家の外で母がダンスのレッスンに送ってくれるのを待っていると、最初のツイートが流れてきた。「マディソン・ビアーの裸写真が欲しい人は、フォローとDMをよろしく」
始まった。一度も会ったことのない、赤の他人の手に動画が渡ったのだ。しかもフォロワーと注目集めに動画を利用されている。
すぐにそのユーザーにメッセージを送り、懇願した。お願い、ツ
イートを削除して、誰にも送らないで。お願いします、子どもだからバカな過ちを犯してしまったの。
即座にユーザーからブロックされた。今となってはフィードも更新されない、何の変哲もないページを茫然と見つめた。手の施しようもなかった。
ダンスの練習中、ついに動画がネット上に出回った。誰かがVineに投稿し、TwitterやInstagramでもすでに取り上げられていた。何度もシェアされ、しまいにはトレンド入りするほどだった。携帯を開くとメッセージが山のように届いていた。私は泣き崩れた。
人生が終わったように感じた。頭に浮かんだのは、中学校の時に受けたインターネットの安全に関する授業のことだけだった。授業を担当した司書さんがインターネットの危険性について警告し、不適切な投稿――酔っ払った時のツ
イートなど――をすると、将来雇用主の目に留まって雇ってもらえなくなりますよ、と説得した。
私のケースと比べたら、そんなの可愛いものだ。
私は携帯に釘付けになったまま、スタジオの床で泣きじゃくった。動画がどんどん拡散されていくのをただ見守るしかなかった。どのコメントにも、お前は最悪な人間だ、これでキャリアも終わりだ、両親はさぞ娘が恥ずかしいだろう、などと書かれていた。人々は私の身体を批判し、いちいち欠点をあげつらった。この時初めて、この状況から脱け出すには――これを終わらせるには――命を絶つしかないと感じた。
辱めは増す一方だった。ツ
イートの内容は、事情を知った両親やマネージャー陣のから言われたことと同じだった。みな私に腹を立て、私を恥ずかしいと感じていた。両親に真実を打ち明けたことだけで十分心苦しかったが、チームをがっかりさせたと知った時には胸が痛んだ。15歳にして、私は自分の犯した過ちでキャリアや将来を棒にふっただけでなく、チームで頑張っていたみんなの評判も損ねたのだと思い知らされた。
とにかく部屋に閉じこもって、布団の中に隠れていたかった。鏡で自分の姿を見るのも、服を着替えることすらも嫌だった。
犯されたような気分だった。周りの人間全員が怪しく思えた。たとえ際どい写真や動画でなくても、私の素材をネットに投稿する人が他にもいるんじゃないか? 友達とのお泊り会で1度だけタバコを吸ったことがあったが――もし誰かが動画を撮っていたらどうしよう? 誰も信用できなかったし、誰も助けてくれなかった。誰も私の言い分を聞こうとしなかった。なんということか、私はたった10秒の動画1本で人生をダメにしてしまったのだ。
その後のことはなかなか思い出せない。だが憎悪に満ちた無数のコメントは一字一句覚えている。私は現実社会よりも、携帯に張り付いて過ごすようになった。
MATTHEW PRIESTLY*