16歳のトランス女性刺殺事件、追悼集会で怒りと悲しみが噴出 英

ジャイさんの死とマスコミの報道に対する怒りは、イギリス国内外に痛みと傷を呼んだ――ちょうど同じころ、アメリカのメディアもトランスジェンダーから槍玉に挙がっていた。アメリカの場合、ニューヨークタイムズ紙が掲載したトランスジェンダー問題の記事について、ジャーナリストと有名人がそれぞれ公開書簡を同紙に送った。それをきっかけに、出版社、スタッフ、読者の間で今も議論が続いている。公開書簡が送られた翌日、ニューヨークタイムズ紙が「J.K.ローリング氏を擁護する」と題した論説記事を掲載すると、読者の怒りはさらに激化した――その少し前に、イギリス人作家はトランスジェンダーに対する意見がもとでナチス呼ばわりされたとして、俳優のJJウェルズを訴えると脅していたようだ。

イギリス人ジャーナリストでpodcast「What the Trans?」の司会者ミシェル・スノウ氏によれば、こうした痛みや怒りを背景に、ジャイさんを偲ぶ追悼集会は1週間足らずで50近くも企画されたという。2月8日、同氏も参加したロンドンの集会にはざっと見て数千人は集まったそうだ。「悲しみと怒りがない混ぜになっていました」と同氏は言う。「追悼集会であり、同時に抗議デモでもありました。大勢の人がブリアナ・ジェイさんの悲劇的な死を話題にしていましたが、意地悪なメディア環境や、政治家の悪意を指摘する人も大勢いました」。

スノウ氏に言わせると、こうした集会はトランスコミュニティが10年近く抱えていた、政府やプレスの扱いに対する怒りと失望感の現れだという。「ああいう報道にはさほど驚きません。私が2015年に今の活動を初めてからずっと、イギリスのメディアがトランス問題を報じる時はいつもあんな感じですから」と同氏は言い、podcastを始めたのは洋服の交換会を話題にするためで、「絶えず全国レベルの集団パニックを起こす」ためではない、と皮肉交じりに付け加えた。

一方ジャイさんの友人は、彼女の死を悼みつつ、自分の身の安全も案じている。「この数日は夜通し泣きっぱなしです。もう安心して家から出られません」とケンジーさん。「ブリーの死を聞いた時、すぐにママのところに向かって、『この先どうすればいいんだろう』と言ったのを覚えています。もうトランスジェンダーとして表に出ることは無理な気がします。本当に安全なのかしら?」 こう感じているのは彼女だけではない。トランスジェンダーの若者をサポートする慈善団体Mermaids U.K.の広報担当者いわく、1週間でホットラインへの相談電話が31%も増えたという。

ジャイさんはイギリス国内外でトランスジェンダーの若者の英雄的存在となったものの、友人たちはブリアナ・ジャイさんの本当の姿を騒動に埋もれさせたくないと感じている。ティーンエイジャーが興奮したときにありがちなように、彼女たちは思い出話を次々語ってくれた。ヴィヴィアンさんとジャイさんがFaceTimeで体操の練習をして、リンゴジュースを一気飲みし、大笑いした時のこと。TikTokでジャイさんの下手くそなバク転を見たロシェルさんが、涙が出るほど笑ったこと。アイスクリームを食べながら、トランスジェンダーとして生きる辛さをどれだけ語り合い、アドバイスを交換し合ったことだろう。いつの日か、いじめっ子のいない場所で対面する計画を立てながら。

15日の夜、ヴィヴィアンさんはマンチェスターの追悼集会で、電飾や祈りのキャンドルに囲まれながらスピーチした。ジャイさんのメイク術や誰もがうらやむ豊かな髪を振り返ると、観衆から笑いが起きた。集会でのトランスジェンダー擁護の演説や、「統計」、暴力や殺人についての話題には心を揺さぶられなかったとも白状した。「殺された人としてじゃなく、ブリアナをブリアナとして覚えていてほしいんです」と彼女は言う。「ごく普通の生活を送っていた10代の女の子として記憶に残してあげたい。彼女にはたくさんの夢がありました。とてもきれいで、面白い人でした。私は彼女の美しさやユーモアを覚えていたい。彼女は殺人の犠牲者としてじゃなく、ブリーという1人の人間として記憶されるべきです」。

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from Rolling Stone US

Akiko Kato

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