「誰もが知ってる曲をカバーするよりやるべきこと」ギャビ・アルトマンのオープンな音楽観

 
アフリカ音楽からの影響、音楽や文化にオープンである理由

―先ほど、エチオピアのジャズについて言及していましたが、あなたが作成したSpotifyのプレイリストにはエチオピアの曲もいくつか入っていますよね。そういった音楽からの影響も大きかったりするのでしょうか?

ギャビ:はい! ジャズに限らずトラッドも含め、エチオピアの音楽が大好きなんです。例えば、ムラトゥ・アスタトゥケや、修道女でピアニストのエマホイ・ツェゲ=マリアム・ゴブルーですね。彼女は最近亡くなってしまいましたが。

『Gabi Hartmann』の最後の曲「The End - Meditation」のリファレンスは完全にエマホイでした。しばらくピアノを弾いていなかったけど、彼女にインスパイアされて久しぶりに弾いたんです。彼女が弾いていたスケール、つまりペンタトニック・スケールで即興演奏したのがあの曲です。なぜその曲をアルバムに入れようと思ったかのか、自分でもわからないんですけど、とにかく入れたかったんですよね。




―前回のインタビューで「南アフリカの音楽を研究していた」と話していましたが、あなたのプレイリストには南アフリカの音楽も入ってますよね。

ギャビ:そもそも、私が通っていた東洋アフリカ研究学院というロンドンの大学がそういったものを学ぶ場所でした。マスターを取ったのが、音楽人類学だったんですよね。

それとは別に、母が西・北アフリカによく仕事で行っていたので、その頃からアフリカのいろんな音楽を聴いていました。アフリカの様々な国のことを小さな頃から意識していた、と言えるかも知れません。そのうち、私はアフリカに関するいろんなセミナーを受けるようになりました。そこでアフリカ中の様々な音楽を聴いたんですが、南アフリカの音楽に出会ったのはその頃です。

アフリカのジャズ、特に南アフリカのジャズは歴史が古くて、ほぼアメリカのジャズと同じくらい長い歴史があります。アメリカのジャズをコピーしたり、マネしたりしながら、彼らは自分たち独自のバージョンを作ってきた歴史がある、ということを学校で教わって、すごくショックを受けました。新しい音楽の惑星が、私の眼の前に生まれたような感覚すらあったと思います……。

私が特に好きだったのはミリアム・マケバ、そしてクウェラ・ミュージック。私は50〜60年代の南アフリカの音楽にどんどん興味を持っていきました。歌もの、特にクワイアが多くて、伝統的にボーカル・ミュージックが強い国。そういうものを探しては聴いていたら、ポール・サイモンがレディスミス・ブラック・マンバーゾを始めとした南アフリカのアーティスト達と作ったアルバム『Graceland』と出会い、「こんなの聴いたことがない!」ってすごく驚いたのを覚えています。

だから、私は最初から南アフリカのアーティストに詳しかった訳ではなかったんですよね。私が育った環境ではフランスの植民地だった西アフリカの音楽の方がよく耳に入ってきたから。でも、私はどんどん南アフリカの音楽にのめり込んでいきました。南アフリカ人の先生に歌を教わる機会もあって、そのときに現地の歌も習ったりもして、これはもう現地に行くしかない、と思い立ったんです。それでケープタウン、ヨハネスブルグにリサーチに出かけて……。

―実際に現地にも!

ギャビ:もちろん、実際にクウェラを聴きたくて。パイプフルート(ペニーホイッスル)奏者のスポーク・マシヤニみたいなスタイルのね。だから、ああいうミュージシャンを探していたんですけど、さすがに当時のような音楽をやっている人とはなかなか出会えなくて。新しい世代の人たちはああいう音楽をもう演奏していなかったのが残念でしたね。


ギャビが作成したプレイリスト。上述のムラトゥ・アスタトゥケ、ミリアム・マケバやヒュー・マセケラといった南アフリカの音楽も選曲されている


ポール・サイモンとミリアム・マケバがデュエットした『Graceland』収録曲「Under African Skies」

―前回のインタビューで、音楽だけではなく、政治や歴史についても興味があると話していましたよね。南アフリカに興味を持ったのはそういった側面もありますか?

ギャビ:それも関係あると思います。もともと私は、音楽以前に政治を学んでいたんです。具体的にはポリティカル・サイエンスと哲学。音楽への考え方が変わったのは学生時代、インターンシップでブラジルのリオに行った時に受けた衝撃がきっかけにあります。それまで音楽というのは自分にとってパーソナルなもので「自分が楽しむ」あるいは「友達と楽しむ」レベルのものでした。でも、ブラジルではもう社会というか、「国の中心に音楽があるんだ!」と思ったんです。カーニバルを基準にスケジュールが組まれていて、音楽がいつでもどこでも流れて、みんな踊っていて……ここまで音楽が中心にある国もあれば、一方で、そうでもない国もあるのはなぜなんだろう?と疑問に思うようになって、そこから音楽人類学を学ぶなかでその理由を掘り下げるようになりました。

それにフランスだと、トラディショナルな音楽は今でも残ってはいるけど、かつてほど力を持っていませんし、徐々に失われているようにも感じます。そういう国は多いと思いますが、かと思えば、昔から変わらず、そういった音楽が昔から大きな存在であり続けている国もあります。その差も気になっています。

―その答えは見つかりましたか?

ギャビ:音楽が中心にある国とそうでない国、トラディショナルな音楽の影響力が健在な国とそうでない国……この二つの疑問への答えを探しているのですが、まだその答えは見つかっていません。大きなミステリーのままですね。



―そういった研究によって考えたことは、自分自身の音楽に反映されていると思いますか?

ギャビ:自分ではよくわかりません。ただ思うのは、自分の趣向みたいなものを問い直す、捉え直すことが多くなっているのは、研究からの影響かもしれませんね。つまり、あまり知られていない音楽が、なぜ知られてないのかというと、単純に露出が少ないからですよね? なぜ少ないかと言えば、有名ではないから。では、どうしてそういう結果になってしまうのか。そういうことを考えるようになりました。

音楽のスタイルによって、人気が出るもの、出ないものと分かれてしまう。スーダンの音楽もその好例で、全然有名ではないけど、だからこそ私は興味を持ったわけです。フランスの有名なスタンダードをカバーするよりも、スーダンの音楽の方を歌う方が、自分にとっては有意義だと思ったんです。

そういう意味で、(研究を経て)自分の趣向について、より深く考えるようになりましたね。フランスのジャズ・スタンダードに限らず「みんなが知ってる曲を私がカバーして意味があるんだろうか?」と思うようになったし、より多くの音楽にオープンになったとも思います。要するに「決めつけをしない」ということが大事ですよね。そういう意味では、今のポピュラーミュージックにだって面白い部分はあるでしょうし。私は何でもどんどん聞いて、いいところを見つけていく、という姿勢でやっているんです。それがなぜ人気があり、有名なのか、なぜ私はこれが好きなんだろうか、そういった小さな疑問を常に持ち続けていることは、研究の影響なのかもしれません。

それと、ソングライティング自体に音楽人類学からの影響が出ているかはわかりませんが、「La mer」のように、自分の研究と直接関係はなくても、音楽と絡んでくる政治や社会、自分を取り囲む状況や問題について、作品で取り上げることはあるんです。私はアーティストなので、ハッピーなことばかり歌っていられない。アーティストは自分の時代と社会にあるすべての問題を反映しなければならないと思います。そう考えることになったのも、研究からの影響があるのかもしれませんね。





ギャビ・アルトマン with ジェシー・ハリス
2024年1月10日(水)・11日(木)ブルーノート東京
公演詳細:https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/gabi-hartmann/

※ブルーノート東京公演の前日1月9日、恵比寿・BLUE NOTE PLACEにてプレビュー・ミニ・ライブも開催





ギャビ・アルトマン
『Gabi Hartmann』
発売中
日本盤ボーナストラック追加収録
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/Gabi_GabiHartmann

ギャビ・アルトマン特設サイト:https://www.110107.com/gabi

Translated by Kazumi Someya

 
 
 
 

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