「ジャズの世界は狭すぎるし、アメリカは根本的に間違ってる」シオ・クローカーがそう語る真意とは?

「ジャズを学校で教わることに意味を見出せなかった」

―でも、「ジャズ」もしくは「アメリカの文化」について書かれてるものには、「ジャズはアメリカが生んだオリジナル・アートフォームであり、アメリカにとって大事なもの」だと必ず書かれていますよね。

シオ:そういったテキストを書いている人たちが「ジャズ」を大事にしているのは確かだと思うよ。それは僕も同意する。書くことや研究することは彼らにとっても仕事だしね。さっき学校の話でウィントン・マルサリスの名前を出したけど、彼がやっていることのすべてが悪いって言ってるんじゃないんだ。レガシーとかヒストリーって部分でいえば、彼のやってることは確かに素晴らしいし、それらに関してすごく詳しいと思う。でも、今の音楽に関しては彼らは何もやってないよね。つまり、そこでのジャズは古い音楽としてのみ重んじられているってこと。70年代や80年代のフュージョンに関しては、彼自身もよくわかっているんだろうと思うよ。だけど、彼らが現在の音楽について書いていることは彼らの意見でしかなくて、事実かどうかは怪しいところだよね。ブルーノートやヴィレッジ・ヴァンガードに行くと、お客さんはかなり年齢が上の人たち、もしくは観光客って感じで、実際に学校でジャズを学んでいる人たちが聴きに行っているかっていうとそうでもない。その感じもなんだかなって思うよ。

―アメリカにとってジャズはレガシーでしかないと。

シオ:それに、「ジャズ」が二次的なものとして扱われている。遡ってみてもセロニアス・モンクでさえビートルズのカバーをオファーされたことがある。例えば、ビートルズにルイ・アームストロングのカバーを提案するか? ドレイクにマイルス・デイヴィスのカバーを提案するか? ジャズはずっとそんな扱いだった。拒否すると契約を切られたりね。「ジャズ」はずっと昔から過去のものとして扱われてきたんだ。






今年5月、ブルーノート東京にて(Photo by @ogata_photo)

―確かに、ジャズは他のジャンルと比べて、いまだにスタンダード曲やカバーを取り上げることを求められがちですよね。ところで教育の話でいうと、「ジャズがごく少数の大学で教えられるカリキュラムになってしまった」ことについて、あなたは以前から言及してきましたよね。

シオ:いいところも悪いところもあるよね。でも、俺は10代のころからジャズがやりたいと思っていたし、何があっても止められる人はいなかったと思う。そういう意味では、学校という存在も自分にはそんなに関係ないものだった。

そういう場所に行くことで、同じような志を持っている人と出会うことの良さはあったよ。ただ、僕の場合は大学のカリキュラムで学ぶというよりもゲイリー・バーツみたいな先人から直接話を聞いて、彼らからいろんなことを学んで、そこから自分なりのものを作り上げていった。そういう機会に恵まれたから、僕は大学とは違う学び方をしてこれたんだよね。

大学で教えている人たちは、要するに教えることのプロだったり、研究のプロであって、その音楽を演奏して生活をしている人たち、もしくは音楽を作ることで生活している人ではないから、そういう人たちから教わって何を得られるのかって疑問は常にあった。もちろん、知識や情報を学校で得ることはできるんだろうけどね。

こんな話ばかりしていたらヤバイかなって気がするけど、今後の対話の糸口が開けるかもしれないから、やっぱり言いたいことを言っておくか……(笑)。

―どうぞ(笑)。

シオ:僕は学校ではあまり学んでいないけど、ディーディー・ブリッジウォーターのバンドに入れてもらって、ツアーに参加しながら現場で学んできた。だから、自分にとっては理屈でやるんじゃなくて、とにかく演奏することでお金を稼ぎながら学んできたのがジャズだったんだ。その一方では、偉い先生方のおっしゃることをGlorify(賛美する)するような世界も学校にはあるんだよね。でも、誰かの話を拝聴するだけで、ミュージシャンとしての自分のアイデンティティを確立するところには辿り着けないんじゃないかなって僕は思うよ。もちろん、その知識や情報をどう使いこなすかの問題でしかないとは思うけどね。

ChatGTPと同じ話だよ。AIを使いこなせるだけの素地が自分にあるかないかってこと。それは君のようなライターだって同じだよね。ChatGTPに勝手に喋らせて「それでいいや」って思うのか、それを自分の言葉として使うために、ツールとして利用しながら自分を確立していくかってこと。例えば医者だったら大学の医学部で知識を得てから、インターンとして実際の医療について何年か勉強して、それから実際に人間に触れるでしょ?ジャズの場合はそういう段階がなくて、学校だけで何かできるつもりになって世に出ていく。そういうプロセスに僕は疑問を持っていたから、単位や学位を取るために大学に行くような部分に関しては全く意味を見出せなかった。その代わり、それ以外のところでしっかり学んできたんだ。

ただ、学校にはスーパーファン作りをやってくれている部分もある。卒業後、音楽を演奏して食っていけるのはクラスの中でも3人ぐらいしかいないってのは事実としてある。でも、学校で音楽を学んできた人たちは、様々な形でスーパーファンとしてシーンを支えてくれている。そういう人を輩出しているって意味では、学校は重要な場所ではあるし、感謝すべきだとは思っているよ。

Translated by Kazumi Someya

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE