ジョン・ブライオン『Meaningless』20周年 名プロデューサーの「隠れた名作」を振り返る

エリオット・スミスやエイミー・マンとの関係

ブライオンが自分のアルバムを作ろうと思い立ったのは30歳代も終わりに近づいた頃で、既に長年に渡り音楽業界でのキャリアを積んでいた。彼はザ・バッツやザ・グレイズなどのバンドでプレイしたこともあり、また多くのセッションワークをこなし、エイミー・マンらアーティストのプロデュースも行ってきた。さらに映画音楽にも能力を発揮し、1999年公開の『マグノリア』ではグラミー賞にもノミネートされた。しかしラヴァ・レコードの代理人がロサンゼルスのラーゴにあるブライトンの自宅を訪れた時、彼のソロアーティストとしての秀でた才能が浮き彫りになった。

「90年代は何となく二極化していた気がする。僕にとってそれはそれでよかった」とブライオンは言う。「90年代はある意味で、60年代に近かったと思う。“OK、誰もニルヴァーナが大成功するなんて予想もしなかったぜ”という感じでね。その後すぐにベックのようなクリエイティブなアーティストがメジャーと契約し、大いに成功した。当時の音楽業界は、“いったい何が受けるかわからないから、とにかく手当たり次第に契約しよう。ばら撒くお金はある。とにかくヒットすれば成功だ”という感じだった」



ブライオンには、ソロ名義のアルバムを作るだけの楽曲のネタはいくらでもあった。しかしそれまでは、ソロアルバムをリリースしようという気は全くなかった。彼の音楽制作はむしろ純粋な習慣であり、生活の一部だった。「楽曲作りをする人間には誰にも当てはまることだと思うが、完全なものを作れた上に、ましてやヒットさせるなんて夢のまた夢だ」とブライオンは言う。「大概は実現しない。距離を置くことと積極的に関わることの繰り返しだ。これら二つの相反する状況は、人生の中で常に起きている。たまたま僕がソロ契約して、(持っていた曲を集めて)アルバムを作らねばならなくなったのが、正にその実例だと思う」

ブライオンはアルバムの契約金で機材を揃え、自宅にスタジオを作った。ここで彼は、『Meaningless』に収録した11曲中10曲のヴォーカルと各楽器をレコーディングした。「正に理想的だった。朝起きてお茶を飲んだらパジャマのままスタジオへ行き、ドラムを叩き始める。とても快適で、その時は夢のようだった」と彼は言う。唯一「Trouble」には、彼以外にジム・ケルトナー(ドラム)、ベンモント・テンチ(ピアノ)、グレッグ・リース(ペダルスティール)の3人のミュージシャンが参加した。「Trouble」は憂鬱な霧の中に流れるオーケストラ的なポップ曲で、ブライオンの友人だったエリオット・スミスが複数回カバーしたのも頷ける。



『Meaningless』にはマンとの共作で、ブライオンが「約束を恐れる者の賛歌」と呼ぶ「I Believe She’s Lying」も収録されている。破れた恋愛をテーマにした最もファンキーな楽曲で、かつてのカップルによる絶妙なコラボレーションがよく表現されている。マン曰く、ブライオンのひらめきは素晴らしく、彼女自身は彼のアイディアを形にするのが得意だという。

「このやり方でいつも一緒にやってきた」とブライオンは言う。「どちらか一方が曲を書き始めて行き詰まると、相手に “これどう思う?”と聴かせてみるのさ。すると必ず相手から的確な答えが返ってくるんだ。時には本当に素晴らしいアイディアを出してくれることもあるが、少なくとも立つべきスタートラインのヒントを与えてもらえる。この曲の場合、僕が曲を作って歌詞を半分ぐらい書いたところで行き詰まっていた。彼女は歌詞を読むと大笑いして、とても素晴らしい提案をしてくれた。“私たちが約束を交わした瞬間に、私たちは過ちを認めたことになる”と言う歌詞は、彼女のアイディアさ」

Translated by Smokva Tokyo

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