ジャイルス・ピーターソンが自ら解説、ストリート・ソウルという80年代UKの音楽遺産

 
ストリート・ソウルとアシッド・ジャズの関係

―ストリート・ソウルは日本のリスナーにとって馴染みの薄い概念かもしれません。どのようなジャンルだったのか、あなたの言葉で説明してもらえますか?

ジャイルス:ストリート・ソウルというのは、ブリット・ファンクに似ているところが少しあって、アメリカン・ソウル・ミュージックのイギリス版といったところだね。中にはレゲエ/ラヴァーズ・ロックっぽい感じのするものもあった。だからレゲエのアーティストがストリート・ソウルの曲を作ったり、アメリカの有名な曲、例えばルーサー・ヴァンドロスやシスター・スレッジの曲のレゲエ・バージョンやUKバージョンなども出ていた。

ストリート・ソウルのムーブメントから誕生した代表的なグループといえばルース・エンズだ。その後に、ソウル・II・ソウルが登場した。彼らはサウンドシステムやレゲエ、アメリカのソウル・ミュージックと密接な関係があった。それらの要素を取り入れて、イギリスらしいスタイルに変換させたんだ。彼らのサウンドを聴けばそれが明確に表れているよ。それからTR-808という初期のドラムマシンを使っていたのも特徴だ。ドラムマシンが入っていて、105BPMくらいで、アメリカのソウル・ミュージックを解釈した感じかな。

悲しいことに、ノエル・マッコイという素晴らしいイギリス人シンガーが先週(11月3日)他界した。彼はマッコイ・ファミリーという家族のメンバーたちと「Family」という曲を出していて、この曲は当時のストリート・ソウルを象徴するレコードだと思う。イギリスでしか人気が出なかったレコードだよ。当時のアメリカにとっては、ラフで荒削りすぎたんだ(too raw)。ミーシャ・パリス(Mica Paris)はストリート・ソウルの素晴らしいシンガーだし、今では国際的に有名なジャズシンガーになったクリーヴランド・ワトキスもストリート・ソウルから始まった人だよ。




―では、後のアシッド・ジャズやUKソウルの出発点にストリート・ソウルがあったということですね?

ジャイルス:そうだね。その過程を遡っていくとブリット・ファンク以前は、ザ・リアル・シングやサイマンデ(Cymande)といったグループがいた。それから、エディ・グラントが所属していたイコールズなど、ファンク〜ソウル〜レゲエをやっていた黒人グループたちだ。彼らはブリット・ファンクの誕生を一部担ったと言ってもいい。だが、ブリット・ファンクはDJカルチャーを取り入れていた点が今までのスタイルとは大きく違った。DJとバンドが共存し、それぞれの力が一つになった初めてのムーブメントだった。

そして、ブリット・ファンクの次に来たのがストリート・ソウルとUKソウルだと思う。そこからレア・グルーヴ、そしてアシッド・ジャズへと続いていった。アシッド・ジャズからはブラン・ニュー・ヘヴィーズやジャミロクワイ、ガリアーノなどが誕生する。そこから現代まで早送りすると、エズラ・コレクティヴ、ココロコ、サンズ・オブ・ケメット、コメット・イズ・カミングなど次世代のアーティストにまで繋がっている。それが大まかな過程だね。




ジャイルスが選曲したストリート・ソウルのプレイリスト

―新作『STR4TASFEAR』に収録された「Night Flight」について、資料ではトータル・コントラストに言及されていました。ブルーイが80年代半ばに関わったストリート・ソウルのグループですよね。彼はこのジャンルにおいてどんな貢献をしたのでしょうか?

ジャイルス:ブルーイと僕が仕事をする際は、いつも僕がプロジェクトとして音楽的に成し遂げたいコンセプトを彼に提案している。ストラータの1stアルバムの時は、ブリット・ファンクの比較的荒々しい部分を表現したいと思っていた。

今回のアルバム制作においては、僕が参考用に聴かせたレコードに対して、ブルーイは少し驚いていた。彼がプロデューサーに転身して、トータル・コントラストのようなグループを手がけていた時期を思い出させるようなレコードが入っていたからね。彼はあの頃レゲエにも携わり、マキシ・プリーストのレコードも手がけていた。

僕がブルーイに参考用として持ってきたのは、サンパレスの「Rude Movements」というレコードだった。エレクトロ・ソウルのインストで、マイク・コリンズというプロデューサーが手がけたものだ。マイクは機材開発もするエンジニアだったから、ドラムやドラムマシンのプロデュースもやっていた。そして、ブルーイは当時からマイクと知り合いだったんだ。マイクはすでに亡くなっているんだけどね。

「Night Flight」はサンパレスにインスピレーションを受けているというか、僕たちなりのマイク・コリンズや「Rude Movements」に対するトリビュートなんだ。サンパレスのレコードはアメリカのアンダーグラウンド・クラブでも大ヒットしたんだよ。ラリー・レヴァンやフランソワ・Kなどがみんなかけていた。だからこそ、僕は「Night Flight」のような曲を今作の一部として加えるのは重要なことだと思ったんだ。





―トータル・コントラストがヒットしていた80年代半ばといえば、ワーキング・ウィークがアルバムを発表したり、あなたが「Special Branch」「Talkin’ Loud and Saying Something」といったイベントを開催したり、アシッド・ジャズに繋がる動きが出てきた時期でもありますよね。

ジャイルス:全てはムーブメントとして起こっていたものだけど、ワーキング・ウィークはちょっと違うかな。彼らはストリート・ソウルではないしね。ただ、彼らはシンガーのジュリエット・ロバーツをストリート・ソウルのシーンから引き抜いて、自分たちの音楽に参加させたから、何かしらの繋がりはあったと思う。当時のイギリスの才能あるソウル・シンガーならストリート・ソウルのシーンにいただろうし、そこが歌い手にとっての成長の場でもあったんだよ。



ワーキング・ウィーク加入以前のジュリエット・ロバーツを、ルース・エンズがプロデュースしたストリート・ソウル「Ain’t You Had Enough Love?」

―あなたはジャズやアシッド・ジャズに傾倒していた時期だと思いますが、ストリート・ソウルもDJでよくプレイしていたんですか?

ジャイルス:もちろんだよ! ソウル・II・ソウルくらいまでのストリート・ソウルはかけていた。それに、オマーの「There is Nothing Like This」をリリースしたのは僕だからね。あれはストリート・ソウルとアシッド・ジャズの架け橋になった名曲だね。ミーシャ・パリスの「I Should’ve Known Better」も大ヒットした曲で、これは僕が手がけたコンピレーション(『Sunday Afternoon at Dingwalls』)にも収録されている。

ソウルは昔から僕のプレイリストの大きな一部だった。Kiss FMや海賊ラジオでDJをしていた時も、ジャズとソウルをミックスしていたから存在感は大きかった。それにレゲエも少しミックスしていた。Studio Oneやオーガスタス・パブロのようなルーツレゲエをね。そしてモーダル・ジャズ、ディープ・ジャズ、エルヴィン・ジョーンズとジミー・ギャリソンの「Half And Half」や、ユセフ・ラティーフの「Brother John」、ファラオ・サンダースの曲など。こういう音楽はソウルともミックスできるし、一部のハウスともミックスできるからね。だからストリート・ソウルも僕のDJにとっては大事な要素だった。ほんの一部のクラブに出るときを除いて、ジャズだけをかけるということはしてこなかったよ。

例えば、(カムデンのクラブ)Dingwallsでは非常に多岐にわたる音楽をかけていた。ミーシャ・パリス、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、フランキー・ナックルズ、ア・トライブ・コールド・クエストもしくはデ・ラ・ソウルなど。DingwallsでDJしたことで僕の多彩なレパートリーが培われたんだと思う。とにかくソウルは僕にとって昔から重要な存在だったし、今でも重要だ。だから今でも、エリカ・バドゥやソランジュといったアメリカのソウル・シンガーたちとの繋がりがある。僕はクエストラヴやルーツ、Qティップなどと交流があったから。彼らのようなアメリカのヒップホップやソウルのグループの音楽をイギリスでかけていたのは僕らだけだったからね!




―オマーは今回の新作で「Why Must You Fly」に参加しています。彼がボーカルではなく、シンセサイザーで参加していたのが意外でした。

ジャイルス:たくさんの人にそれを言われるんだ(笑)。僕にとって、オマーは素晴らしいプロデューサーであり、見事なマルチ演奏者なんだ。「Why Must You Fly」を作っていた時、特有のシンセの音を必要としていた。つまり、オマーのサウンドが必要だったんだよ。ボーカルで参加してほしいわけではなかった。彼のボーカルはもちろん素晴らしいけど、才能あるシンセ演奏者としての彼をハイライトしたかったんだ。


Translated by Emi Aoki

 
 
 
 

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