カマシ・ワシントンが語る、より良い世界に進むための愛と勇気とダンスミュージック

Photo by Vincent Haycock

カマシ・ワシントンの最新アルバム『Fearless Movement』は、これまでの延長線上にありつつ、明らかに趣が異なる作品でもある。愛する娘が生まれ、彼女と暮らす中で感じたことがインスピレーションになっていたり、概念としての「ダンスミュージック」をテーマにしていたりするのもそうだし、過去の作品にあったスケールの大きさやフィクション的な世界観とは違い、現実(≒生活)に根を下ろした視点から生まれた等身大で身近に感じられるサウンドになったようにも感じられる。

たとえば、これまでは壮大な世界観をクワイアやオーケストラと共に表現していたが、今回はほぼ自身のレギュラー・バンドで構成しており、外から加わっているのはほとんどがボーカリストやラッパーだ(カマシはこれまで、声にまつわる表現はバンドメンバーのパトリス・クィンに任せていた)。ここでは様々な声がそれぞれのメッセージを語っているのだが、その言葉からもポジティブなムードが感じられる。これまでカマシはSFやアフロフューチャリズムといった言葉で語られてきたが、大きな驚きと共に迎えられるであろう今作は、全く別の言葉で語られることになるはずだ。

その一方で、2019年の来日時に行なったインタビューで、彼はこんな話をしていた。

「僕だって怒りとか悲しみとか、フラストレーションは感じる。それは自然なことだ。ただ、それをリアクションとして表現するのではなくて『そういう感情のために何ができるか』を考えて、その時の自分にできることを行動に移すようにしている。怒りや悲しみの感情の中に身を置くのではなく、それを一度受け止めて、理解するんだ。生活するときには幸せを感じていたいし、仕事や音楽活動に関しては破壊的な行動じゃなくて建設的な選択をしようと僕は思っている。いろんな感情が生まれてしまうのも、何かを感じてしまうのもしょうがないことだ。痛みや悲しみや怒りが生まれてしまう状況をどうしたら変えることができるのか、そのための行動を選び取っていきたい。世界は多くの人たちのそれぞれの行動があって、それが積み重なってできている。自分はその中の行動のひとつとして、何が貢献できるかと考えて、自分のできることをひとつずつ形にしていって、世界をいい方向に押し上げていきたいと思うんだ」

カマシと言えば、「ドラゴン怒りの鉄拳」や「マルコムXのテーマ」のカバーに象徴されるように、怒りや痛みを表現するパワフルでアグレッシブな楽曲の印象が強かった。それは彼がブラック・ライヴズ・マターの勃興と時を同じくして表舞台に出てきたことも関係しているのだろう。しかし、『Harmony of Difference』(2017年)で対位法のアイデアをもとに音だけで多様性を表現していたように、ある種の優しさやポジティブさを提示してきたのもカマシだった。彼の表現は徐々に調和や共生、祝福へと傾き、同時に地に足のついた等身大の言葉が増えていった。それは今思えば、ミシェル・オバマのドキュメンタリー映画のサントラとして作った『Becoming』(2020年)の柔らかさにも表れていたのかもしれない。その後、娘が誕生し、さらにポジティブな境地に至ったことを反映したのが『Fearless Movement』なのではないだろうか。

ここではカマシが新作に込めたコンセプトや想いにフォーカスして話を聞いた。今、彼が表現したいことの温度感も含めたニュアンスを僕は知りたかった。




前に進むための「手放す」勇気

―今回はアルバムのテーマになったキーワードについて話を聞かせてください。まず、「Fearless Movement」というタイトルの意味から聞かせてもらえますか?

カマシ:タイトルには複数の意味が込められているんだ。由来は2つあって、1つは純粋にこのアルバムの音楽から由来している。「Prologue」という曲を録音していた時に、曲にすごくリズムが感じられたから、「この音楽はダンスのための音楽だ」と思ったんだ。そのアイデアを思いついて、「ダンス・アルバムを作ろうぜ」と言ったら、みんなは「え、ダンス・アルバム?」という感じで困惑していたよ(笑)。僕がそんなことを言うのは意外だと思ったんだろうね。

でも僕にはルラ・ワシントンと言う有名な叔母がいる。僕は幼い頃から彼女のスタジオでダンサーたちが、とても表現豊かな即興音楽で踊っているのをずっと見てきたんだ。だから僕たちが作っているような音楽に合わせてダンサーが踊ると言うアイデアは僕にとって突飛なものではなかった。とてもクールだろうなと以前から思っていた。

それと同時期に、僕は思いがけない貴重な体験をした。娘が生まれて、僕の人生が変わりつつあったんだ。自分の人生が変化・進化していくと、先に進むためには、今まで自分が持っていたものを手放す必要が出てくる。僕はそうする必要があった。今までは、音楽が自分の人生にとっての最優先事項だった。でも、優先順位を変えて、僕は「父親であること」を最優先することにしたんだ。最初はそのことに対して不安があった。自分の作る音楽に影響するかもしれないと思ったから。でも実際のところ、僕の作る音楽はより良いものになった。「Fearless Movement(恐れのない動き)」という概念は、「前に進むためには恐れないことが大事」という意味なんだ。次に進むべきところに到達するには、今まで自分が持っていたものを手放さないといけない。それがタイトルの意味だよ。


カマシの叔母、ルラ・ワシントンは映画『アバター』『リトル・マーメイド』の振付も担当。マイノリティの子供たちにダンス教育の場を提供すべく、1980年に非営利のダンス・カンパニー「Lula Washington Dance Theatre」を設立。米国内外150以上の都市で公演を行っている。

―「Fearless」という言葉には、いろんなニュアンスが含まれているように思います。あなたが表現しようと思った「Fearless」はどんなものですか?

カマシ:怖さを知っていて、それでも飛び込んでいくという状態と、子供のように、怖いもの知らずでいる状態。その間にある、どこかに位置するものだと思う。大人は危険なことを認知している。前に進むことの危険性やリスクなどね。でも、あえて子供のような心構えで「怖い」と思う要素を無視して、前進するという姿勢。僕は音楽をやる時、そういう子供のような部分が必要だと思っている。何をしても、どんな道に進んでも間違いではないと思うこと。そもそも間違った演奏方法なんてないしね。自分が今までにやったことのないことをやってみる意思。それは、子供にとっては、実際のところ全てが当てはまるんだ。子供は今までにやったことのないことばかりだからね。

だから僕にとっての「Fearless」とは、危険なことに飛び込むというよりは、今までに自分が持っていたものを手放すことであり、それを失うということを恐れない姿勢を意味している。僕が考える「Fear」とは、失うことへの恐れや、今までに自分が持っていたものを失う恐れからくる、手放すことへの抵抗や拒絶感のこと。そのような恐れを抱いていたら、進むべき次のステージへ絶対にたどり着くことができないから。

―次のステージに進むための自己変革でもあると。では、それぞれの収録曲で「Fearless」をどのように表現しているのでしょうか?

カマシ:曲によって「Fearless」の表現のされ方は違う。「Lesanu」では、自分が今まで生きてこれた人生に対する感謝や、音楽に対する感謝、自分がミュージシャンになれたことに対する感謝を「祈り」という形で捧げている。さっき話した「自分が持っていたものを手放す」ことについても、自分が何を持っているか、自分に何があるかを知ることで、初めてそれらを手放すという考えが出てくるわけだよね。

「Road to Self」は、自分本来の姿を見出すための旅に出る意思を持つことについての曲だ。本来の自分には何が実際に備わっているのかを見つける過程。その過程は、少し不安に(Fear)感じられるかもしれない。なぜなら、本来の自分の姿を恐れているかもしれないから。もしかしたら自分には十分な価値がないかもしれないから。でも、あなたは、自分がそうあるべき姿以外の何者でもない。その姿に恐れを感じる必要は全くないんだ。自分が理想とする姿と違うかもしれなくても、それを恐れる必要はないってこと。

「Lines in the Sand」という曲は、自分を他の属性や他の人々から切り離さないといけないという固定概念を取り上げている。例えば、僕が民主党支持者なら、すべての共和党支持者を嫌うべきだとか(笑)、ジャズ・ミュージシャンである僕はポップ・ミュージシャンを嫌うべきだとか、抽象画を描く画家なら実写主義の画家を嫌うべきだとか。このように想像上でしか存在しない枠によって、僕たちは理由もなく制限されているし、僕たち自身もそう考えるべきだと思い込んでいる。でないと、僕たちが尊敬する人たちに嫌われてしまうから。例えば、僕はジャズ・ミュージシャンだけど、今回はダンスミュージックのアルバムを作りたいと思った。すると、人々はこう思うかもしれない。「カマシはダンスミュージックは好きじゃないはずなのに?」と(笑)。でもね、僕がダンスミュージックを好きでも全然いいんだよ。

―我々が知らない間に縛られている固定観念から勇気を出して解放されることも含めての「Fearless」ってことですね。

カマシ:「Get Lit」にも別の意味合いがある。アメリカにはーー特にアフリカ系アメリカ人のコミュニティには、こういう表現がある。「成功した奴は、地元を去ることができる奴だ。(If you have success, then you have made it out of the hood)」。でも、この曲で僕は「地元を離れるんじゃなくて、自分で地元を築き上げて行くのはどうだろう?」と問いかけている。地元の人々、自分の仲間たちを恐れる必要はないってことだね。

こんな感じで、アルバムには人々が抱く共通した「恐れ」がさまざまな形で含まれている。この共通した「恐れ」は、僕たちを間違った方向へ導くものだ。僕が「Fearless」に込めた意図は「危険を冒したい」ってことよりも、むしろそういうことにある。僕たちは内面に恐れを抱えていて、その恐れは僕たちを間違った方向へ導いてしまい、僕たちが向かうべき、いるべき場所から遠ざけてしまうから。

Translated by Emi Aoki

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