YOASOBIとブリング・ミー・ザ・ホライズンが語る、リスナーに「驚き」を与える楽曲とは?

時代と向き合い、変わり続けること

ーブリング・ミー・ザ・ホライズンの曲で特に好きな曲は?

Ayase 好きな曲は山ほどあるんですけど、「Parasite Eve」にはすごく衝撃を受けましたね。どこから作っていったのかと思って。

オリー あの曲は音楽よりも前に歌詞があったんだ。インスピレーションは日本の小説「パラサイト・イヴ」で、遺伝子が人間に寄生することで脅威が訪れるというストーリーなんだけど、関連していろいろな記事も読んでみた。同じタイミングで、ロンドンで今までになかったくらいの猛暑になったことがあって、僕は未来に対して恐怖とパラノイアを感じてしまって。そこからのアイデアで、ウイルスが世界中に蔓延して、人類を滅亡させてしまうという歌詞を書いたんだ。パンデミック前に書いた曲なんだけど、実際にコロナ禍になった時、すごく奇妙な感じがしたんだよ。この曲はコロナウイルスのことを書いたわけじゃないのに、現実ではコロナウイルスでどんどん人が死んでいく。この曲を聴いて不快に思ったり、動揺したりする人もいるだろうし、当時のエンターテインメントの世界の状況を考えると、この曲は自粛すべきだな思ったんだ。でも、パンデミック下で多くの人がつらい思いをしたり、現実逃避をしたりする中で、ちゃんと向き合うことで乗り越えていかなきゃいけないと思ったから、これを曲にして出すことに意味があると思えた。それで歌詞を少し変えて、ダークさを抑えた。例えば、歌詞に“When we forget the infection / Will we remember the lesson?(僕たちはこの感染を忘れた時に/教訓を思い出せるのか?)”とあるんだけど、前に書いた時はもっとダークで、“We survive the infection / Will we remember the lesson?(僕たちはこの感染を生き延びたわけだけど/その時の教訓を思い出せるのか?)”だった。近しい人をコロナで亡くした人でも聴けるように、僕なりに配慮した。元々僕は政治的な歌詞は書いてこなかったし、ほぼ自分のことを歌詞にしてきた。だけどこの曲ではパンデミックの状況、今の世界が置かれてる状況を歌うべきだと思ったんだ。

ーオリーは小説「パラサイト・イヴ」にインスピレーションを受けて曲を作りましたが、YOASOBIはどの曲も小説や物語をモチーフに曲を作っているんですよ。

オリー うん、すごくカッコいいと思うね。ちゃんとコンセプトがあるのっていいことだし、リスナーにとっても楽しめるものになると思うから。

ー小説をモチーフに音楽を作る時に、一番大切にしていることはありますか?

Ayase 小説の原作者へのリスペクトですね。あと、原作者と同じ深さまで自分がちゃんと潜って理解することが一番大事です。そこはこだわって、ずっと続けていきたいところです。



ーikuraさんは自分のことを歌う時とは違って、小説をモチーフにした世界を歌う時は、どういうアプローチを心がけていますか?

ikura 原作の小説にすべてが書いてあるとは思うんですけど、そこからAyaseさんが音楽にした時に、Ayaseさんがどんな風にこの物語を音楽として消化したのかというところを想像します。それは想像でしかないですけど、そこで敢えて話し合ったりすることなく、私が新たに感じた部分だったり、主人公にこんな風に歌ってほしいとか、こういう感情であるだろうという自分のイメージがあるので、それをレコーディングの時にぶつけながら、世界観と主人公の心情の機微を意識します。実際に音楽として入ってくる時は、歌声が大きな要素として耳に入ってくると思うので、私が一番最後の伝え手として、そこまで渡ってきたバトンを絶対に落とすことなく、ちゃんとそこを引き継いだ状態で、主人公の気持ちをしっかり乗せられるように、一言一言のニュアンスまで気をつけて歌うようにしています。

オリー 素晴らしい歌だと思うよ。歌詞はわからないけど、物語や世界観を理解した上で、どういう感情を伝えようとして、その瞬間にそれがどれだけ広がって、エモーショナルになったり、より速くなったり、よりヘヴィになったりしていくのかというのが想像できる。僕にとってはアニメのテーマ曲もそうだね。そこにはいろんな感情が凝縮されてるから、悲しい部分もあれば、ヒロイックな部分もある。それを音楽で表現できるなんて、素晴らしいことだと思うんだ。

ーYOASOBIの歌のメロディはキャッチーですけど、同時にかなり複雑ですよね。オリーはどう思いますか?

オリー すごくオリジナルだし、他の音楽とは違うと思うね。僕たち西洋の人間にとっては、インド音楽を聴いて感じるのと同じくらい違うものなんだ。音階や音符の選び方が全く違うんだよ。僕は大好きだけどね。何度も聴いてみて、やっとそのキャッチーさと複雑さがわかるんだ。

ーAyaseさんはJ-POPからメタルまでいろいろ通ってきましたが、メロディはどのように作りますか?

Ayase 僕のメロディは超J-POPだと思いますね。J-POPは元々好きだったし、そこからメタルコアのバンドをずっとやってきたけど、ルーツにはしっかり日本の歌謡曲的なメロディがあるので。そこは自然に出てしまいますね。

ー音楽のルーツについて聞きたいのですが、どういう音楽を聴いて育ちましたか?

オリー 両親はそれほど音楽を聴いてなかったんだけど、父親がけっこう変わってて。ダンス・ミュージックとかノーザン・ソウルをランダムに聴いてたよ。僕自身もロック・ミュージックに出会うまでは、ドラムンベース、テクノ、ハッピーハードコアとかを聴いてて、あまり音楽にこだわりはなかった。13歳の時にリンキン・パーク、グラスジョーといったロック・バンドを好きになって、これはヤバいなってなったんだ。その後、自分でもロック・バンドをやっていくうちに、昔聴いていたダンス・ミュージックも取り入れようなんてことにもなったよ。

Ayase 僕はずっとクラシック・ピアノをやってたので、音楽にはずっと触れてきました。クラシックは今でも聴いてます。そこからJ-POPになるんですけど、TVを観てるといろんな番組で音楽が流れるので、当時の日本で話題になってるJ-POPを聴いてました。それで、歌が好きだから歌手になりたいって思ったんです。どういう方法で歌手になろうかと思った時に、マキシマム ザ ホルモンを知って。バンドがカッコいい、バンドのボーカルをやろう!と思って、そこから激しいラウドの音楽にハマっていったんです。

ikura 私は3歳までアメリカのシカゴに住んでいて。その頃から兄弟がずっとディズニー・チャンネルを観てたので、ドラマと一緒に音楽を聴くというのが、一番最初の入り口になったと思います。日本に帰ってきてからは洋楽を聴いて育ったんですけど、中学校、高校でJ-POPのバンド、J-POPの第一線を走っていた方々の音楽を聴いて、それが自分の中で細胞になっていって、自分でも曲を作るようになりました。


ikura(Photo by Maciej Kucia)

ー両者とも、今まで聴いてきた音楽がベースにありながらも、新しい音楽を追求していますよね。オリーにしても、最近の曲では2000年代あたりのエモ、ポストハードコアの要素を取り入れながら、全く新しい音楽として形にしていますね。

オリー 「POST HUMAN」シリーズの1作目『POST HUMAN: SURVIVAL HORROR』は、コロナ禍に出したんだけど、その時は未来が暗いものに見えたから、誰もが後ろ向きになってたよね。僕もそこは同じで、子供時代を振り返ってみて、オルタナティブ、ニューメタルの時代に戻って、リンキン・パーク、リンプ・ビズキット、デフトーンズといったバンドを聴いてみたんだよ。そこで感じたノスタルジックな気分に、フューチャリスティックなもの、今の時代の要素をミックスすることで、音楽的に新しいものを打ち出したいと思うようになったんだ。「POST HUMAN」には、特別なエネルギーと特別な感覚を持たせたかったんだよね。ノスタルジックなことで、自分の若い頃を思い出すと同時に、今の時代の最新のアプローチを見せることで、聴いた人が「ワオ、ヤバいじゃん。こんなのは聴いたことがないよ」って感じるようなものを作りたかったんだ。



Ayase 今オリーが言ってたような、自粛期間での話でいうと、そこは僕も近い感覚を持ってて。自粛のタイミングって、世界が夜になった感じがすごくしたんです。深い夜の中に包まれて、暗くてよく見えないし、誰かにそばにいてほしいけど、時間も遅いから会いに行けない状態になってしまう。夜になると眠りたいし、夢も見たいし、恋しくなる気持ちもすごく強くなるから、さっきオリーが言ってたような、懐かしいところに回帰してみたくなる気持ちも生まれると思うんです。それでいざ明けてきた中で、みんないつの間にか夜に慣れてしまって、今度は暗くない外を出歩くのが逆に怖くなってる。しかも明けてみたら、「世界ってこんなんだったっけ?」となって、知らないうちにいろんなことが変わってしまってるし、元通りになったはずなのにどこかヘンだぞ、みたいな。YOASOBIはそういう中で始まったユニットなので、ずっと変わり続けることを、僕らは当たり前のようにやってきたんです。時代のことをあまり深く考えようとは意識的に思っていないものの、「今みんなこういう表情をしてるな」「今みんなこういうことを思ってるんだろうな」「今みんなこういうものを欲しいんだろうな」というのは、YOASOBIを始めてから勝手に感じられるようになったというか、聞こえてくるようになった気がしますね。


左から、ikura、オリヴァー・サイクス、Ayase(Photo by Maciej Kucia)

ーYOASOBIの活動はまさにコロナ禍の時期とかぶっているわけですけど、コロナが明けた時に外に向けてのライブ活動が開花したというイメージもあります。外に出てライブをすることで新たに感じたことはありますか?

Ayase フェス、ライブが復活した時は、お客さんもまだまだぎこちないなと思いましたね。みんなどこかでずっと気を遣ってる空気はあったし。これは大きな意味で、少しずつ復興していかなきゃいけないだろうと思ったし、それと同時に、みんながこの場所を待ってたんだろうなというのは感じました。

ikura 自粛期間が明けて、私たちは2022年に初めて夏フェスに出ることになったんです。その年はAyaseさんが言ってたような、「どんな感じだったっけ?」というのが残ったままで。それを経て、2023年も夏フェスがあって、私たちの初めてのアリーナ・ツアーがあって。みんな一人ひとりが違う事情で、いろんな苦労や大変なことを経験して、より息苦しくなってしまった部分と今も闘ってるわけです。だから、私たちのライブに来た時は、いつもなら背負ってなきゃいけないものを全部置いて、解放されてほしいとすごく思います。私もライブに立つ時は、誰かを救いたいとか、そういう気持ちよりかは、パッと驚かせたいという気持ちと、みんな仲間なんだよという気持ちで。楽しく盛り上がって、みんなが自由になれる時間を、この2時間だけでもいいから一緒に過ごして、また明日から頑張っていこうね!という気持ちを持つようになりました。

Ayase ライブはやっぱり楽しいですね。





Translated by Yuriko Banno

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