LOUDNESSの高崎晃が語る、80年代メタル全盛期と世界進出

LOUDNESSのギタリスト、高崎晃(Photo by Yulia Shur)



LOUDNESSの世界進出

ー世界から注目されるきっかけはあったんですか?

高崎晃 当時はLPしかなかったけどね。そういうのを伊藤政則さんとかがアメリカのラジオのDJに送ったりとかいうのもあったと思うし。あとは、口コミですよね。ラジオのDJがLOUDNESSの「SPEED」をかけてくれて、その影響でLAの会場がすぐにいっぱいになったりとか。ラジオは当時大事でしたね。アメリカは車社会じゃないですか。みんな車の中でラジオを聴いてるんですよ。生放送だから、その時の時間帯とか天気によって、それに合った曲をかけるんです。ベイエリアで朝焼けの時にジャーニーをかけられたら、そらええわみたいなの、あるじゃないですか(笑)。日本の音楽を向こうで聴くと、テンポとかノリが、何か速く感じることが多いでしょ。



ー詰め詰めに聴こえますね。音数も多すぎますし。

高崎 それも向こうのエンジニアによく言われたんですよ。日本の音楽は詰め込みすぎてるっていう感想を言われたことがありますね。

ー今の話のように、世界標準の音楽を目指して、実際に海外に出た時に、改めて気づかされたことはありますか?

高崎 もう少し時代が進んでから、レコーディングをしてた時なんですけど、ギターソロのパートを前もって作曲しておいて、それで作曲した通りに完璧に弾いて、「よっしゃ出来た」と思った時に、プロデューサーの一人から、「スゴいやりたいことはわかったし、それはそれでパーフェクトだと思う」って言われて。けど、「アキラ、何も考えないで一回、感じるままに弾いてみれば」みたいなことをポンと言われたんです。それぐらいから、もっと修行をしていかなあかんなと思うようになりましたね。

ーそれって、めちゃくちゃ大きいですよね。

高崎 大きいですね。それから、自分が80年代まで構築してきてたスタイルを一回ゼロにして、もう一遍自分のギター・スタイルを作り上げようってなったんですよ。細かいことよりも、もっと広い目で音楽を見た時に、そのバンドに何が足りないのとか、ここをこうしたらこのバンドはもっと良くなるとか、それを客観的に見れるようになった時に、成功への扉が開かれていくんですよ。

ーアトランティックとの契約はどのようにして決まったのですか?

高崎 その前に、初めて俺らでアメリカ・ツアーに行ったんですよ。サンフランシスコで初めにライブを3~4本やって、その頃にメタリカの連中とも出会ったし、ベイエリアのスラッシュ・メタルの連中もたくさん観に来てくれてましたね。後になって、「あの時観に行ってた」って、会う人、会う人に言われたツアーだったんですよ。

ー90年代に高崎さんと六本木で飲んだ時のことを思い出すんですが、バーにメタリカのラーズ・ウルリッヒがいて、向こうから高崎さんに挨拶に来たことがありましたね。

高崎 彼もLOUDNESSが好きで観に来てくれてた一人だから。メタリカは本当スゴくいい連中で、自分たちのコンサート・パンフレットにも、メンバーが「好きなアーティスト」のところに「LOUDNESS」って書いてくれてたんですよ。

ーメタリカからはメンバー加入のオファーがあったらしいですね。

高崎 メタリカがメジャーになる直前ぐらいで、デイヴ・ムステインが抜けた時かな。その頃にうちのマネージャーから、「高崎、アメリカのバンドがメンバーに入れへんかと言うてんで」って、テープを渡されたことがあるんですよ。カセットテープには「METALLICA」って書いてあって。「何やこれは?!」言うて。その頃は全然知らなかったから。

ーメタリカ加入については検討したんですか?

高崎 いや、全然。LOUDNESSでやる気満々の頃やったし。そこに一人で身を預けてサンフランシスコに行くという勇気は当時なかったですね。自分でやりたいこともできつつあったんで。

ー契約したアメリカのレーベルですが、当時のアトランティックと言えば、レッド・ツェッペリンを始め、そうそうたるバンドを抱えていた、当時のロックの最高峰のレーベルじゃないですか。

高崎 元々はジャズ、ブルース、R&Bの老舗で、レッド・ツェッペリンがいてたっていうだけでも、俺らからしたら、雲の上の存在のレーベルやから。それもさっき言った、シスコでライブをやって、その後にロスでライブをやったのがきっかけだったんですよね。けどね、ロスまでの移動が車で12時間とかかかるんですよ。その夏は死ぬほど暑かったんで、もうやめようか言うてたんですよ。マネージャーもしんどいし、ちょっと弱気になってて。今回はシスコだけにして、ロスをキャンセルしようかってなって。ロスの小屋に電話をしたら、「何を言うとんの。ソールドアウトになってるから、来てもらわな困るで」って言われて。それで、ロスでライブをやったら、アトランティックのA&Rのニック・ ロフトっていう男が観に来てて。そこから契約につながっていったんですよね。そのロスのライブは、後に有名になったミュージシャンがいっぱい来てましたね。モトリー・クルーも来てたし、イングヴェイ・マルムスティーン、ポール・ギルバートも来てたし。スラッシュも最近会うた時に、観に来てたって言うとったね。

ーその時すでにLAでもLOUDNESSは話題になっていたんですね。

高崎 そうかもしれないですよね。何か日本にそういう元気なバンドがおるって。何でこんなに知らない国で人が集まるのか不思議やったけど。

ーそんな感じだったんですか?!

高崎 2000人ぐらい入るライブハウスがソールドアウトになって。もう1日やってくれって言われたんですよ。

ーよく日本のバンドが海外に行った時に、人種の壁、言葉の壁、文化の壁を感じたっていう話を聞くんですが、LOUDNESSは最初からそういう壁なんて関係なくウケていたんですね。

高崎 ロスではパラディアムでもやったんですよね。アトランティックからレコードが出て、自分たちがヘッドライナーで、同じアトランティックのマリスとウォーリアーを前座につけてやったんですよ。それも大盛況で、4000人入るところが満杯になって。そのあたりから88年ぐらいまでは、アメリカ、ヨーロッパではメタルがスゴい時代になりましたね。どこの国からもメタル・バンドは出てきたし。ちょうど83~84年が世界的にヘヴィメタルの幕開けですよね。

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