リンゴ・スターは81歳で絶好調 最新EPにビートルズ時代、ビリー・アイリッシュまで語る

リンゴ・スター(Photo by Scott Robert Ritchie)


「ロック・アラウンド・ザ・クロック」と15歳の記憶

ー新作にはあなたの50年代のルーツに立ち帰る曲もあります。どういういきさつで「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を歌うことになったんですか?

リンゴ:考えていたんだ――ただ座って物思いにふけることがあるだろう――15歳のときのこと、病院に入院していた年のことをね。入院中に14歳の誕生日を迎えたんだが、15歳の誕生日が近づいてきて、病院で誕生日を迎えるのはいやだと思った。医者に相談して、おふくろが頼み込んで退院させてもらった。誕生日の2週間前に退院して、継父とロンドンに行って、そこで継父の家族と1週間過ごした。それからリバプールの祖父母の家に戻った――親父は3歳の時に出て行ったから、祖父母がおふくろと一緒に俺を育ててくれたんだ。みんなでマン島に連れて行ってくれた。ちょうど『ロック・アンド・ロール/狂熱のジャズ』が上映中だったので、映画館に連れて行ってくれた。休みの日に賑わうような場所で、誰もが楽しんでいた。天気の悪いフロリダみたいな感じさ。

そしたら観客が映画館で大暴れしたんだ! 座席を引きはがして、投げつけて、喧嘩したり。「ワオ!」――俺は退院したばかりだったからね――「ワオ! 世の中変わったな!」って感じさ。わかるだろ? 本当にすごかった。ご覧の通り、その時のことは一生ずっと心に残っている。それでビリー・ヘイリーのことが頭に浮かんで、「そうだ、『ロック・アラウンド・ザ・クロック』をやろう」って思ったんだ。

ビルは父親みたいなタイプだったろう。だからみんなエルヴィスとかエディ・コクランとかバディとか、ビルの後に出てきた連中のほうが大好きだった。とにかくビルは父親みたいなタイプだったからね。でも「ロック・アラウンド・ザ・クロック」ではいい仕事をしていた。



ー退院した後、若者が劇場で大暴れする新世界にやってきたわけですね。

リンゴ:ああ、そうさ! 1年も寝たきりだったんだから。(甲高い声で)「やっと良くなった!」 アメリカ万歳――アメリカがストレプトマイシン(抗生物質)を発明してくれたおかげだ。俺は結核だったから、リバプール郊外のハスウェルにある温室に入れられた。木々が生い茂って風が吹きこんでくるような場所だ。あるのは窓とストレプトマイシンだけ。そこに何カ月も寝そべってなきゃいけなかったんだ。特別な日にはベッドから出してもらって、椅子に座ることができた。「ああ、椅子に座っていられる!」

ーいつかビリー・ヘイリーと同じくらい有名になるぞ、と決めたのもその時ですか?

リンゴ:いや、ビリー・ヘイリーのようにビッグになるとは考えもしなかった。「映画に出てくる奴らみたいになる」とは思ったが、結局テディ・ボーイ止まりだった。

ー観客があなたに熱狂して大暴れようになるまでに、そう時間はかかりませんでしたね。

リンゴ:そうなんだ、すごくないか? 乱闘はそんなになかったと思う。悲鳴はたくさんあがっていたが、大暴れはしていなかったよ。

Translated by Akiko Kato

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