カレンO×ミシェル・ザウナー 韓国系アメリカ人として育った2人のリスペクト対談

 
グラミーとオスカーの思い出、韓国のルーツについて

ザウナー:全然関係ない質問なんだけど、面白そうだから聞こうかな。私たちがグラミー賞にノミネートされた直後に連絡してくれたでしょう、すごく嬉しかった。

カレンO:ああ、グラミネートのことね。

ザウナー:(笑)そう、私たちがグラミネートされた時に思ったんだ、「ワオ、カレンがグラミーに向けて励ましの言葉を送ってくれた。ちょっとおかしなことになるから、心の準備をしていけって言ってる」って。私がもう一人尊敬しているベン・ギバードもすごいことだと言ってた。なにしろデス・キャブ(・フォー・キューティー)がノミネートされた年(2017年)、受賞したのはブラック・アイド・ピーズの「My Humps」だったんだからって。あなたのグラミーの思い出もそういう感じ?

カレンO:私たちは1度だけだね(2004年)。めちゃくちゃ興奮状態だった。親友が自前のミシンで衣装を作ってくれて。超DIYだけど、そこがすごかった。ちなみに私たちの席は最上階で、シルク・ドゥ・ソレイユの空中ブランコがあったのを覚えている。たしかアッシャーが乗ったんじゃなかったかな(編註:実際にはアッシャーは空中ブランコに乗らなかった。乗ってほしかったが)。10分ぐらいいたけど、その後みんなホールに移動した。ホールでみんなでタバコを吸ってる写真が残ってる。「やだ、もう耐えらんない。私たちのヴァイブスと全然違うじゃん」って。

ザウナー:誰が受賞したか覚えてる?

カレンO:さっぱり。

ザウナー:ずっと気にならなかったの?

カレンO:全く。なんにも知らない。


Photo by Kanya Iwana for Rolling Stone

ザウナー:オスカーはどうだった?(カレンOは映画『her/世界でひとつの彼女』でスパイク・ジョーンズと「The Moon Song」を共作し、2014年にアカデミー賞最優秀歌曲賞にノミネートされた)

カレンO:あれはまた違う経験だった。授賞式のなかでパフォーマンスしたからね。おかしな言い方だけど、VIP気分だった。ステージに上がる直前、口の中がカラカラに乾いて……文字通り、水分が一滴も残ってなかった。「しまった」って思ったよ。いざ演奏してみると、レオナルド・ディカプリオが立ち上がって拍手してた。私たちのパフォーマンスで相当盛り上がってたな。

ザウナー:もし誰か一人に好かれたいとすれば、彼でしょ。新しい生活の気分はどう? 今はどんな気持ち? もうどのぐらい経つんだっけ?

カレンO:最後にアルバムを出してから9年だね。今では7歳児の母。そのうちほぼ3年はパンデミックだった。観客とつながるためにも、今年の夏は絶対ショウをやる必要があった。20年近くずっとファンでいてくれる観客のところへ戻っていくとき、感じるものってあるでしょ。向こうもそれが必要だし、こっちにも必要。今はめちゃくちゃ楽しいね。

あなたやリンダ・リンダズとやる公演もすごく楽しみ。「お待たせしました。最後にステージに立ってから、世界がどのぐらい変わったかご覧あれ。ものすごいアジア系アメリカ人の女性が私たちのサポートについてくれました」ってね。私のキャリアではほとんど、そんなことありえなかった。

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カレンO、ミシェル・ザウナー、リンダ・リンダズが共演。今年10月の米ハリウッド・ボウルにて。

─カレンはインタビューでこういう質問をあまり受けてこなかったそうですね。

カレンO:いつも聞かれるのは「女性でいることをどう思いますか?」っていう質問。あの当時はそれが珍しかったの。でも私自身は、アジア系のハーフだってことは面白いと思う。あなたの意見を聞きたいな、最近は韓国がすごく話題になってるでしょ。でも、当時のアメリカで育った韓国系は――韓国の文化全般も――ずっと黙殺されてきた。あまりにも長い間見えない存在だったから、私は今も自分のそういう一面を探している。もう歳だからこういう質問はされないかもだけど、あなたは若いから、もっとピンとくるんじゃないかな。極端なぐらい文化の風向きが変わったでしょう。

ザウナー:そう感じるようになったのは、K-POPやBTSの人気が出てきたこの5年ぐらいかな。今の時代はインターネットの存在が大きいよね。TikTokをスクロールしていくと、ナイジェリアの家族がご飯を食べてる動画が出てくるんだから。監視する人間がいないせいで、今まで見なかったクレイジーな表現が出てきている。今は人種がミックスされているのが最高にクールで、白人でいるのはあまりクールじゃないのかも(笑)。

韓国系であることを恥じたことはないけど、人にある種の固定概念を投影されるのは好きじゃなかった。それって私にはどうにもできないし。周りから従順だとか、なんでも言うことを聞くとか、すごく女性らしいとか思われたくなかった。私の個性はある意味で、これと真逆のほうに変化していった。しまいにはどの部分が本当の自分なのか、それとも単に自分に投影されているものに反抗しているだけなのか、わからなくなった。

『Hマートで泣きながら』もそう。別にアジア系アメリカ人の話じゃなくてもよくない?って感じ。これは母娘の物語であり、大人に成長するまでを描いた物語。突拍子もない言い方をすれば、『ライ麦畑で捕まえて』は白人版の成長物語ってわけ。そういう視点が私にとって重要だとしても、うがった見方をするのはフェアじゃない気がする。

カレンO:アジア系のルーツに対して、たぶん私以上に共感とつながりを感じているんだね。あなたの視点を体感できたのは、とりわけクールだった。

Translated by Akiko Kato

 
 
 
 

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