独占エド・シーランの告白 親友の死、うつ病、依存症、自身の闇と向かい合った先の音楽

「僕が知ってる年配のロックスターはみんな、酒かドラッグに溺れてる。僕はそのどちらにもなりたくないんだ」
– エド・シーラン

実際には、もうすぐ32歳の誕生日を迎える現在の彼は、そういった親近感の湧く容姿ではなくなっている。髭が大人の男性の魅力を演出し、フェイスラインは頬骨がくっきりと浮かび上がるほどシャープだ。その引き締まった見た目の理由について、彼はポーチに転がっている一組のダンベルを指差して、毎日1時間かけてウェイトリフティングをしているからだと教えてくれた。近視の改善のために最近レーシックを受けた彼の瞳は、無数の生命を育む深海を思わせるディープブルーで、赤毛との鮮やかなコントラストを生み出している。

「子供たちはエドが大好きなの。彼の顔って特徴的だから」。キャラメル色のフレームの眼鏡の奥にあるヘイゼルカラーの瞳が印象的なシーボーンはそう話す。知性と逞しさが滲み出ているかのような彼女は、これまでに数十億回再生されている「Shape of You」のインスピレーション源でもある(彼女は5月3日にDisney+で公開される彼のドキュメンタリーシリーズ『Ed Sheeran: The Sum of It All』で、シーランとのエピソードについて語っている)。

シーランの友人でコラボレーターのテイラー・スウィフトは、数年前の本誌の取材で彼に対し「キャロル・キングとしての私にとってのジェームス・テイラー」という最大級の賛辞を送っている。彼女の『Folklore』と『Evermore』でコラボレートし、Red(Taylor’s Version)』に収録された2人の共作「Run」のプロデュースも手がけたデスナーは、スウィフトの提案でシーラン自身の作品にも携わることになった。シーランの音楽がクールでないという見方について、デスナーは「くだらない」と一蹴している。「彼は素晴らしいソングライターだよ」と彼は話す。「僕は彼のマジックを目の当たりにしたんだ」

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シーランは『–』で新たなファンを獲得することに期待しているものの、ヘイターを味方につけようとは思っていない。「これまで僕の音楽にまるで興味のなかった人々、あるいは僕をジョークのパンチラインにしている人たちから『これまでよりかはマシじゃん』なんて言われたとしても、それは僕にとって何の意味もないんだ」

エド・シーランはまた涙を流している。だが今、彼は喜びを覚えている。悲劇から1年が過ぎた今でも、彼は痛みを忘れてしまいたくないのだという。「まだ終わりにしたくないんだ」と彼は話す。「できれば話したくないけど、目を逸らすのは…」。瞳が充血し、顔全体を紅潮させている彼は、思いを言葉にするのを躊躇っている。

去年の2月20日、イギリスの音楽業界でその名を知らぬ者はいないと言われた若き起業家のジャマル・エドワーズは、コカインの摂取が引き起こした不整脈によって、31歳という若さで急逝した。親友である彼が立ち上げたYouTubeチャンネルSB.TVに取り上げられていなければ、自分の今のキャリアはなかったかもしれないとシーランは話す。エドワーズの最後のInstagramのポストは、親友に向けたものだった。「エド、誕生日おめでとう! 君と出会えたことに心から感謝している。いつからなのか思い出せないほど、長い付き合いになったね。これからも素晴らしい活躍で僕らを刺激してくれ!」

シーランとエドワーズがグライムのトラック「Burst Da Pipe」でヴァースを交換し、互いにプッと吹き出す古いYouTubeクリップを見れば、2人の距離感が伝わるはずだ。シーランは最近発表した彼のトリビュート曲「F64」で、「恋人同士だと思われていた僕らは、世間知らずのブラザーだった」とラップしている。「この業界じゃ有名な噂だったんだ」とシーランは話す。「それを僕が知ってることに気づいてた人はいないだろうけど。噂が立つのも無理はないけどね、僕は彼の部屋で暮らしてたんだから」

18歳の頃、ロンドンで寝床を探していたシーランはエドワーズの家に泊めてもらうことになった。「随分長いこと居座ったからね、恋人同士だと思われても仕方ないよ。昔は一緒にホリデーに出かけたりしてたしね」。エドワーズの死を知る前日の夜、シーランはスウィフトとジョー・アルウィンと一緒にディナーをとりながら、翌日に予定されていた動画の撮影について、エドワーズとテキストを交換していた。「その12時間後には、彼はこの世からいなくなってた」と彼は話す。

2022年の2月は、シーランの人生において最も辛い1ヶ月だった。エドワーズの死の直前、当時妊娠6ヶ月だったシーボーンが癌に冒されていることが発覚したが、手術は出産後まで待たねばならなかった。計画分娩についても検討したものの、彼女はジュピターを予定通り出産し、シーランがウェンブリー・アリーナで演奏した6月30日の朝に手術を無事に終えた。「僕にできることは何もなかった」と彼は話す。「無力感に苛まされたよ」。またその月、彼は「Shape of You」が盗作であると訴えられ、「泥棒や嘘つきだと罵られながら」身の潔白を証明しようとしていた(彼は勝訴している)。

エドワードの死に深く傷ついた彼は、負のスパイラルに陥った。「僕は親友を亡くしたんだ」。今回の取材で初めて、彼はそのことに触れた。「あまりに早すぎた」。自分の中に広がっていくものが、やがて鬱をもたらすことに彼は気づいていた。「鬱は過去にも何度も経験してた」と彼は話す。「でもそれをはっきりと自覚したのは、去年が初めてだった」

彼が初めて鬱を経験したのは小学生の時だった。多くの笑顔で彩られるべき日々は、彼に残酷なトラウマを残すことになった。「スポーツにすごく力を入れている学校に通ってたんだ」と彼は切り出した。「僕は赤毛で、大きな青い眼鏡をかけてて、吃音症だった。鼓膜に裂け目があった僕は、運動することができなかったんだ。その時点で、僕はもうすでに仲間外れにされてた。その頃の記憶は封印したつもりだったけど、実際には今でも拘っているんだと思う。君のような人と会ったり、ステージに立って脚光を浴びたいと思うようになったのは、当時の経験が関係しているのかもしれない」

エドワーズの死(と他の様々な不運)の直後、シーランはまた友人を失うことになる。3月上旬に、オーストラリアを代表するクリケット選手のシェーン・ウォーンが急逝した。シーランは過去に経験したことのある感情が、自分の中に広がっていくのを自覚していた。「生きていたくない、そう思った」。声を震わせることなく、彼はそう口にした。「これまでの人生で、何度も頭をよぎったことだよ。大きな波に飲まれて、溺れかけているような感じ。どんなにもがいても、水面には手が届かない」。そういった思考がもたらす悪影響に拍車をかけたのは、恥という副作用だった。それ自体が「自分勝手」に思えたと彼は話す。「父親なら尚更ね。僕はそれを、ものすごく恥ずべきことだと感じた」

その状況に気づいたシーボーンは、シーランに助けを求めるよう促した。生まれて初めて、彼はセラピストを探し始める。「この業界の人間は、自分の胸の内を他人に明かしたりしないんだ」と彼は話す。「イングランドでは、セラピストにかかることは普通じゃないと思われてる。誰かに話を聞いてもらって、罪悪感を覚えることなく、抱え込んでいるものを吐き出すのって、すごく大切なことだと僕は思う。自分がすごく恵まれてることはよく自覚している。だから友人たちから『そんなに悪くないだろ』って言われることは理解できるんだ」

イギリスではセラピーに対する懐疑的な見方が残るのに対し、アメリカではセラピーを奇跡的な万能薬のようなものだとみなす若者も多く、「セラピーを受けない男性は、文字通り世代を代表するポップスターになる」という(セラピーに懐疑的な男性による有害な行為をテーマとする)ミームが話題になるほどだ。シーランにとってもそれは有益だったが、問題を根本的に解消するものではなかった。「セラピーを受けたからって、何もかもが簡単に解決するわけじゃない」と彼は話す。「ネガティブな感情は常にどこかに潜んでいて、いつも目を光らせてなきゃいけないんだ」

話しながら、シーランは右手首につけた緩いシルバーのチェーンを頻繁に引き上げていた。去年はほぼ常に、彼は2つのゴム製のリストバンドを身につけていた。ひとつはエドワーズの葬式の場で配られたものであり、もうひとつの「Don’t fuck up」とプリントされたものは、2021年に逝去したオーストラリアの音楽業界の要人マイケル・グディンスキが使用していたものだ。去年のクリスマスに、シーボーンはシーランへのプレゼントとして、ジュピターとライラの名前が内側に刻まれたブレスレットを贈った。今年の元旦に、シーランはリストバンドをブレスレットを付け替えた。「あの2つを外して、家族の絆の証であるこれをつけることに、象徴的なものを感じたんだ」

シーランにはもうひとつ、長年セラピーがわりにしてきたことがある。それは作曲という行為だ。事前の計画通り、2011年以降に発表された彼のアルバムのタイトルにはすべて数学記号が用いられているが、5作目にして最後のシンボルとなる『–』の構想は随分前から存在していた。余分な装飾を削ぎ落としたシンガーソングライター然としたアルバムという、自身のルーツに根ざした作品を「完璧なものにする」ために、彼は10年以上の歳月を費やした。去年の早い段階で、それは既に完成していた。しかし、5月にリリースされる『–』は、そのレコードとはまるで異なるものだ。

2021年末、スウィフトにコラボレーションを促されたシーランとデスナーは、ニューヨークにある寿司屋で夕食を共にしていた。デスナーはシーランに、「もっと君の脆い部分を曝け出すようなものが聴きたい」と伝えたという。それからほどなくして、デスナーは歌メロと歌詞以外は仕上がったインスト曲をシーランに送った。

悪夢のような日々が続くなかで、彼は曲作りを始めた。「ギターはほとんど弾いてなかった」と彼は話す。「でもインストのトラックがいくつか手元にあって、僕は車の後部座席や飛行機の中で、それに乗せるメロディと歌詞を書いた。そして気づいた時には、このレコードが完成してた。自分でも驚くくらいのスピードだった」


SWEATSHIRT BY SAINT LAURENT. T-SHIRT BY PRADA. BRACELET BY WILD FAWN. RING: SHEERAN’S OWN.

多くの人々と同様に、シーランもデスナーがプロデュースしたスウィフトの『Follore』と『Evermore』が大好きだという。その真似をするようなことは絶対に避けようと意識しながらも、流れに身を任せ、感じたままをスピーディに曲にさせるというデスナーのアプローチは両者のセッションに共通していた。シーランはこれまで、コラボレーターと同じ空間でアイデアを交換するというやり方を基本としていた。対照的に、デスナーから送られてきたトラックは細部まで作り込まれていた。「『あとは君の思いを言葉にするだけだ』って言われているようだった」と彼は話す。「これらの曲はどんなフィルターも介していない。リリックの手直しも皆無だった。『Folklore』と『Evermore』の魅力は、頭に浮かんだ言葉をそのまま書き出したようなストレートさだと思う。『自分が誰かのベッドの下で眠っている古いカーディガンのように感じた時、あなたは私を身にまとって、私はあなたのお気に入りだと言ってくれた』っていうラインは、他人が意見を挟む余地がないくらいにパーソナルだ。だから素晴らしいんだよ」

Translated by Masaaki Yoshida

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