世界最大のバイカーギャング集団、その創設者が遺したメッセージ

写真中央がソニー・バーガー(Photo by Neville Elder/Corbis via Getty Images)

米国のバイカーギャング集団「ヘルズ・エンジェルス」の創設者、ソニー・バーガー氏が現地時間6月29日に肝臓がんで他界した。享年83歳。彼は生前、Facebookにこう書き残した。「頭を高く上げろ、忠誠心を貫き、自由を忘れるな。そしてつねに名誉を大事にしろ」。文末には、彼が1957年に設立したヘルズ・エンジェルス・モーターサイクル・クラブ・オークランド支部(Hells Angels Motorcycle Club Oakland)にちなみ、「Sonny HAMCO」と署名されていた。

【写真を見る】「オルタモントの悲劇」で観客を叩きのめす瞬間

ヘルズ・エンジェルスは50年代後半から60年代中期にかけて、当時は麻薬の密輸に深く関わり、警察官から反戦デモ隊まであらゆる人々とひと悶着起こすことで有名だった。社会のはみ出し者としてスタートしたが、ハンター・S・トンプソンのゴンゾー・ジャーナリズム処女作『ヘルズ・エンジェルス』が1967年に出版されると、世間の注目を集めた。

「ハンターは俺たちの仲間としてふるまおうとしたわけじゃないと思う。奴には俺たちと住む世界が違うことがつねにわかっていた。中には俺たちの仲間だと勘違いする奴もいるが、そういう奴に限ってトラブルに巻き込まれる」。2007年にローリングストーン誌とのインタビューでバーガー氏はこう語った。

通称「ソニー」ことラルフ・ハバート・バーガー氏は、本の中でも大きく取り上げられた。トンプソンが1年にわたってバイク乗りと過ごした経験を記録したこの本は、暴力沙汰や性的暴行の描写もありながら、ならず者のバイカー軍団の生活を「魅力的」に描ききっていた――「奴は俺たちを、実際の姿よりも美化した」と、バーガー氏はローリングストーン誌に語った。この作品がきっかけでクラブの知名度は上がり、バーガー氏も本の出版後に製作された映画『爆走!ヘルズ・エンジェルス』『Hell’s Angels ’69』などでテクニカルアドバイザーを務めた。

だが、文化的な人気は短命に終わった。1969年12月6日、ヘルズ・エンジェルスは暴力事件の渦中に立たされた。ローリング・ストーンズ主催のオルタモント・フリー・コンサートで、コンサートの非公式な警備係を務めていたヘルズ・エンジェルスのメンバーと観客が衝突し、観客の1人メレデス・ハンターさんが刺し殺されたのだ。ハンターさんはヘルズ・エンジェルスのメンバーの1人に銃を突きつけた、とバーガー氏は主張した。事件の様子はローリング・ストーンズのドキュメンタリー『ギミー・シェルター』にも収められた。



バーガー氏は、悲劇が起きたのは観客がクラブのバイクを破壊し始めた後だったと言い張った。「俺だってやりたくはないが、根が乱暴者なんでね」とバーガー氏。「俺は警官じゃないし、取り締まるつもりは毛頭もない。ただ言われた通り、ステージの前に座って、ビールを飲みながら楽しくやってただけだ。だが、あいつらが俺たちのバイクを蹴り始めたもんだから、おっ始まったんだ」

「ミック・ジャガーは俺たちをカモにしやがった」と、事件の後バーガー氏は不平を漏らした。「俺が知る限り、俺たちはあの間抜け野郎に誰よりも心底のぼせていた」

Translated by Akiko Kato

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