず、Hayatoが叩いてタロティが弾くっていうイメージっていうのが、こんなにもでかいんだ? っていうのは、思いました。実は、ソロの時も試そうとしたんです。ドーパンっぽい曲を求められてるの、わかってたので、メンバーをイメージして書こうとしたんですけど、できなかったんです。

──ああ、なるほどね。

なんか、嘘ついてる感覚になっていくというか。だから、嘘ついてないから、よかったのかもしれない。

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