洋楽ロック史上最大級の復刻、ボブ・ディラン『コンプリート武道館』関係者が語る制作秘話

 
最新リミックスのキーワードは「熱量」

新たに2夜分のミキシングをし直すに当たって、菅野には明確なイメージがあった。

菅野:僕の念頭にあったのは、ボブがステージで見せた熱量。それはボブのボーカルに集約されるんだけど、彼の歌声が観客に突き刺すように届く様……それを僕は再現したかった。ただマルチといっても、各楽器が全て完璧にセパレートできていたわけではないので、ミックスする人は大変だったと思います。


ボブ・ディラン、1978年の武道館公演にて(Photo by Joel Bernstein)

来日したディラン本人からライブレコーディングの許可が出たものの、録るに当たって制約が多く、決して楽とは言えない現場だったという。通常のライブのようにマイクの置き方から綿密に取り組むことができなかったのだ。

鈴木:向こうのPAのエンジニアと打ち合わせしたとき、まず言われたのは「マイクは全部こちらで出す」と。だから、僕たちはステージに誰も上がってないし、マイキングとかに関しては全部おまかせの状況でした。PA卓から分岐されたものを録音するしかなかった。

電源についても細かくて、武道館の電源と発電車との電位差でPAにトラブルが起きたらおしまいになるから、レコーディング中はマイク回線のアースを切るように言われました。彼らにとってはその日のライブが何事もなく終わることが第一なわけですから、我々はそれに従うしかなかった。でも見方を変えると、現場で変なことをやったり、音を変えたりせずに、素直にありのままを録音したことが結果的に良かったのかもしれません。

僕が武道館で録音したのは、このときが初めてでした。アリーナの後方に椅子をしまっておく倉庫があるんですが、そこから椅子を出して空いたところに重い機材を運び込んで、録音用の部屋を作りました。そういうときは小さいモニタースピーカーを使うことが多いんですが、このときだけはステージの音もれに負けないぐらいの音が鳴る大きいスピーカーをスタジオから持ち込んで作業しました。

菅野:何しろ、録音する人たちはステージ上の様子もまったく見えない状況で録っていたから。「ここの音が録れてない」なんてことが起きないように、ステージで発している音は全部テープに残してくれ!とそれだけ願いながら、2日間過ごしてましたね。


ボブ・ディランは1978年の初来日時、2月20日・21日・23日・28日・3月1日〜4日の計8公演を武道館で実施。その後、1986年と1994年に2回ずつ、2001年に1回(計13回)武道館公演が行なわれている(Photo by Joel Bernstein)

新たにミキシングするにあたって、菅野が提示した“熱量”というキーワードがひとつの指針になったという。

鈴木:「どういうスタンスでやろうか?」という話になるわけですよね。78年の『武道館』のようなバランスでやるのか、それとも菅野さんがおっしゃる、武道館のあの場の“熱”を伝えたいという想いでやるのか。やっぱりバランスの取り方が違ってくるわけです。それで白木さんと3人で相談した結果、今回は“熱”をキーワードにして、メリハリをしっかりやろうということになりました。

菅野:単に「78年に日本武道館でコンサートをやった」っていう、それの想い出になるようなライブ盤っていう作り方もあったと思うけど、僕が作りたいのはそれじゃなかった。長いキャリアを持つボブが、78年という年に日本でこんなライブをやりたかったんだ、というもの……僕はボブにはなれないんだけど、彼になったような気持ちで、「日本のファンに俺はこれを聞かせたいんだ」というものが伝わる作品にしたかった。だからメインはボブの声で、それがビシッと出る、何よりそこにポイントを置くっていうのが僕の考え方でした。

鈴木:78年の『武道館』との一番大きな違いは、楽器の出入りと歌の聞こえ方です。要するにバンドの中にディランが入ってるのか、バンドの前にディランがいるのかという違いですよね。78年はバンドの中にディランがいて楽器もそんなに飛び出てこないけど、今回はバンドの前にいるから、ディランと同じ位置に楽器を置こうとしたら、相当メリハリをつけないとバランスが取れないんで。


『コンプリート武道館』が初出となる、1978年2月28日録音の未発表曲「アイ・ウォント・ユー」

しかしいざメリハリをつけるといっても、そもそもマイキングの段階から制限があるので、全ての楽器がミックスする上で都合よく、きれいに分けて録られたわけではなかった。ここはエンジニアの腕の見せどころだ。

鈴木:今だったらドラムセットのそれぞれに11本とかマイクを立てて別々にできるんだけど、『武道館』のドラムはスネア、キック、タム、トップかな……4チャンネルしかないんですよ、トラックとして。その中で菅野さんは「嵐のようなタムタムを聞かせろ」とか言うわけです(笑)。「荒れ狂うようなギターを」とかね。でもプロのミキサーって、意外とそういうイメージを言葉として受けて、じゃあどうしたらいいかっていう感覚がなんとなくあるんです。それで要望されたことをやって「どう?」って訊くと、「いいよ」とか「もうちょい」とか反応が来るわけですよ。

エンジニアのタイプとして、モザイクみたいに楽器を壁に貼り付けるようにしてバランスを取る人と、極めて生々しい音を録りたい人、2つに分かれると思うんです。菅野さんは生々しい方がいいという意見だったので、今回はEQ(イコライザー)とかは極力使ってません。例外としてオーディエンスの音は結構過激にEQとコンプレッサーを使わないと、武道館のような会場ではドボドボの音になってしまうので、そこだけは使いました。だから、極端に音をいじるようなことは何もやってないです。ひたすらフェーダーの上げ下げと、アンビエンスの音の処理だけですね。


『コンプリート武道館』アートワークは、1978年の『武道館』に続いて田島照久氏が担当。桜、浮世絵といった日本ならではのアイデンティティを盛り込み、江戸時代の風景と1978年の日本に立つボブ・ディランの姿をコラージュして重ね合わせた

そして当初の狙い通りに主役の声とギターは存在感を増したし、ビリー・クロスのリード・ギターも、イアン・ウォレスのドラムスも、オリジナル盤よりビビッドに演者のキャラクターが伝わってくるように感じる。

鈴木:手の内を明かすと、一回バランスを取るじゃないですか。それぞれの楽器が何をやってるのか全部聴くんですよ。歌とボブが弾いてるギターがどう関わってるのか、バンドとどう関わってるのか。そうやって個々の役割を認識する、根っこを掘っていくような作業ですよね。

あと、一番はやっぱり、45年の間の技術的進歩ですよね。タムタムの連打の音を揃えるなんて、45年前じゃできないことだったから。今回は一回デジタル化することによって細かい作業ができるようになったので、菅野さんが言葉で伝えるイメージにも対応することができたんです。いいフレーズがいっぱいあったんだよな、「おどろおどろしく」とか(笑)。

菅野:そうやって言葉を投げると、本当にそういう風にして返してくるから、こっちも言い甲斐があった(笑)。ちゃんと伝わるんだなと思ったし、音で再現できるんだなと思って。そういう積み重ねでしたね。たとえば「マギーズ・ファーム」や「見張塔からずっと」では…ここはギターが荒れ狂うぜとか、ここで砂嵐がビューッと飛んでくるとか、すごく怪しい雰囲気があるんだぜとか……僕は聴き手でオーディオは専門じゃないから、抽象的な表現がどうしても多くなるんだけど。それがちゃんと音でひとつひとつ表現されていく、そういう日々でした。


『コンプリート武道館』封入のメモラビリア:(左下から時計回りに)1978年初来日公演ツアー・ポスター、同チケット、同ツアー・パンフレット、『武道館』LP封入ポスター、1978年初来日公演ツアー・フライヤー、来日キャンペーン・フライヤー

メンバー紹介のMCでディランが大編成のバンドを「オーケストラ」と呼んでいるのも象徴的だ。まさにロックオーケストラ的な分厚さを感じさせながら、バンドのメンバーが一部重なっている『激しい雨』との間に感じられた質感のギャップが、今回のミックスでは以前ほど目立たなくなったように思う。

菅野:あのときのボブは、ああいう形でやりたかったんだと思います。ライブ盤を並べてみたときに、『偉大なる復活』(74年)もいいんだけど、僕の好みとしては『激しい雨』のようにボブが全面に出てくるライブアルバムを作りたかった。それが出発点でした。

最初の『武道館』は、当時のアナログ盤の技術で曲を詰め込んでいくとどうしてもレベルが下がってしまって、安価なプレイヤーで聴くとそんなに迫力が出てこない、そういう面も確かにあったと思います。でも今回は良い音質の納得できるアナログ盤を作ることができたし、それは非常に良い状態でテープが見つかったことも大きかった。

今回の『コンプリート武道館』というタイトルは、単にコンサートを全部入れたっていう意味があるのと同時に、ボブがやりたかったことを完全に再現できたという想いも入っていると思います。そういう意味で、今回宣伝に使っているキャッチフレーズ、「あの日のボブがここにいる」……文字通りそういうアルバムを作ることができたと思ってます。

 
 
 
 

RECOMMENDEDおすすめの記事


 

RELATED関連する記事

 

MOST VIEWED人気の記事

 

Current ISSUE