ハドソン・モホークが語る、無邪気で自由なビートメイクとサンプリングの裏側

ハドソン・モホーク(Photo by Jonnie Chambers)

 
ハドソン・モホークが3枚目のアルバム『Cry Sugar』をリリースした。スコットランドはグラスゴー出身のハドソン・モホークは、レイヴとヒップホップを通過した唯一無二のビートメイカーとして2000年代後半に頭角を現わした。UKの名門Warpからアルバム『Butter』(2009年)をリリース後、その複雑怪奇で突き抜けたポップ性は広く認知され、活動の場は一気に拡大。ソロ名義のみならず、トラップ・ナンバー「Higher Ground」でヒットを飛ばしたTNGHTの一員として、あるいはカニエ・ウェストやアノーニ、クリスティーナ・アギレラ、FKAツイッグスらの作品に名を連ねるプロデューサーとして、アンダーグラウンドからメジャーのフィールドまで縦横無人に行き来しながらビートフォームを絶えず更新し続けてきた。

オリジナル作品としてはじつに7年ぶりとなる『Cry Sugar』は、ポップスとしての強度を高めた前作『Lantern』から一転、初期の作品群に感じられた無邪気で自由なイマジネーションが広がっているように感じられ、数秒後に何が待ち受けているのかわからないスリルに満ちた傑作に仕上がっている。ハドソン・モホークが本作で目指したものは何か? その背景に迫る。



―前作から今作に至るまで、7年間もの期間を要したのはどうでしてだったのでしょうか。もちろん多忙を極めていたということも大きいと思うのですが、改めてソロで新作をリリースしようと思い至った経緯を教えてください。

ハドソン・モホーク(以下、HM):今回だけじゃなくて、前回のアルバムも最初のアルバムと7年くらい空いているんだ。1stアルバムは2009年で、2ndは2015年だから、6年だね。前回も今回も、なんでそんなに時間が空いたのかは自分でもわからない(笑)。僕って常に何か他のプロジェクトで動いているし、アルバムをそろそろ作ろうかなって思うのがたまたまその感覚なのかも。良くも悪くも、僕は毎年とか2年おきにアルバムを作ろうとは思わないタイプなんだ。そういう感覚を持ってないというか。僕にとってアルバムは、人には話さないけど自分の頭のなかで考えているものなんだよね。だから、すごくパーソナルなものだし、アルバムを作っている時は、そのためにすべての感情を引き出したいと思う。それって自分を探るってことだからすごく深いところまで自分を掘り下げないといけないし、時間がかかるんだ。しかも、毎年そんなことしたくないしさ(笑)。

―過去のインタビューを振り返ると、『Butter』を出した頃から単なるトラックメイカーでいるのではなく、ハーモニーやコード進行をもっと追求し、より音楽的な曲作りを目指そうという意志があったように思います。それが結実したのが『Lantern』であり、あのアルバムは「作曲」に意識的で、同時にアンダーグラウンドに留まらず外側の世界を向いていたのではないかと思うのですが、そういう認識で間違っていないでしょうか。

HM:あのレコードで結果として起こったのは、すべてがよりシンプルになったことだと思う。あの時は、音楽と人々とコミュニケーションをとるのには、それがもっと効果的な方法だと思ったんだよね。だから、そういうプロセスであのレコードは作られたんだ。でも同時に、それを作りながら、僕自身はもう少し複雑なものの方を好んでいるのかも、ということに気づいてもいた。シンプルな、直球のやり方では、その音が僕自身から出てきているように感じられなくてさ。時に、そのサウンドが自分にとって真のサウンドとは思えないこともあったんだよね。だから、今回のレコードでは、僕自身の中から出てきたサウンドだと感じられるものを作りたいと思った。今回は、「他の誰かのために音をもっとシンプルにしなければ」と思いながら音を作るべきではないと思ったんだ。音を単純化することは決して悪いことではないと思う。でも、自然に生まれたもの、自分に降りてきたサウンドを、毎回シンプルにする必要はないと思った。今回は、その自然の姿のまま、それに無理に変化させることなく、そのまま表現したいと思ったんだ。無理やり音に手を加えているっていうフィーリングを、もう感じたくはなかったんだよね。


ハドソン・モホークの自作曲/プロデュース曲をまとめたプレイリスト

―今回のアルバムではオーケストラルな「Ingle Nook」のような曲もあれば、初期作品に近いプリミティブなダンストラックも収録され、かなり自由な仕上がりになったように感じています。それはどうしてだったのでしょう。

HM:前回のアルバムが出た2015年頃の僕は、少し孤独を感じていたんだ。ツアーも沢山やっていたし、皆が僕に新しい音楽ではなくて同じような音楽を作って欲しい、演奏して欲しいと期待していることがすごく伝わってきてさ。ショーをやればやるほどそれを感じた。でも、それは僕がやりたいことではなかったから、当時はそれに悩まされていたんだ。そこでしばらくショーをやめて、2017年にアメリカに引っ越すことにした。そのあとから、僕が作りたい音楽、僕自身をハッピーにしてくれる音楽を自由に作れるようになったんだよね。ギグからしばらく離れる時間がとれたことはすごく良かったと思う。そして、自分が好きな音楽を作ってアルバムをまたリリースできたことがすごく嬉しい。やっぱり、ひとつのことにとらわれずにそこから離れて時間を過ごすと、人の世界観は広がるものだよね。だから、今回のアルバム制作では、決まったイメージにとらわれず、すごく自由に曲を作ることができたんだ。


Photo by Jonnie Chambers

―2020年のパンデミック突入後、過去のアーカイブ・シリーズが『3PAC』にまとめられました。商業的な仕事も数多く経験した後に、過去作と向き合うことでの発見したことやご自身に変化はありましたか。

HM:ハードドライブやコンピューターに、まだ完全には完成していない音源が沢山たまっていたんだけど、ずっと放置したままになってた。でもコロナが始まって、時間ができたから、その音源すべてを聴いてみることにしたんだ。その中には、ライブで演奏したりラジオでかけたりしたことはあって、皆が耳にしたことはあるけどちゃんとリリースされていないものもあった。そういう曲に関してリリースされないのかずっと皆から質問を受けていたんだけど、僕の中では仕上がっていないトラックだったし、完成することはないんだろうなとずっと思っていたんだよね。中には10年も前に作り始めたものもあったし(笑)。つまり、10年分のランダムな音楽が未完成のまま放置されてたということ。で、今回、新しいアルバムを作り始めるためには、まずこの作りかけの音源たちをなんとかしなければいけないなと思ったんだ。一度それを消化してスッキリしたいな、と。それらの曲を新しいアルバムには収録したくなかった。ニューアルバムには、全て新曲で構成したかったからね。そこで、『3PAC』を作って公式リリースすることにしたんだ。そうすることで、もっと次の作品制作に自由が得られると思ったし。新鮮な気持ちで、一からニューアルバムを作りたかったんだよね。

―2年前に現在のスタジオを構えたことは作品作りに影響していますか。

HM:ここ数年はいくつかのスタジオで作業していたんだけど、パンデミックの間に作業するスペースを購入することにしたんだ。それは自分にとって大きかったと思う。それまで作業していたスタジオはどこも暗くてさ。窓もなかったし、ちょっと気が沈む環境だった。でも僕は、ずっと自然光が入るスタジオで作業がしたいと思っていたし、窓を開けて新鮮な空気が入ってくるような環境で作業がしたいと思っていたんだよね。そこで、自分自身のためにそのスペースを設けることにしたんだ。そうしたことで、とにかくより良い環境を得ることができた。前と比べて、クリエイティブになるためにはすごく良い環境なんだ。

Translated by Miho Haraguchi

 
 
 
 

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