オースティン・ペラルタ、「21世紀ジャズの特異点」がフライング・ロータスとLAジャズに遺したもの

Photo by Spencer Davies

2012年に22歳で急逝したオースティン・ペラルタ(Austin Peralta)の傑作『Endless Planets』が、デラックス・エディションで再発&初LP化。フライング・ロータスを唸らせ、彼が主宰するBrainfeederの方向性も決定づけた若き天才ピアニストの功績を、音楽評論家・柳樂光隆が徹底解説。(聞き手・構成:小熊俊哉)

『Endless Planets』デラックス版の日本盤ライナーノーツを執筆するために調べ直しながら、オースティン・ペラルタは子どもの頃からジャズピアニストとしての完成度が突出していたんだなと改めて痛感しました。とにかく演奏が巧いし、古いジャズにも精通している。

オースティンが10代だった頃のLAにも、ジャズをやりたい同世代はいたはず。でも、当時はサンダーキャットが兄のロナルド・ブルーナーと共にスイサイダル・テンデンシーズへ参加したように、それぞれが別の方向に進んでいた。そのなかで、10代にしてチック・コリアのような大物とも共演していたオースティンは憧れの的だったんじゃないかなと。

そんな彼も、『Endless Planets』の発表前には伸び悩んでいた時期があったのかもしれません。当時のライブ動画を観ると、サンダーキャットやカマシ・ワシントンなどと様々な編成/スタイルのセッションを重ねながら、既存のジャズに縛られない独自の表現を模索していたようにも映ります。


マッコイ・タイナー的なソロ演奏を披露するオースティン。途中で横切るのはカマシ、映像の終盤(4:15〜)では坊主頭のサンダーキャットも演奏


カマシとオースティンの共演

そういう試行錯誤があったからこそ、『Endless Planets』の時代を先取りするようなサウンドを確立できたのでしょう。僕も初めて聴いたときは衝撃的でした。2011年にリリースされた『Endless Planets』は「早すぎた」作品であり、これから何かが始まりそうな「序章」であり、周囲もオースティンの将来を期待していたはず。ところが、その矢先に彼は亡くなってしまった。

「あいつは自分が持っているポテンシャルを充分に発揮しないまま死んでしまった」と語っていたのはフライング・ロータス。彼がジャズの生演奏を取り入れた『You're Dead!』(2014年)は死後の世界をテーマにした作品で、オースティンを失ったことも大きく影響していたわけですが、この出来事はフライローにとって人生の転機になるほどのショックだったと思うんですよね。あのときを境に、彼の表情や発言はすっかり変わった気がします。

2012年にサン・ラへのトリビュートとして発表された12インチ「Views Of Saturn Vol.2」を聴くと、オースティンの頭のなかに我々の想像が及ばないようなアイデアがあったことがわかります。エクスペリメンタルなサウンドは、サン・ラの再評価が進む今こそしっくりくるもの。そういった生前のオースティンによる音楽を耳にしていたからこそ、フライローは彼のポテンシャルを信頼し、ジャズに傾倒していったのではないかとも思えてきます。




『Endless Planets』が出たときのインパクトについて、マーク・ド・クライヴロウを取材したとき「Brainfeederがオースティンの作品を出したときはみんなびっくりした。いきなりジャズ・アルバムが出たら驚くよね」と語っていたのも印象的です。

2008年設立のBrainfeederはもともと、実験的なヒップホップとエレクトロニック・ミュージックを融合させた「LAビート」の象徴的レーベルとして名を馳せてきました。もちろん、フライング・ロータスとコルトレーン家の血筋については話題になりましたし、カルロス・ニーニョはビルド・アン・アークを率いてLAジャズの歴史を再編するような動きを見せていましたが、2010年前後の時点で「Brainfeederといえばジャズ」と認識しているリスナーやメディアはいなかったはず。『Endless Planets』は想定外のリリースすぎて、誰もが戸惑っていたように記憶しています。

その話で思い出されるのが、オースティンが来日したときのこと。『Endless Planets』のリリースから8カ月後となる2011年10月、彼はBrainfeederのレーベルイベント〈BRAINFEEDER2〉に出演するため日本を訪れています。東京公演の会場は西麻布eleven(2013年に閉店)で、その2カ月前にデビュー作『The Golden Age Of Apocalypse』を発表したサンダーキャットとのデュオでの出演でした。フュージョンをひたすら畳み掛けるセッションで、オースティンの鍵盤も見応えがありましたし、それが深夜のクラブ空間で繰り広げられていたのも痛快でした。というのも、この夜のメインアクトは彼らではなく、トキモンスタ、マーティン、ティーブスといったDJ/ビートメイカー陣だったんですよね。

ちなみに、東京公演の前日には、新宿FlagsのGAP前にある広場でオースティンとサンダーキャットのゲリラライブも敢行されています。そのときの写真や動画を見てもわかるように、集まり具合はそこそこだったはず。同じことを今やったら大変な騒ぎになると思いますが、二人はまだ無名に近いニューカマー、というのが当時の状況でした。


2011年10月29日、〈BRAINFEEDER2〉大阪公演の様子。会場は鰻谷sunsui(2012年閉店)


2011年10月27日、新宿駅で行なわれたゲリラライブの様子

サンダーキャットは2022年の来日公演でのMCで、彼とルイス・コールを引き合わせたのがオースティンだったと語っていました。その日も披露された追悼曲「A Message for Austin」では、坂本龍一さんが作曲した「地中海のテーマ(El Mar Mediterrani)」がサンプリングされています。サンダーキャットはこの曲を盟友であるキャメロン&テイラー・グレイヴス兄弟の家で知ったそうで、「龍一はオースティンのことを知っていて、彼を尊敬していたから許可してくれたんだ」と述懐しています。坂本さんがオースティンの端正なピアノに惹かれたのは、なんとなくわかる気がしますよね。



ルイス・コールとオースティンの共演パフォーマンス

昨年発表の大作デビューアルバム『Les Jardins Mystiques Vol.1』に、生前のオースティンと録音した曲「Eudaimonia」を収録していたミゲル・アットウッド・ファーガソンは、「オースティンはとてもアップリフティングな人で、僕の良さを5千万倍に増幅してくれる存在なんだ。その人の持つ良さを色々な方向から最大限に引き出してくれる。オースティンは若くして、そういうことに長けた人物だった」と語っています。仲間たちから愛されてきたオースティンは、様々なセッションでの交流を通じて、LAのコミュニティ内外にいくつもの出会いをもたらし、シーンの底上げに貢献してきたのでしょう。もしオースティンがいなかったら、Brainfeederの歴史はだいぶ違ったものになっていたはずです。

そういった深い絆とオースティンが遺した音楽は、時間の経過とともにその価値が浮き彫りになってきました。フライローは『Endless Planets』について「俺がBrainfeederに進んでほしい方向性への第一歩」と2011年に語っていましたが、同レーベルと彼自身がジャズに踏み込み、カマシ・ワシントンやサンダーキャット、ルイス・コールが成功していく状況を生み出した最大の転換点が、他ならぬオースティンであったことが今ならよくわかります。



ミゲル、サム・ゲンデルとオースティンの共演パフォーマンス

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