独占エド・シーランの告白 親友の死、うつ病、依存症、自身の闇と向かい合った先の音楽

(話題になったデュエット写真について)「ビヨンセは世界最高のパフォーマーで、僕はいつもTシャツ姿の兄ちゃんさ」 – エド・シーラン

アコースティックギターのストラムと、デスナーらしいリッチで膨張していくようなコードが印象的な殺伐としたオープニング曲「Boat」は、シーランのヒーローのひとりであるシンガーソングライターのダミアン・ライスを彷彿させる(デスナーが提供したトラックはピアノとドラムが基調となっていたが、シーランは曲にする過程で生々しいギターソングへと変容させた)。「癒えない傷はないと誰もが言う でも僕の傷は癒えないかもしれない」。そう歌うシーランの声は、かつてなく哀愁を帯びている。「押し寄せる波は僕のボートを壊せない」。バラード「Life Goes On」で、シーランはエドワーズに直接呼びかける。「君がいなくなっても 人生は続いていくみたいだ/僕は沈んでいく 石になったかのように」

打ち込みのハイハットが軽快さを演出するミッドテンポの「Dusty」は、ライラと一緒にレコードを聴くことを毎朝の習慣にしているシーランが、ダスティ・スプリングフィールドの『Dusty in Memphis』を聴いた時に感じたことを形にしたものだ。「感情を掻き乱されていたあの時、僕はひどく落ち込んでいた」と彼は話す。「それでも、朝になれば愛する娘と一緒に幸せな時間を過ごす。夜にはベッドで涙を流し、朝になるとまた娘に微笑みかけるっていう両極端の連続だった」

ピチカートのリフを基調としたファーストシングルの「Eyes Closed」は、サビで1オクターブ上がるというシーランらしい曲展開を見せる。「僕は目を閉じたまま踊ってる/どこを向いても君の姿が消えないから」。しばらく寝かせていたポップでストレートな失恋ソングのリメイクである同曲は、彼のトラウマとそれがもたらした悲劇をダイレクトに描く。「こんなひと月になるなんて思いもしなかった/心の準備なんてできるはずがない」

『–』には14曲が収録されているが、シーランとデスナーのコラボレーションはそこで終わらなかった。ハッピーすぎるという理由で収録を見送られた3曲について、シーランはそれが別のレコードの一部であることを悟った。「2つの異なるレコードを作っていたことに気づいたんだ」。そう話す彼は、デスナーと共にアルバムをもう1枚作り上げた。既にミックスの段階にあるものの、そのレコードがいつ発表されるかは未定だという。彼は事を急くつもりはない。「あのレコードには何のゴールも設けていないんだ」と彼は話す。「ただ発表できればいいと思ってる」

シーランは別のカテゴリーの記号を用いたアルバム5枚の構想を練っているものの、それが何の記号であるかは明かそうとしない(少なくとも記事にさせる気はない)。そのシリーズの最終作となる予定のアルバムを、シーランは長い年月をかけながら、一筋縄ではいかないものにするつもりだという。「不定期に曲を追加しながら、僕の人生が完璧だっていう誤った認識を正すアルバムを、じっくりと時間をかけて作りたいんだ」と彼は話す。「それが僕の死後に発表されるよう、遺言書に書いておくつもりだよ」

5万人の観衆の前に立つ直前に彼が必ず行うようにしていること、それは特筆すべきことではない。Tシャツとショーツ、腕時計にスニーカーという普段の格好から、ほんの少しだけシャープな服装に着替えた後は、鏡の前で外見をチェックすることも、櫛で髪をとくことさえもなくステージへと向かう。喉のウォームアップさえなしだ。ショーがある日の朝もいつもと変わらないテンションで目覚め、普段と同じ口調でオーディエンスに語りかける。彼のペルソナは、ペルソナと呼ぶほどのものではない(ゴージャスな衣装に身を包んだビヨンセと普段着のエドの有名なデュエット写真を思い浮かべてほしい。「あれは僕らの基本的な違いを象徴してるよね。彼女は世界最高のパフォーマーであり、僕はいつもTシャツ姿の兄ちゃんさ」)。

取材初日の翌日の午後5時、オークランドのEden Park Stadiumでのショーを3時間後に控えたシーランはまだ自宅におり、ドアを開けたままのパティオのエントランスから差し込む夏の日差しを浴びながら、子供たちと一緒に木製の円形テーブルでディナーを取っていた。「最高の1日だねって、さっきチェリーと話してたんだ」。ジュピターの口元にスプーンでライスを運びながら、シーランはそう話す。「今日は朝からずっとこんな感じで過ごしてたんだ。ツアー先でも家族と一緒に過ごせるっていうのは、本当に素晴らしいよ。前回のツアーでは朝の7時までパーティして、夕方の4時まで寝て、起きたら演奏するっていうサイクルの繰り返しだった。当時は26歳だったからね、ライフスタイルが変わるのは自然なことだよ」

愛車のSUVで自宅から20分の距離にある会場まで向かう途中、徒歩で同じ場所へ向かうシーランのファン数十人を見かけた。ラジオからは、彼がジャスティン・ビーバーに提供したスマッシュヒット「Love Yourself」が流れ始める。同曲は彼が作ったトラックを、ビーバーのヴォーカルに差し替えただけのものだという。複数のバリケードを通過して敷地内に入ると、脇には地元のラグビーチームのロッカールームが見えた。シーランの楽屋は大きく、白のカーテンで彩られた空間の中央にはクリーム色のソファが置いてあり、子供たちが来る場合に備えて、部屋の一角には豪華なプレイエリアが用意されている。ほどなくして、アルミホイルで覆われた日本そばと野菜のディナーが運ばれてきた。今回の取材中に彼が食事をとる時は常にそうだったのだが、シーランは同じものを筆者にも用意してくれた。こういった気遣いをしてくれるセレブレティは数少ない。

ショーが始まるまでの空き時間に、シーランは部屋の隅にあるロードケースの中に入っていたワイヤレスのサウンドシステムを使って、いくつかの未発表曲を聴かせてくれた。様々なスタイルが入り混じった楽曲のストックの膨大さに驚いた筆者は、それがドッキリなのではないかと疑ったほどだ。「本当に把握しきれないくらいあるんだ」と彼は話す。インスピレーションの訪れを待つのではなく、常に何かを作り続けることが彼のやり方だという。「『Shape of You』を書いた週は、全部で25曲作った」と彼は話す。だが現在ほど、仕上がりに満足している曲を豊富にストックしている状態は初めてだという。手元にある分だけで、数年分のリリースを賄えるはずだと彼は推測する。「クリエイティビティがいつ枯渇するかは誰にもわからない」と彼は話す。「たとえ曲が書けなくなったとしても、少なくとも蓄えは十分にあるんだ」

最初に聴かせてくれたのは、デスナーとの2枚目のアルバムに収録される浮遊感のあるバラード「Magical」だ。「恋に落ちた時の感じるこの気持ち」と彼は歌う。「それは魔法のようなもの」。「Solsbury Hill」のハッピーなムードを連想させる、シングルカットされそうなデスナーとの別の共作曲では、彼は悲しみを思い浮かべながら「土曜の夜はストロボライトに頼りたくなる」と歌っている。同じくデスナーがプロデュースした「England」は、ブルース・スプリングスティーンに通じるアッパーなトラックだ。

当日明らかになったことだが、彼はレゲトン界のスーパースターであるJ・バルヴィンとのコラボレーションアルバムを完成させている。数年前にとあるホテルのジムで偶然一緒になったシーランとバルヴィン(彼はホゼと呼んでいる)は、去年スタジオ入りして作品を仕上げたという。アルバムはいつでも公開できる状態にあり、ミュージックビデオも撮影済みらしいが、具体的なリリース予定は立っていない。アフロポップとレゲトンを繋ぐようなトラックでは、バーナ・ボーイをゲストに迎えている。バルヴィンが手がけた別のトラックはダディ・ヤンキーをフィーチャーしており、シーランは2人のラップのヴァースの間に挟まれるフックを歌い上げている。かと思えば、よりゆったりしたテンポのレゲトンのトラックでは、彼はスペイン語でラップしている。「僕が英語で書いた歌詞を、彼らがスタジオで訳してくれたんだ」と彼は話す。さらに、ファレル・ウィリアムスとシャキーラとのコラボレーション曲が存在するという。それだけでも驚きだが、シーランは彼女の次回作に曲を提供することになっているらしい。

続いて聴かせてくれたのは、シーランが驚くべきスピードでラップするグライムのトラックで、同じくエドワーズの友人であるイギリスのラッパーDevlinとヴァースを交換している。「ケンドリック・ラマーが言ったように、このシットはタダじゃない」とシーランはラップしている。「レイヴ好き向け」のドラムンベースのトラックは、デヴィッド・ゲッタがプロデュースした「夏のバイブス」のパワーを讃えるトラックと一緒に、両A面シングルでリリースすることを検討しているという。同じくゲッタがプロデュースした、いかにもラスベガスで受けそうなEDM風のトラックも聴かせてもらったが、シーランがパスしたため、ゲッタ側は他のヴォーカリストを探しているようだ。

ポール・マッカートニーがドゥー・ワップに挑戦したかのような「Amazing Daughter」というトラックは、ライラが生まれた時に音楽の世界から引退し、父親業に徹することを真剣に考えていた頃に書いた最初の曲だ。前作からのアウトテイクで、個人的にもとても気に入っているものの、どういった形で発表すべきかを決めかねているという。

ナッシュビル滞在時の空き時間に、フロリダ・ジョージア・ラインと一緒に書いたブロ・カントリーのパロディめいたトラックについて、シーランは「狙いすぎ」という理由で却下されたのだろうと推測している(「僕の首は今も赤く、空は今も青い。僕のトラックは今でも大きくて、僕の大切な人は今も君…僕らがここに住んでいるのは、中央アメリカでの暮らしが大好きだから」)

ベニー・ブランコとのコラボレーション曲も印象的だったが、それ以上に驚かされたのはシーランとビーバーがデュエットするパワーバラードだ。超一流プロデューサーのアンドリュー・ワットとの共作である同曲は、ビーバーの次回作に収録される予定だという。

さらに、『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』の新シーズンのために彼が書き下ろした曲も存在する。「聴いてみるかい?すごくいい出来なんだ」と彼は話す。「僕らは瓦礫の中から這い出して、宇宙の星々にその名前を刻む」という歌詞と「フッフッフー」というコーラスは、クリス・マーティンも真っ青の出来だ。「痛みを知ったからこそ、今の喜びがある/愛は美しいゲーム」

「ごめん」。曲が終わると、シーランは理由もなく誤った。「これじゃまるで曲ハラスメントだね」

シーランが最も信頼するコラボレーターのひとりである、スノー・パトロールのギタリストのジョニー・マクデイドは、ジャンルの壁を軽々と飛び越えるシーランの作風に、とうの昔から慣れているという。「ソングライターっていうのはアンテナのようなものだ」と彼は話す。「アンテナの周波数帯域の広さにもよるけど、キャッチした何かで自分をジャンルフィケーションしようとする。エドのアンテナの帯域はものすごく広いから、ありとあらゆるものがインスピレーションになり得るんだよ」。しかしマクデイドは、彼の器用さは軽薄さと混同されるべきではないと主張する。「彼は曲を作る時はいつでも、それが生まれて初めて書く曲、あるいはキャリアの最後を飾る曲のつもりで臨んでいる。彼のアプローチの核は、いつだって誠実さと純粋な好奇心なんだ」


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ショーの開始が迫り、シーランは来ていた服(マーティ・マクフライモデルのナイキのスニーカーを除けば、昨日とほとんど同じ)を脱いで、黒のボクサーブリーフの上にステージ衣装を身に着けた。記事にしないことを条件に、彼はオーディエンスの波をかき分けて中央のステージにたどり着く秘密の方法を教えてくれた。その先にはヨット程度の大きさの回転式ステージがあり、現在は金属製のケージのようなもので覆われている。それはスクリーンに映し出されるカウントダウンの終了と同時に、シーランをステージ上に送り出す仕組みになっている。その瞬間を3分後に控えていながら、彼は信じられないほど落ち着いており、サウンドエンジニア(通称ノーマル・デイヴ、クルー内のもうひとりのデイヴと区別するためにそう呼ばれている)と祝杯をあげる約束をしている。カウントダウンが90秒を切った時、シーランは筆者にマイクスタンドのそばまで行って、ステージからの光景をこの目で見るよう促した。そのケージの中からは、ラグビーのフィールドから後方のスタンド席までを埋め尽くした無数の観客が見えた。彼はループペダルとギターだけを手に、5万人の聴衆の前に立とうとしている。その事実を認識しているとは思えないほど、彼は落ち着き払っていた。

「40秒!」ステージマネージャーの警告を受けて、筆者がステージから駆け下りると同時に、シーランはステージに上がった。コンサートが定刻通りに始まり、ゆったりとした曲が流れるなか、スマホを掲げて合唱しているオーディエンスに向かって、シーランはいつものようにループペダルがどのような働きをするのかを説明し始めた(最近のショーでは、ステージ脇に控えたフル編成のバンドと一緒に数曲を披露している)。そして彼は、MDMAでのトリップ体験を歌ったムーディーな2014年作「Bloodstream」を弾き始める。バスドラムがわりの打撃音とリズムを刻むアルペジオのループを重ねて曲の土台を組み上げていくなか、オーディエンスのテンションは急激に上がっていく。しかし、ショーの開始から3分が経過した時点で、高波のようなノイズが音楽を覆い尽くした。シーランは演奏を中断し、一旦ステージを降りた。再びステージに上がった彼が演奏を再開した1分後、再び雑音の波が彼を襲う。ノイズが響いては、シーランがステージを降りるというプロセスが繰り返され、彼のプロダクションチームの誰もが冷や汗をかき始めていた。

最終的に、シーランはノイズの原因がループペダルであり、当日のコンサートでは使用できないことを観客に説明した。彼は歌とギターだけに徹し、セットリストには含まれていなかった数曲を含む全7曲で当日のショーを終えた。いくつかのヒット曲にはカフェ映えしそうな親密なアレンジが施され、「Bad Habits」での炎を使った演出はややコミカルに映った。ショーの最後にステージから放たれた花火はいかにも場違いで、シーランは苦笑を抑えきれない様子だった。

オーディエンスにとっては驚きに満ちた体験であり、以降数日間、オークランドの街角ではそのコンサートの話題で持ちきりだったに違いない。シーランの世代のアーティストで、これほどのピンチを切り抜けられるアーティストなど、他にどれくらいいるだろう。

バックステージでのシーランは、やはり動揺を隠せない様子だった。「やれやれ、最悪だよ」。そう言って、彼はため息をついた。その日自分が成し遂げたことを、彼は誇りに思ってはいないようだった。彼の頭にあるのは、観客が払った金額に見合う体験を提供できなかったという悔しさだけだった。「ものすごくやるせなかった」と彼は話す。

彼はその問題を解決するようチームのメンバーに念押ししながらも、ステージ上でもバックステージでも、八つ当たりするようなことは決してしない。「誰かに怒鳴ったって、何も解決しない」と彼は言う。「チームの誰もが、常に少しでもいい仕事をしようと頑張ってる。なのに誰かが怒鳴り散らしたら、全体の士気を下げるだけだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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