ミシェル・ンデゲオチェロの創作論 ジャズとSF、黒人奴隷の記憶をつなぐ「自分だけの神話」

Photo by Charlie Gross

 
ミシェル・ンデゲオチェロ(Meshell Ndegeocello)の『The Ominichord Real Book』は2023年を代表するアルバムになったのと同時に、長いキャリアの中で数多くの傑作を発表してきたミシェルにとっての新たな代表作にもなった。

ジャズの名門ブルーノートからリリースされた同作には数多くのジャズミュージシャンが参加し、素晴らしい演奏を聴かせている。だが、このアルバムの凄さはそれだけではない。ミシェルはここに収められた曲に様々な文脈を込めている。それは曲名や歌詞、サウンドに様々な形で埋め込まれている。宇宙観や死生観を含めて、ミシェルの哲学のようなものが詰まっているとも言えそうなくらい壮大なものだ。

近年、両親を亡くしたことをきっかけにミシェルはアフリカ系アメリカ人としての自身と祖先への思いを強めていた。そんな思考を、彼女は音楽による壮大な物語の制作に向かわせた。そしてパンデミック中、ノンフィクション作家ビル・ブライソンから、西アフリカの文化人類学者マリドマ・パトリス・ソメの自伝、中国のSF小説『三体』まで幅広い本を読み漁り、脳神経やテクノロジーにまつわるドキュメンタリーにヒントを得るなど、あらゆる領域からインスピレーションを得ようとした。ミシェルはそこから「ギリシャやローマなどの西洋の物語とは違う、自分だけの新たな神話を作り出そうとした」と、このあとのインタビューで語っている。

音楽を介して神話や宇宙を表現するというのはまさに、サン・ラやアリス・コルトレーンといった先人が行なってきたことでもある。そしてミシェルは、新たな神話を語るために打楽器のビートを軸に音楽を奏でている。それはまさに彼女の起源でもあるアフリカにおける音楽の在り方であり、儀式のようでもある。ミシェルは『The Ominichord Real Book』において、最先端の技術と理論を駆使し、その音楽でスピリチュアルな物語を現出させ、ジャンルのみならず時代をも飛び越えようとしている。

僕(柳樂光隆)は前回のインタビューを終えたあとも、同作を聴き返しながら、もっと深く考察されるべきだと感じていた。そこでもう一度ミシェルに話を訊ける機会が舞い込んだ。このチャンスに僕は歌詞を掘り下げ、その言葉とサウンドとの関係を想像しながら、このアルバムをさらに深く理解するためのヒントを語ってもらえるように質問を考えた。ミシェルからは「事前に質問を送ってほしい」というリクエストがあったが、よりふさわしい回答を用意するために考える時間がほしかったのだろう。丁寧に言葉を尽くしながら、とても誠実に答えてくれた。

2023年を代表する傑作について、ここまで深く語っている記事は他にないはずだ。2月12日(月・祝)、13日(火)に東京、15日(木)に大阪のビルボードライブで開催される来日公演は言うまでもなく必見だが、その前にじっくり読み込んでもらえたらと思う。



―「Virgo」という曲のコンセプトについて聞かせてください。

ミシェル:アフリカ系アメリカ人にとって、自分の先祖を辿るのは本当に難しいこと。だから私は、自分で起源の物語を作ることにした。私の祖先が船から飛び降り、海を歩いて渡ってきたというようなストーリーを想像しながら、私自身の神話を描いたの。

―そのコンセプトで書こうと思ったのはなぜですか?

ミシェル:それは、私が人間だから。人間である以上、人は常に存在に関する問いを抱くものだと思う。なぜ自分はここにいるのか? 自分はどこから来たのか? そして特に、親がこの世からいなくなった時、人は自分の人生を、自分自身の存在を本格的に構築することになるから。



―インスピレーションになったものはありましたか?

ミシェル:もちろん。その時読んでいた本がそうだったと思う。『三体』という本。知ってる?

―はい、中国のSF小説ですよね?

ミシェル:そう。あと、私はその頃オリヴァー・サックス(脳神経科医/ベストセラー作家、2015年に死去)のドキュメンタリーも見ていた。そのドキュメンタリーの中で、彼は心がどのように働くか、特に音楽が脳の中でどのように機能するかについて語っているんだけど、ロックダウンの間、時間がたくさんあったから、私はただじっと座って、彼の話をたくさん聴いていた。

実は当時、私はミュージシャンとして限界を感じていた。だから、テクノロジーや宇宙に関する理論、自分が生きている世界について勉強したかった。そしてその過程で、自分自身でそれを創造したいと思うようになった。今は見てわかるように、戦争や宗教、そしてある種の哲学において、神話というものは崩壊しつつあるでしょ? だから、私は自分なりにそれについて考え、理解したいと思った。そしてその中で、私が唯一繋がりを感じることができたのは音楽だった。5人〜7人のミュージシャン、もしくはオーケストラがいれば、全員がシンクロし、与えられた曲によって一体化する。だから私の心は、音楽を通じて自分自身の宇宙観を、自分だけの神話を作り出そうとしたんでしょうね

―ちなみに、『三体』のどんなところからインスピレーションを得たのでしょうか?

ミシェル:存在、時間、空間といった現実に疑問を投げかけている部分。それともちろん、ストーリー全体からもすごくインスパイアされた。主人公と彼らの血統とのつながり、彼らの中で恐怖を通して受け継がれてきたもの。あと、私たちはみな、自分自身を教育すれば人生が楽になると思っているし、知識が大きな助けになると考えている。でもこの本の中を読むと、コミュニケーション能力こそがその答えのように思えるのよね。正確に思い出せなくて申し訳ないんだけど、本の中に、宇宙空間に生存するある存在とコミュニケーションをとっている場面がある。そして彼らの言語、そして彼らの哲学的理解には裏切りという言葉は存在しないの。それは、彼らがお互いの頭の中を読むことができるから。彼らのマインドは完全に解放されていて、彼らはそれを読むことでコミュニケーションをとっている。あの部分からもかなりインスパイアされた。もし私が天体を旅することができて、自分の精神的な部分を発展させることでもっと人と共感することができるようになったり、他人と繋がることができるのであれば、それをぜひ試してみたいと思った。


『三体』(劉慈欣・著、早川書房)


「Oliver Sacks - Musicophilia: Tales of Music and the Brain」

―「Virgo」の歌詞についても聞かせてください。宇宙に関するストーリーテリングが中心になっているこの歌詞で、なぜ「Virgo」(おとめ座)というタイトルをつけたのでしょうか。

ミシェル:それを説明するのは結構難しい(笑)。あなたはアルバム全体をすでに聴いてくれたの?

―はい、もちろん。

ミシェル:表面的な答えになってしまうけど、(アルバム最終曲「Virgo 3」に参加している)オリヴァー・レイクとマーク・ジュリアナと私は、三人とも乙女座なの。私はこの二人に本当に助けられているし、彼らを人間として尊敬している。そして、二人の創作プロセスはすごくオーガナイズされているんだけれど、それは乙女座の性格によるものだと思う。そこまで占星術を信じているわけではないけれど、乙女座にはそういう部分がある気がする。私の誕生日はマイケル・ジャクソンやチャーリー・パーカーと同じで(8月29日)、乙女座のシーズンは台風のシーズンでもある。それを考えると、なんだか乙女座にはエネルギッシュでパワフルな何かがあると思ってしまうのよね。まずはそれが一つ。

そして、「Virgo」というトラックの最大の特徴は、ドラムのパワーを表現していること。ボーカルが入った「バージョン1」には2つのドラムパターンがあって、ベースラインが全体をまとめている。そのベースラインのおかげで、ドラマーはさまざまなイマジネーションを異なるドラムパターンで表現できるようになっているの。それがこの曲での私のアプローチだった。ベースラインという土台の上で、ドラマーにもっと即興的になってもらう。私がベースラインを与え、彼らにはそれを基盤として自由に自分自身のリズムの旅をして欲しかったから。

―「Virgo」の歌詞には古い神話を思わせる表現が見られます。例えば、古代ギリシアの神話はインスピレーションになっていますか?

ミシェル:そういう神話は頭の中にはあったんだけれど、私は、同時にそれを頭の中から追い出そうともしていた。それはそれで素晴らしいストーリーなんだけれど、私は自分自身の新しい神話を作る必要性を感じていたから、これまでにない神話を探究したかったのよね。例えば、私はその過程で、一般的なものとは異なる宇宙論を持っているマドリマ・パトリス・ソメという東アフリカの作家を見つけたりもした。ギリシャとローマ、そして西洋の神話に関しては、もう十分な気がして。だから「Virgo」では、それらとは違う他のことを試したいという気持ちの方が強かった。

―マドリマ・パトリス・ソメはどんな人なんですか?

ミシェル:彼が子供の頃、宣教師がやってきて彼を連れて行き、彼はイエズス会士として教育された。でも彼は、彼の家族と一緒に過ごすことを許され、その中で祖先崇拝に近い彼の宇宙論を研究したの。そして私は、それを理解したかった。私がそうしたくなった理由が、自分が歳をとったからなのか、今生きているこの時代がそうさせたのかはわからない。でも、祖先崇拝はとても興味深いもので、先祖が生きていた時にはできなかったような会話を彼らと交わすことができるのよね。私は、瞑想の一種としてそれを経験しているような気がする。今、私は祭壇にいる両親と、カオスになることなく一緒に長い時間を過ごしている。それによって、両親が生きていた時にはできなかったような会話を今、自分の中で両親と交わすことができているの。


マリドマ・パトリス・ソメ『ぼくのイニシエーション体験―男の子の魂が育つ時』(築地書館)

―興味深い。あとで探して買ってみます。

ミシェル:ぜひ読んでみて。もちろん今回のレコードを作るにあたって私は色々なものからインスピレーションを得ているけれど、制作中はそれを意識しているわけではなく、今語っていることはすべて後知恵。でも、今回の質問を事前に見せてもらって、何にインスパイアされたのか考え、それを見つけようとしたの。サン・ラも、素晴らしい疑問を投げかけてくれた一人だった。もしよかったら、私はサン・ラへのトリビュート・アルバムにも参加しているんだけど、そのレコードも聴いてみて。楽しんでもらえるはず。「Red Hot」のサン・ラのレコード。できるだけ自由であろうとする創造性という点で、彼からは音楽的に本当に多くのことを学んだ。でも彼は、神話が私たちにもたらしたものを見てみよう、とも話している。つまりそれは、自分たちに与えられたものに目を向けながら、同時に自分自身の声を見つけることも大切ということ。だから私は、自分なりのやり方で自分自身のマインドと心の声に耳を傾けようとしているの。


ミシェルが2曲目に参加したトリビュート作『Red Hot & Ra : SOLAR』(2023年)では、シェニア・フランサ、チガナ・サンタナなど気鋭のブラジル音楽家たちがサン・ラの作品を再解釈している

―「Virgo」以外で、このアルバムの中でサン・ラをリサーチしたことで得た影響が強く反映されている曲はありますか?

ミシェル:それに関しては、「Virgo」に勝るものはないと思う。特にオリヴァー・レイク(70年代にNYのロフト・シーンを牽引した81歳のサックス/フルート奏者)が参加した「Virgo 3」。私はあの曲をサン・ラとマーシャル・アレン(1993年からサン・ラ・アーケストラを引き継いで率いてきたサックス奏者)へのオマージュのようなものにしたかったから。そして、あの曲をライブで演奏すると、すごく解放されるの。だから、自己表現と即興を広げていくための出発点としてあの曲を使うことが多い。ライブを観に来てもらうとわかると思うけど、あの曲を演奏し始めると、サウンドがどんどん変化して違うものに進化していく。そのあたりは確実に、ソニー・ロリンズやサン・ラ、ローランド・カークに対する私の愛にインスパイアされたものだと思う。即興的なホーン・プレイヤーたちはみんな、飛び立つための土台を探している。私はそこにも影響を受けている。



サン・ラ・アーケストラによる2018年の演奏。サックス奏者がマーシャル・アレン

―前回のインタビューで、マーシャル・アレンと話す機会があったと言ってましたよね。彼とのエピソードをもう少し聞かせてもらえますか?

ミシェル:「私は自分の幸福のため、自分のウェルビーイングのために音楽を演奏するんだ」というマーシャル・アレンの言葉が大好き。そのために、ドラッグやセックス、名誉や富を得ようとする人たちもいるけれど、彼は音楽こそがパワフルなエネルギーであり、音楽はそれ以上のものをもたらしてくれると考えている。私も、それを本当に感じるようになってきた。この言葉を聞いてからサウンドをもっと尊重するようになったし、音楽の才能を尊重するようになった。それが私が彼から得た一番大きなインスピレーション。自分のやっていることのパワーと目的を理解するというのは、すごく深いインスピレーションだった。

Translated by Miho Haraguchi

 
 
 
 

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