殺人鬼チャールズ・マンソンの歪んだビートルズ愛「この音楽は無秩序な力を引き起こす」

マンソンが語った人種闘争=ヘルター・スケルター

マンソンは後年、ビートルズに傾倒していたという説を否定するようになったが(「俺はビング・クロスビーのファンなんだ」と1985年に宣言――だが、60年代初期にマンソンと同じ房にいた囚人らは、彼がビートルズに取り憑かれていたと証言している)、信者らとはビートルズについてイヤというほど話してきたので、ビートルズでもっとも実験的なアルバムに対する彼の曲解は裁判中ずっと話題にのぼっていた。バグリオシ氏が刑事起訴されなかった者も含め、マンソン・ファミリーのメンバー数名に話を聞いてみると、ホワイト・アルバムにもとづく彼の教義や、世界の終末を描いた『ヨハネの黙示録』と無理やりこじつけていたという説明が、どれも一貫していたことが判明した。

「この音楽は革命を、体制を覆す無秩序な力を引き起こしている」と、1970年マンソンはローリングストーン誌に語っている。「ビートルズは潜在意識下で(この後の展開を)知っているんだ」

「チャーリーは初めから、ビートルズの音楽が重要なメッセージを――我々に向かって――発信していると信じていました」。マンソン・ファミリーのメンバーだったポール・ワトキンス氏は自著『My Life With Charles Manson』の中でこう書いている。「彼は、ビートルズのアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』が自分の哲学の本質を表現していると言っていました。基本的にチャーリーの目的は、我々全員を服従させるようプログラムすることでした。自我を捨てさせること。精神的な意味では高尚な目的です。物質主義に走った退廃的な文化に生きる反逆者だった我々は、すんなり受け入れたのです」

マンソンがホワイト・アルバムを知ったのは1968年12月。凍えるようなカリフォルニア州の砂漠地帯を逃れ、ロサンゼルスに一時滞在していた時だった。大晦日にデスヴァレーに戻った彼は、仲間たちにアルバムを聴いた感想を聞いて回った。「ビートルズの言ってることに気づいたか?」。バグリオシ氏の著書『Helter Skelter』にもあるように、ファミリーのメンバーの1人ブルックス・ポストン氏は、マンソンから質問を受けた時のことをこう振り返っている。「ヘルター・スケルターがやってくる。ビートルズははっきりそう言っているんだ」。ワトキンス氏いわく、この頃からマンソンは来る人種闘争を“ヘルター・スケルター”という言葉で表現するようになった。「ニグロたちがやってきて、街をずたずたに引き裂くという意味です……ヘルター・スケルターを持ち出す以前は、チャーリーが気にしていたのはお祭り騒ぎだけでした」

Translated by Akiko Kato

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE