横浜銀蝿オリジナルメンバーで完全復活、吉田豪と語る「再会」の舞台裏

過小評価された独自のサウンド 「コード3つしか知らねーし」

ーとにかく横浜銀蝿はポジションが独特だったと思うんですよ。

そうだね。同じようなのがいなかったし。

ーライブハウス的なシーンから出てきたわけでもないし、そのせいか音楽誌で扱われてきた印象も薄くて。

本当にそうだね、ミュージシャンっぽくないもんね。不良音楽楽団(笑)。こんなにヘタな俺たちでもビッグになれるんだぜ、みたいなのがコンセプトで。 細かいことより、せーのでジャーン! だよね。ドンと音を出して、この風体でドカンと歌って、みんながオーッ! ってなったら、それが銀蝿だっていう意識はかなりあったと思う。

ーちょうど時代的にも、日本のパンクムーブメントだったんじゃないかって思ってたんですよ。革ジャンを着て、3コードのロックンロールで、短い曲だらけのアルバムを出してたところとか。

パンクと見る人もいるんだろうけど、俺たちのなかではロックンロール。チャック・ベリーの楽曲をビートルズがカバーしたように、50年代のロックンロールを自己流でアレンジして、日本語で歌うスタイルだよね。最初の頃は「コード3つしか知らねーし」ぐらいのノリだったし。

TAKU アルバムの歌詞カードにコードが振ってあったもんね。

そうそう、「教科書みたいなアルバムにしようよ」って事務所とも話していて。銀蝿の歌だったらギターを始めたばかりでも、3つのコードを覚えたら一緒に歌えるようにしたかったから。「メジャーセブンスやサスフォーってなに?」みたいな感じだ よね。

ー音楽雑誌とか評論家からの評価の低さに対して、思うところはなかったんですか?

全くない。むしろ逆に、湯川れい子さんが「ツッパリHigh School Rock’n Roll」を出したときに新聞でコラムを書いてくれて。「ストレートでシンプル、こんなに簡単なことで人が楽しめる音楽ができるだなんて素晴らしい」みたいな内容だったと思う けど、読んだらもううれしくなっちゃって。それから湯川さんが大好き!

TAKU デビューシングル「横須賀 Baby」のB面が「ぶっちぎり Rock’n Roll」、その次に出した「ツッパリHigh School Rock’n Roll」のB面が「I Love 横浜」で、どっちのB面曲もコード進行が一緒なのよ。ABBA みたいな。そこを評論家が指摘して、「もう一つコードを覚えれば10年持つぞ!」みたいなことを書いていたのは覚えてる。面白いこと言うヤツだと思った(笑)。

俺、叩かれた記事は見たことない。悪いことを書かれてたのかもしれないけど、全く気にしてなかったんだと思う。

ーただ、音楽誌はキャロルとクールスの二組は評価するけれど、銀蝿はあまりにも軽視されてきた気がするんです。

TAKU 逆になんで低いんだろう。たしかに、音専誌では評価されてないじゃないですか。

そっか......そうだね。ただ、誰かに評価されな くても、俺はJohnnyが天才だと思っていて。メロディメーカーとしてもすごいし、それまで3コードしか出てこなかったときに、A→G#m→C#mで「横須賀 Baby」を弾き出したときは「何それ !?」みたいな感じだった。メロディラインにも感動したし、歌詞もよかったな。俺とJohnnyが遊んでたときに、横須賀の女子高生が不良に絡まれてるのを助けたわけさ。それが絶世の美女で、Johnnyがすっかりベタ惚れして。助けたあと家まで送ってあげたんだけど、向こうはそんな気もないし、携帯電話もない時代からそれで終わってしまって......あのあと、何もしてねえよな?

Johnny してないよ(笑)。

sample
Photo = OGATA 衣装協力:LIUGOO 左からTAKU(Ba)、嵐(Dr)、インタビュアーの吉田豪 、翔(Vo)、Johnny(Gt)

そんな一夜が、俺とJohnnyのなかで鮮明に残っていて。「こんな曲ができた!」って言ったとき、「横須賀 Baby」のくだりは絶対あの子のことだ! と思い、そこから詞を膨らませて作っていった。俺たちのオリジナルっていうのは、学校で習ってきたことや軽音の人たちがやってるものとは順番が逆で。ギターをガチャガチャ弾きながら、どこかから拾ってくるのではなく、俺たちの実体験からイメージを膨らませて、言葉がくっついて出来上がってきたものだから。

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