ヴィクトリア・モネが語るセックス、ソウル、「正直な女性」であること

 
母親がセクシーであろうとすること

ー『JAGUAR II 』は『JAGUAR』の続編でありながらも、クリエイターとしての成長をはっきりと感じさせる内容となっています。どのようにしてこの力作を完成させたのでしょうか?

モネ:音楽そのものが私を導いてくれた。スタジオに入る時、私はあまり計画を立てないようにしている。気持ちをオープンにすることで、アートが自然に生まれてくる環境を作ることができる。風の音に耳を澄ますように、通り過ぎていくクリエイティビティの流れの中から何かしらのアイデアを掴もうとするの。優れたものもあればそうでないものもあるけど、私はクリエイティビティは誰の元にもやってくるものだと思っていて。だからスタジオに入る時は、できる限り気持ちをオープンにして、私が好きなサウンドと創作に向かわせてくれるインスピレーションに身を委ねるようにしてる。ボーカル面においても、あらゆる偏見を排除することで、自分でも気づいていなかった感情を理解できることがあるから。

(『JAGUAR II』には)悲痛な曲もあるけど、今の私はとてもポジティブなの。曲を書くことにはセラピーのような効果もあって、癒えていなかった傷や引きずっていた物事に決着をつけることができる。アイデアが形を成そうとするのを促してあげれば、それが曲になっていく。創作に臨むうえで、私は自分自身を解放できる環境を作ることができていた。自宅で曲を書いていたとしても、「なぜ外で羽目を外す内容の曲を書いているのか?」なんて自問しなくてもいい。あらゆる制限から自由でいられたの。

ー過去の数週間は、母親がどうあるべきかという議論が(全米の)インターネット上で加熱していました。何を着るべきか、どのように振る舞うべきか、そして洗脳のようにさえ思える批判の数々が飛び交っていました。あなた自身もそういったイデオロギーの標的にされたことがあると思いますが、どのように対処していましたか?

モネ:私は以前、母親がセクシーであろうとすることを良しとしない人々から批判されたことがある。私はいつもこう思う、「人がどういう過程で母親になるのかを知らないのかな」って。魅力的な女性が誰かとセックスをする、それって子供を作る方法のひとつでしょ? だから女性がセクシーであろうとすることには何の問題もないし、ありのままの自分を堂々と誇っている母親はいっそう魅力的だと思う。出産を経験して自分が何者なのかを再認識したり、あるいは生まれ変わったように感じたり、自分の何もかもを捧げようとさえする。そこに至るまでの過程でできた傷や痣は、恥じたり隠したりするんじゃなくて誇るべき勲章のようなもの。それは女性をよりセクシーに見せると思う。

例えば(女優の)ガブリエル・ユニオンは、「母親なんだから2ピースの水着なんて着るべきじゃない」って批判されてた。要するに「母親は肌を露出するな」ってわけ。でも彼女は、自分がそうしたいからという理由で堂々と肌を見せてる。私にはごくシンプルに思えるけど、一部の人がなぜややこしく考えようとするのかまるで理解できない。その根源はきっと、私たちが子供の頃に植え付けられた固定観念だと思う。昔のテレビ番組って、主婦役の人がくるぶしまで隠れるようなロングドレスにハイヒールっていう格好で掃除機をかけていたりしたから。当時はそれが理想的な母親像だったかもしれないけど、今は違う。昔に比べるとマッチョなキャラクターが敬遠されるようになったけど、それは絵に描いたような男性らしさや女性らしさというものが閉ざされた環境下でしか認められないっていう、今の社会のあり方を反映していると思う。今はそういうのってもはやナンセンスでしかないもの。そういう古典的な考え方に縛られない時代を生きていることに、私は感謝している。

私は70年代という時代とそのサウンドに魅せられているけど、自分の思うように行動したり自己表現することが許されなかったあの時代を生きていた女性たちには同情する。現代の女性たちは、自分が好きなことに素直であろうとしているだけだと思う。ソーシャルメディアを見れば、そういう女性たちがますます増えているのが分かる。以前のような分断が解消されようとしていて、そういうムードが私たち一人一人の背中を押してくれてる。独りじゃない、そう感じているの。ソーシャルメディアがなかった時代は、主なメディアだったテレビには偏見や固定観念を持った一部の人間のイデオロギーが反映されてた。当時はそういうものから自由であろうとする人の姿が大衆の目には届きにくかったけれど、多くの女性が思うままに行動しようとしている2023年という時代に生きていることに、私はすごく感謝している。



ー妊娠と出産に伴う体の変化を実感していた時、強さと脆さのバランスについてどう考えていましたか?

モネ:「On My Mama」を書いていた時、私はそのキャラクターになりきる必要があった。なぜなら、それは私自身のことではなかったから。スタジオに入っている間、私は新しい生き方のバランスを見つけようとしてた。娘をスタジオに連れてきて、授乳したり泣かないようにあやしたりしていたの。でも、リスナーがどんな歌詞や曲を私に求めているかを考えたら、そういうリアルな自分の経験を題材にすべきではないように思えた。だから私はヴィクトリアという人格を脱ぎ捨てて、自分自身と客観的に向き合い、こう呼びかけあうことにした。「しっかりしなさい。あなたは美しく、素晴らしいことを成し遂げた。そのポジティブな面に目を向けて」。

あの頃、私は気持ちを落ち着かせて、一時的に意識を現在ではないどこかに向けないといけなかった。今でこそ気持ちを整理できるようになったけれど、当時の私はすごく落ち込んでた。本当にやっていけないくらいに。出産に伴うホルモンバランスの変化とそれが体にもたらす影響を、パンデミックの最中に経験するっていうのはすごく辛いことだった。得体の知れないものが複数同時にやってきたわけだから。隔離生活も苦しかった。病院に行く時も、コロナの規制のせいでボーイフレンドを同行させることが許されなかったの。だから一人で行くか、あるいはオンライン診療を受けるかのどちらかしかなかった。すごく孤独な日々だったな。出産後も、沈んだ気持ちは変わらなかった。身近にいる人の誰にも、私の気持ちと経験していることを理解してもらえなかった。だからこそ、私はそういった思いを音楽で表現しようしたの。

Translated by Masaaki Yoshida

 
 
 
 

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