サマソニ生みの親が語る、静岡愛と人生の話「誰にでもチャンスはある」

クリエイティブマン代表取締役社長・清水直樹氏



生の魚を出すのはフェスでは非常に困難だけど、だからこそ価値があるかなと

―東京に出て何か形になるものを作り、ある程度キャリアを積んで実績もできると、地元に何か恩返しってよく言うじゃないですか。


清水:それはもちろんあって、一番大きいのが静岡の清水で始めた『マグロック』と『フジソニック』。どんどんレコード屋さんがなくなってきて、音楽と近い環境ってなくなってきたでしょ? 静岡って昔は洋盤屋があって、そういうお店がなくなるって時に、音楽の芽が静岡からどんどんなくなっていくのはすごく寂しいなと感じていた。

静岡朝日放送という、SUMMER SONICでプロモーションを手伝ってくれた人たちと番組を作る中、「静岡で何かフェスができないかな」と言われた時にいち早く動いて。フェスのアイデアは絶えず頭で考えているから、清水のマリンパークはすでに構想としてあったんだよね。横浜の赤レンガにもすごく似てるし、あそこのドッグヤードが使えるなと思って。“だったらあそこでやってみない?”っていうアイデアをパッと出して、そこからフェスが始まったと。

―実際に始めてみて反響はどうでしたか?

清水:フジソニックは静岡がテーマで静岡出身の人に出てもらうってことで、電気グルーヴも吉井和哉さんもLOVE PSYCHEDELICOも初回に出てくれて。静岡の人は静岡愛があるから、気合いも入っていたしお客さんも暖かく迎えてくれてやって良かったっていう充実感があったんだよ。でもその次を考えた時に、静岡出身で括るとなかなかアーティストがいないことに気づいて(笑)。今は逆にフジソニックは少し休んで、マグロックを通じて静岡の人たちがロックを楽しみ、次世代のバンド人口が増えればいいなっていう考えに変わってきた。次の世代に何を残せるのか、地元に貢献できるギリギリまでは続けていきたいですよね。

―サマソニの焼津マグロ丼は、静岡ならではの名物ですよね。

清水:フェスを続けていくとフェス飯もすごく重要になってきて、自分もフジロックに行ったらもち豚を楽しみにしていたり、ロック・イン・ジャパン・フェスティバルだったら焼きハムがあるわけじゃない。俺たちは何だろう?と思った時に幕張にはなかったんだよ。そこでじゃあ地元の焼津のものを持ってきちゃえと、マグロの卸をしている義理の兄に相談して、一回やってみるかってなった。生の魚を出すのはフェスでは非常に困難だけど、だからこそ価値があるかなと思って3大フェス初のマグロ丼が始まったんだ。やるとやっぱり自分の兄弟だし、変なものを出せないから気合いを入れていいものを出してくるわけ。そりゃ美味いもんだからやっぱり話題になって、それから“SUMMER SONIC=マグロ丼”が定着して名物がサマソニに生まれた。

―義理のお兄さんがロックフェスにお店を出すのはサマソニが初?

清水:初だね。それで彼らも仕事としてのケータリングや出店のノウハウができたから、それ以降は静岡の中でもマラソン大会やフードフェスに出店したり、そのきっかけにはなったみたいだね。

―いい話ですね。フェスを起点に文化が派生していくというか。

清水:そうだよね。ロッキング・オンの渋谷さんと一緒に仕事させてもらっているのを見てると、雑誌社が年間何本も大きいフェスをやりつつ、フードフェスを始めたり、Tシャツ事業もしているわけじゃん。それはフェスから発生した新たな食フェスだし、Tシャツを売り出すってフェスTシャツから来てるわけだよね。だから、フェスを始めてそこからいろんなビジネスが派生していって、人を巻き込んでいくのが面白いよね。それだけのものがフェスの中に隠されていた。誰も気づいていなかったけど、やっていくうちに派生したっていうのがね。

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