ノエル・ギャラガーが語る『Council Skies』誕生秘話、ツアーの展望、春にこだわる理由

 
「人生はルーレットのようなもの」

―『Who Built the Moon?』のリリースから6年が経ち、その間にはコンピレーション『Back the Way We Came: Vol. 1 (2011–2021)』しか出していませんでしたね。この4枚目のアルバムは、新たな始まりのように感じますか。

ノエル:たしかに、新しいスタートのようなものだ。ベスト盤でバンドとしての第一段階に区切りをつけたからね。それに、このアルバムでは初めて全曲が新曲なんだ。前はあちこちから何かしら引っ張り出してたけど、今回の曲は全部、コロナ禍による9カ月のロックダウン中で書いたものでね。しかも、次のアルバムとその次のアルバムの分まで! 30曲くらいかな、マジで山ほど。

普段なら自分のアルバムが完成すると、少なくとも一気には聴き通せないものだ。いつも1曲か2曲飛ばしたくなるんだけど、今回は違うんだ。ボーナストラックでさえもイケてる!



―ロンドンの北部に自分のスタジオを持ったことは、どれほど影響していますか?

ノエル:スタジオは最高だ。音が本当に優れている! 作り始めたのは2018年で、今とはまったく違う時期だっただろ。コロナが流行り出したときには、スタジオの準備はほとんどできていて、2021年1月にようやく完成。初めてスイッチを入れ、うまくいくかどうかを待つーーあれは興奮しまくる瞬間だったね。。だけど、一番最初に自分の曲を演奏したくなかった。ガチガチに緊張してたんだよ。だから、ボーナストラックにも入ってるジョン・レノンの「Mind Games」を演奏した。そしたら、すげぇ、やべぇ、ものすごくいい音がした! ファック、やっぱりうまくいきそうだ! こんなお金の使い方に越したことはない!と思った。

―スタジオを「Lone Star」(孤独の星)と呼んでいるみたいですが……。

ノエル:そう、俺の性格によく合っているんだ。「Lone Star Studio」でググったら意外と何も出てこなかったから、飛びついたんだ。

―その一方で、ストリングスはアビー・ロードの方で録音されましたよね?

ノエル:ああ、単純に「俺ならできる」からね! このチャンスを活かさないのは愚かなことだと思った。数日間、アビー・ロードで過ごすことができるのは光栄なこと。もちろん、ストリングスを俺のスタジオで録る手もあったが、アビー・ロードのほうがもっと楽しいし、音質もたまらない。



―その豪華さにもかかわらず、非常に要領を得たアルバムに仕上がっているように思います。

ノエル:ちょうど42分だったと思う。10曲入りにはバッチリだ。こんなに上手くいったのは初めてだ! 俺はまだまだ絶好調にやってる。それってマジでファッキン半端ねえよ! 歳をとった今、そう実感できるのはとてもいい気分だ。正直なところ、ほとんどのソングライターが55歳で傑作を生み出すわけではないことを知っている。だからすごく嬉しいし、この状態が続くことを願っている。

―『Council Skies』というタイトルは、ざっくり言うと「公営住宅の上に広がる空」という意味ですよね。それは、ノエルさんにとって何を意味しますか?

ノエル:タイトルは友人(ピート・マッキー)の本からとったんだけど、そこには公営住宅や労働者階級などのイラストが描かれているんだ。後に「Council Skies」になる曲を作っていた時に、極めて重要な部分の歌詞がどうしても浮かばなくて、何もかもがうまくいかなかった。それである日、家でくつろいでいた時、コーヒーテーブルの上にあの本を見つけたんだ。俺は、ちょうどバイパス手術で入院していたその本の作者である友人に電話した。彼にとっての"council skies"とは、絵に使っている「空の青色」だと話してくれて、俺はその発想が気に入った。アルバムカバーの写真は、マンチェスターにある住宅街だけど、そこにかつてメイン・ロード・スタジアムがあって、オアシスもライブしたことがある。それでいきなり、全てがうまく収まった。「コンセプト」とまでは呼べないが、つじつまが合った素晴らしいナラティブだと思う。



―ノスタルジーに浸ることなく、自分のルーツを祝福することはできますか。

ノエル:ノスタルジーって俺は好きじゃない。もちろん、過去を美化するのは簡単だ。だけど、俺は今を生きることが好きなんだ。といっても、最新アルバムの曲はコロナ禍の最中に作ったものだから、かなり内省的だけど。あのときは特にやることもなく、自分と向き合い、思案にふけるくらいしかできなかったからね。おかげで、自分は今までこのような状況を経験したことがないのだと痛感した。当時はコロナ禍の展開も予測不可能で、未来がどうなるか誰も分からなくて、とにかく不安だった。しかも、四六時中ずーっと自分の家でぼーっとするだけだから、現在についての曲も書けなかった。だから、アーティストとしてできたことは、自己の内面を見つめ、どうして今ここにいるかを考えることだけだったし、曲にもそれが反映されているんだ。

―そのタイトル曲では、人生は予測不可能だと歌っていますが、まったくネガティブに聞こえません。以前、ノエルさんはよく「変化が嫌いだ」と強調していましたが、もしかして……その考えは変わったのでしょうか?

ノエル:(笑)人生は予測不可能であるからこそ素晴らしいだろ! もちろんだ! 詰まるところ、次のセリフは 「You could win or lose it all.」(勝つこともあれば、すべてを失うこともある)だろ。人生はルーレットのようなものだと思う、まあそれほど残酷なものではないかもしれないが。でも、人生の何年かを左右するような決断をしてしまうことはあり得る話で、その決断で最強か大惨事な数年間になるんだ。作曲中に、人生がいかに予測不可能であるかを考えていたとき、2人の友人のことも思い出した。一人はゴリラズのメンバーのジェイ・シャロック、もう一人はビーディ・アイにもいたジェフ・ウートン。時々飲みにいく仲間なんだけど、もし5年前、行きつけのバーで2人と飲んでいるときに「もうすぐパンデミックが起こるよ、女王が死ぬし、すべてが変わる、全世界がすぐにひっくり返る」と言われたとしたら、俺たちは絶対に「Fuck off!」と答えただろう。その一方で、10年後に俺たちがどうなっているか、誰も予見することはできない。これが現代だ。昔は違っていたと思う。人類の行く末は常に予測不可能だけど、すべてを勝ち取ることと、すべてを失うことは、いつも紙一重だった。俺はそれが好きなんだ。

―ですが、自分自身の決断ではどうにもならないことが多く、パンデミックの時も、相対的に見て誰もが無力でした。

ノエル:それはそうなんだけど、じゃあ自分ならそれにどう対処するかってことだろ。パンデミックが起こったとき、多くの人が非常に悪い反応を示した。俺の周りにも、発狂して今日まで立ち直れていない人がいた。そして、くだらない陰謀論の登場。マジで神経を逆撫でされたよ。コロナ禍の日々なんて存在しなければよかったと思うほど、大嫌いだった。もし、時間を戻すために全曲を手放さなきゃならないのなら、絶対手放す! だって、個人的にはコロナ前の方が生活が充実していたからね。

でもまあ、自分の家にある小さな書斎でたくさん作詞に没頭することで乗り切った。俺の「小さなオフィス」でね。そこで、消えてしまったものすべてを探し求めた。そうやって、「Trying To Find A World That's Been And Gone」という曲が生まれた。「We're Gonna Get There In The End」も、そしてこのアルバムに収録されている他の曲も全てそうだ。



―「Dead To The World」はみんなのお気に入りのようですね。ノエルさんは?

ノエル:うん、確かにキラーチューンだね。今の時代、何がヒットするかまったくわからないけど、可能性がある曲は相変わらず本能的に感じることができる。ギターコード2つで「これはいける」っていうのがわかるんだ。“君に歌を書いてあげる、そう長くはかからないよ”(I'm gonna write you a song/ It won't take me long)という歌詞の誕生は、数年前のアルゼンチンでのある日に遡る。俺が泊まっていたホテルの前で若者たちがいろんな曲を演奏していたんだけど、歌詞を全部間違えて歌っていたんだ。ちょっと待てよ、何か相応しいもんを書いてやろう!と思った。その時のことを振り返ったら、突然、スムーズに出来上がった。そういう瞬間が好きなんだ。新曲が偶然な流れで出来上がっちゃうってこと。「Dead In The Water」もそうだったし、「The Dying Of The Light」も、「If I Had A Gun」もそう。それより前の「Live Forever」や「The Masterplan」もそうだ。ああいうビッグチューンは、本当に簡単にできた。そういうのって直感的にわかるコツがあるんだ。なぜって、もう何度も見てきたからね。もちろん、どれほど素晴らしいアイデアだとしても、ちゃんと取り組まなければならないけど、平凡なアイデアほど長くはかからない。平凡っていうより、「普通に上等なアイデア」としようか(笑)。

Translated by Jennifer Duermeier

 
 
 
 

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