ラウ・アレハンドロがもたらす新たな多様性 ポスト・レゲトンへと突入するラテン音楽の今

ラウ・アレハンドロ(Photo by 90th Shooter)


レゲトンブームがもたらした画一化

2010年代前半に起きたレゲトン旋風は当初大歓迎された。「祝福と言ってもいいほどでした」とセルーシは言う。「なぜならレゲトンがラテン諸国の若者たちをひとつにしたからです」。結果、ヒットの規模はかつてないほどの大きさとなった。「休眠状態にあったアーティストたちも大々的にカムバックを果たしました。カルロス・ヴィヴェス、リッキー(・マーティン)、シャキーラ、マルーマ、そしてルイス・フォンシ。レゲトンがキャリアを再起動させたのです」。




それぞれのスタイルやサクセスストーリーを持つ幾多の地域に分かれていた市場は、突然レゲトンを玉座に抱くひとつの王国へと統合された。「あらゆる国のチャートが開放され、トップ10はレゲトンに占拠されました。そして、どの国でも同じ顔ぶれのアーティストが並ぶことになったのです」。セルーシは語る。

言うまでもなく、ポピュラー音楽のある様式が次第に画一化していくことを避けることはできない。ギターループが多用された最近のヒップホップ、ドレイクのモノマネに長年執着するR&Bシンガー、あるいは、猫も杓子もトラヴィス・バーカーをプロデューサーに迎えたがる若く挑発的ロックアーティストたちを思い起こしてみればいい。あるジャンルがポップミュージックのピラミッドの頂点に立つとき、他のジャンルのアーティストたちは両手を握りしめ、業界の熾烈な争いの中でチャンスが奪われていくのを不安とともに見守ることとなる。

とはいえ「ラテンミュージック」はジャンルではない。それは、アメリカの音楽業界が使う、呆れるほどにざっくりした概念であって、そこではバンダからトラップのいたる間の多種多様な音楽スタイルはすべて捨象される。ラテンミュージックをレゲトンと同義とすることは、その他の注目すべきパースペクティブやリズム、メロディを酸素不足に陥らせ、死にいたらしめる危機をもたらす。マネージャーのファン・パスは2018年にローリングストーン誌にこう語っている。「すべてがモノカルチャーになるとき、アーティストの創造性は危機に瀕する」。

何百万もの再生回数を誇るアーティストのなかには、1曲か2曲をレゲトンの覇権を無視することに費やすものもいる。オズナはベストアルバムで説得的なクンビア・フュージョンを披露し、J・バルヴィンはキューバ音楽をサンプリングする一方で、アフロビートにも挑んだ。「Toda」のリミックスや、パロマ・マミのブレイクをもたらしたシングルにはR&Bがゆらめき立っていた。バッド・バニーは、最初の2枚のアルバムでトラップからスラッシュ・ロックへとアグレッシブなジャンル・ピボットを披露した。こうした曲はときに単なる賑やかし以上の効果をもたらし、レゲトンの向こうに広がる世界に踏み出す意思を示すものとなった。



けれどもコマーシャルなヒットシングルとなると、そこにバラエティを見出すことは途端に困難になる(唯一の例外は、J・バルヴィンとニッキー・ジャムによる至高のヒット曲「X」で、これはスリナム生まれでオランダを拠点とするプロデューサーデュオ「Afro Bros」を共同プロデュースに迎えてアフロビートやハウス・ミュージックを取り入れた艶やかなフュージョンだった)。伝統的なフラメンコをエレクトロニック・ミュージックとR&Bのフレームに接続させ、独自のハイブリッドを生み出したロザリアのようやシンガーでさえ、商業的な成功を収めるためには「Con Altura」のようなド直球のレゲトンをつくらねばならなかった。



「今のラテン音楽は、みんな同じに聴こえる」。スペイン語ポップス史における最も有名なアーティストのひとり、エドゥアルド・"ビジタンテ"・カブラは、2018年にローリングストーン誌にそう語っている。「全部同じハーモニー、同じアレンジ、同じキーじゃないか」。

レゲトン作品で知られるプロデューサーたちも、ヒットを生むためには個性を犠牲にしなくてはならないことに気付いている。レゲトンのベテランプロデューサーで現在あらゆるジャンルで活躍する敏腕ビートメーカー、マルコ・"タイニー"・マシスは言う。「『すでにうまくいくことがわかっていることをやろう。尖ったことはやめておこう。どうせリスナーはわからないんだし』と、アーティストやレーベルの決定権者たちが恐れを示した瞬間、彼らが私たちプロデューサーに何を要求してくるかは、言われなくてもわかります」。

Translated by Kei Wakabayashi

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