REBECCA、DREAMS COME TRUEのデビュー・アルバムから読み解く女性のロックのはじまり

ウェラム・ボートクラブ / REBECCA

作詞が木暮武彦さんと有川正沙子さん、作曲が木暮武彦さんですね。1984年5月に発売になったデビュー・アルバムは6曲入りなんですけども『VOICE PRINT』の中からお聴きいただいています。

冒頭でデビューしたときから輝かしい実績を残せた人と、そういう始まりではなかった人と申し上げましたが、REBECCAは後者の方でしょうね。彼らは1983年8月にCBS・ソニーオーディションに受かってデビューしているんですけども、あらためて当時の資料を見てましたら、1987年1月に武道館で6日間ライブをやっているんですね。女性ヴォーカルのバンドが武道館で6日間のライブをやるのは初めてだった。プリンセス・プリンセスはまだ売れてませんからね。そのステージでNOKKOさんが当時の話をしているんです。「きっとみんなお涙頂戴のライブハウスの話をすると思うでしょう、もっと暗い、悲しい物語があるの」って。どんな話かと言うと、この曲を後楽園のドン・チャックホールというところで歌ったんですって。ドン・チャックというのはテレビで人気があったぬいぐるみ。ドリフの番組のような西部劇のセットの前で、ドン・チャックと対バンしたんですって。お客さんが2歳から4歳の子どもで、NOKKOが叫ぶとお客さんが泣いた。こういう話をあまりしたくないのよねとか言いながら、していました。

REBECCAは当時、メンバーがギター・木暮武彦さん、キーボードが土橋安騎夫さん、ベースが高橋教之さん、ドラムが小沼達也さん。オーディションも1回不合格だったりしたんですね。今の「ウェラム・ボートクラブ」もテクノ・ポップみたいな感じでしょう。プラスチックスとかP-MODELとかそういう流れの中にあった。つまり、ガールズ・ロックという言葉がまだなかったんですね。ドリカムのデビューの5年前です。デビュー・アルバム『VOICE PRINT』からお聴きいただきます。「蒼ざめた時間(The Nightmare)」。

蒼ざめた時間 (The Nightmare) / REBECCA

作詞がNOKKOさんで作曲が木暮武彦さんですね。さっきのDREAMS COME TRUEとREBECCAとのデビューの違い。時代が違います。彼らがやろうとしている音楽を周りがちゃんと受け止めることができるようになっていたのが1989年ですね。REBECCAはロックをやろうとしたんですけれども、女性がロックをやることに対してまだ業界が追い付いていなかった。

NOKKOさんは埼玉県の浦和市の出身で、埼玉で一番の進学女子校に通っていたんですけど、浦和にロックンロールセンターという広島のフォーク村みたいな地元のロック集団があって、ロックが好きな人たちが独自の活動をしてました。四人囃子とか安全バンドはそこにいたんですけど、お兄さんがそこのメンバーだった。NOKKOさんはもともとバレリーナになりたかったんだけど、日本でバレリーナは将来性がないからもっと自由に表現ができるロックをやりたいと言って、バンドを始める。REBECCAに入る前に彼女はDOLLというガールズ・バンドを組んでますね。メンバー募集の告知も彼女が手作りで作って集めたんですね。それはすぐになくなってしまって、REBECCAに入るんです。当時NOKKOさんの憧れがカルメン・マキですからね。REBECCAになったときも、ソロで誘われたりしている。でも、私はバンドがやりたいんだと言ってそういう誘いに乗らなかった。1984年は『VOICE PRINT』ともう1枚『Nothing To Lose』という2枚の6曲入りのアルバムが出ているのですが、2枚目のアルバム『Nothing To Lose』が転機になるんですね。木暮さんと小沼さんが脱退して、土橋安騎夫さんがバンドのリーダーシップをとるようになる。そこからバンドが変わっていきましたね。土橋さんが書いたシングルが2枚目のシングルです。1984年11月に出たこの曲「ヴァージニティー」。

ヴァージニティー / REBECCA

作曲が土橋安騎夫さんなのですが、作詞が宮原芽映さん。シンガー・ソングライターとしてデビュー3年目で他の人に詞を書くようになって、REBECCAと組むのは初めてですね。その後のREBECCA、僕らが知っているREBECCAは土橋さんの曲の持つ浮遊感。メルヘンの香りがあるヨーロピアンなダンスビートがNOKKOさんの踊りを彩っていくという、REBECCAはここから始まっていますもんね。それまではロックへの気負いというか、どこかぎこちない感じがある。肩に力が入っている。そういういろいろな意見がバンドの中で一致しなかったんでしょうね。

木暮さんと小沼さんが抜けて、ギターの古賀森男さんとドラムの小田原豊さんが加わって新体制になるんですね。この後に1985年4月に3枚目のシングル『ラブ イズ Cash』が出て、5月に3枚目のアルバム『WILD & HONEY』が出て、10月に『フレンズ』。この変わり方ですね。メンバー同士がなかなか一致できない、意見が合わないということを克服した。NOKKOさんと木暮武彦さんはそもそもの浦和ロックンロールセンターの仲間ですからね。そのバンドがバラバラになる、ひょっとしたら解散しなければいけないというところまで追い込まれた。一番胸を痛めたのはNOKKOさんでしょうね。それを土橋安騎夫さんがNOKKOさんの個性を上手く活かせた。こうやって転機を乗り越えて、バンドは大きくなっていくんだなという、これも1つのいい例でしょうね。

1985年11月4枚目のアルバム『REBECCA Ⅳ~Maybe Tomorrow~』が出て、これが初めて10曲入りのアルバムなんですね。で、チャート1位になりますね。僕も「フレンズ」ですよ。少女漫画の吹き出しに「REBECCAの新曲聴いた?」 「フレンズ」っていう台詞があって、えっ、今そんなふうに聴かれているんだというふうに思ったことが、REBECCAをちゃんと見直すきっかけだった。業界の人間というのはそういうものなのかもしれませんが、当時からずっとREBECCAを聴いていた人もいらっしゃると思うので、そういう人たちはこのへんの変わり方に胸を痛めながらNOKKOを応援していた。手に汗を握りながらREBECCAを見ていた、そんな時期なんじゃないでしょうか。アーリーストーリーというやつですね。この後から大爆発していきます。

Rolling Stone Japan 編集部

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