ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの関係、『コンサート・フォー・ジョージ』という特別な夜

ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン、1971年のバングラデシュ・コンサートにて(Photo by Getty)

 
ジョージ・ハリスン(George Harrison)生誕80周年に当たる今年、映画『コンサート・フォー・ジョージ』が7月28日(金)より東京・TOHOシネマズシャンテ他にて日本ではじめて劇場で上映される。2002年の歴史的トリビュート・コンサートで音楽監督を務めたのは、ジョージの長年の友人だったエリック・クラプトン。ここでは音楽評論家・大鷹俊一に、二人の関係を軸に『コンサート・フォー・ジョージ』の見どころを解説してもらった。


もしジョージ・ハリスンがいなかったらとしたらビートルズの歴史はまったく違っていただろう。いや、ジョンとポールの才能を考えたら“両雄並び立たず”の例にもれず、もしかしたらデビューすることなく解散していたかもしれない。

もしジョージ・ハリスンがいなかったらアーティストが主導するチャリティやエイドといったイベントが、これほどポピュラーになることがなかったかもしれない。それほどジョージがラヴィ・シャンカールから訴えられたバングラデシュの救済を目指し1971年に企画、実現した『バングラデシュ・コンサート』は社会的に大きなインパクトを与えたし、ボブ・ディランを始め多くの参加アーティストたちにとっても特別なものとなった。



そして、もしジョージがいなかったら、あのエリック・クラプトンの名曲「いとしのレイラ」や「ワンダフル・トゥナイト」は生まれなかった。ビートルズ初の主演映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』に出演していたモデル、パティ・ボイドにジョージは一目惚れし1966年に結婚。その後、70年代前半に二人の心は離れ離婚へと向かう。その頃ギターを媒介に交流を深めていたクラプトンとジョージだったが、そのうちクラプトンはパティに惹かれるようになりジョージも祝福して79年に結婚となる。そんなクラプトンのストレートな思いを書いたのが「いとしのレイラ」であり、結婚後ポール・マッカートニー主催のパーティに行く彼女の身仕度を待つ間に書いたのが「ワンダフル・トゥナイト」だった。


ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン、1985年に撮影(Photo by Dave Hogan/Getty Images)

他にももしジョージがいなかったら、との問いを続けていくとキリがないが、それが嘘ではないのを見せてくれるのが今回初の劇場公開される『コンサート・フォー・ジョージ』だ。2001年11月29日、肺がんと脳腫瘍のため、わずか58歳で亡くなってしまったジョージを悼み、一周忌にあたる2002年11月29日、ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールで仲間たちが集まったコンサートで、翌年にはパッケージ化されファンを喜ばせてきた。そしてさらに大きなプレゼントが届けられることになったのが、生誕80周年を記念し初の劇場公開、しかも開催20周年記念で妻オリヴィアと息子ダニー(歳を取ってさらに父親そっくりになってる)のメッセージがついたバージョンでの公開となる。

当然ながら音、映像共にハイクオリティにリマスターされており、出演者が非常に多く、また興味深い選曲や演奏の多い映画が最高の状態で楽しむことのできるものとなっている。コンサートを音楽面で仕切ったクラプトンとジョージの関係を軸にちょっと掘り下げてみよう。

 
 
 
 

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