U2やボウイを撮った写真家が語る、アーティストの「神話」彩るビジュアルの役割

1970年代当時は、アルバムジャケットの限界というものが存在しなかった

ーインタビュー映像は、監督の写真と似ています。サイドから撮られた厳格な白黒のポートレート写真のようですね。

みんな年老いた力強い顔ばかりだからね。こうした撮り方を唯一拒んだのがポール・マッカートニーだった。ポールのインタビュー映像が他のとは少し違うことに気づいてもらえると思う。これがその理由なんだ。

ーソーガソンは2013年に他界しました。生前は、会う機会はありましたか?

なかった。だから私は、このドキュメンタリーが主観的になりすぎることを懸念していた。デザインというよりも、ポーの視点を拠りどころとすることが多かったから。ストームのアーカイブ映像や過去のインタビューにおいても、ポーが現在の視点から私たちを導いているような印象が拭えないんだ。だからこそ、ストームについていろんな意見や印象を持っている人をたくさん登場させるようにした。彼らのおかげで、ストームの人物像のようなものが浮かび上がってきた。

ー具体的には、どんな人でしたか?

正真正銘の面倒なやつ(笑)。そして天才。面倒な天才。素晴らしいアイデアは、すべてストームから生まれた。実際、映画を観た人は好印象を抱くと思う。ストームと確執を抱えていたロジャー・ウォーターズでさえ——亡くなる前にふたりは仲直りしたのだが——「ストームのことがずっと大好きだった」と言っていた。ストームは周りの人を苛立たせたけど、彼らはストームを深く愛していた。ピーター・ガブリエルもそのひとりだ。彼らは、ストームのこうした性格がその天才性と表裏一体であることに気づいていたんだ。

ーヒプノシスのレガシーやジャケット制作についてパウエルと話したことで、こうしたジャケットのアートワークとご自身の関係性、そしてアルバムの楽曲との関係性はどのように変化しましたか?

そうだな……情報があまりに多いと、なかには消えてしまう魅力もある。自分なりの解釈はあるけれど、それはあくまで理想化されている。人は知識を得ることで夢を失う。だが私は、それを受け入れることにしている。実際私たちは、これらのアルバムがつくられた背景や“本当の意味”が何かを知ることで、別の視点からこうしたものを見ているのかもしれない。それでも私は、いまでもこれらのアルバムが大好きだ。アートワークもそうだ。ヒプノシスのストーリーを知ったいまも、彼らのアティテュードを愛していることに変わりはない。彼らは自分の直感を信じていた。当時はクレイジーな時代だった。1970年代当時は、独創性という意味でも金銭面でも、アルバムジャケットの限界というものが存在しなかった。

ー当時は、ロックスターのアルバムジャケットをデザインすれば、ロックスターのような生活ができたわけですね。

残念だが、私はそうした生活を手に入れるには、はじめるのが遅すぎた(笑)。でも、1970年代後半には、いくつかのレコードのスリーブを手がけた。ほとんどがオランダのアーティストのものだが。

ー劇中では、パウエルとソーガソンの関係性が描かれています。それは友情のようにも感じられます。その一方で、それぞれがまったく別の性格の持ち主だったこともわかります。ヒプノシスは、ふたりの個性が生み出すほどよい独創的な摩擦に支えられていたのでしょうか? ヒプノシスがこれほど長く活動できた理由もそこにあるのでは?

ポーとストームはまったく違う性格の持ち主だったが、ふたりともきわめて野心的だった。ヒプノシスがビジネスとして成功した背景には、ふたりの野心があったと思っている。どちらもやる気に満ちていた。私の印象としては、ポーの方は大金持ちになるといつも意気込んでいたのに対し、ストームの方はポーよりも金に無頓着だった。当時のポーの生活には、いささか犯罪的な要素があった……。思うに、ポーは時おりそうした要素を強調していた気がする。「1960年代のロンドンは無法地帯だった」とポーは言っていたから、ひょっとしたらポーもその一員だったのかもしれない。

ー劇中でノエル・ギャラガーが引用した「レコードは貧乏人のアートコレクション」という言葉は最高ですね。

あれは名言だ!

ー名言すぎるあまり、ノエル本人も自分の言葉だと思い込んでいるようです。

あまりに素晴らしいから、そう思うのもわかる。(笑)

Translated by Shoko Natori

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