ビリー・ジョエルのソロデビュー50周年、「ピアノ・マン」が生んだ永遠の名曲を振り返る

80年代前半、時代の変化にもアジャスト

初の全米No.1シングル「ロックンロールが最高さ(It’s Still Rock And Roll To Me)」を含む『グラス・ハウス』(1980年)では、ロックンロール路線へと大胆に方向転換。エルヴィス・コステロなどの影響からパワー・ポップへの接近を見せる一方、最新のシンセサイザーもたっぷり使ってイメージを刷新する野心的なアルバムだった。本作から「ガラスのニューヨーク(You May Be Right)」を変名の嘉門雄三名義でカバーした桑田佳祐は、日本でシングルに選ばれた「レイナ(All For Leyna)」を絶賛している。



バイク走行中に大怪我をして入院、妻エリザベスとの離婚と、問題だらけの時期に制作した『ナイロン・カーテン』(1982年)は、初めて社会的なテーマに向き合うシリアスなアルバムになった。奇しくも同年に問題作『ネブラスカ』をリリースしたブルース・スプリングスティーンとビリーは、共に1949年生まれ。盤石と思われていた大国アメリカの“闇”の部分に触れる作品を2人が同じ時期に発表した背景には、東西冷戦が続くレーガン政権への不安があった。

このアルバムからの1stシングル「プレッシャー」のMVは、それまでの彼のイメージを一新する、SF仕立てのシリアスな内容だった。悪夢的な場面の連続は、ピーター・ガブリエル「アイ・ドント・リメンバー」(1980年)のMVや、スタンリー・キューブリック監督の作品を参考にしたものだろう。この辺りから、ビリーのMVはMTV時代をはっきり意識した作風になっていく。



ジョン・レノン射殺事件のショックを反映、後期ビートルズの影響が表面化した『ナイロン・カーテン』だったが、続く『イノセント・マン』(1983年)は50s~60sのアメリカン・ポップスに対するオマージュで統一されたコンセプチュアルなアルバムに。やがて妻になるスーパーモデル、クリスティ・ブリンクリーとの恋に刺激され、数週間のうちに全曲を書き上げたという。2曲目の全米No.1シングル「あの娘にアタック(Tell Her About It)」はモータウンへのオマージュ。全米3位まで上昇した「アップタウン・ガール」は、フォー・シーズンズの形式を拝借しながら、独創的な転調を繰り返す構成でソングライターとしての技量を見せつけた。こうした換骨奪胎の手法に、一時ライターとして音楽誌に寄稿していた時期もあるビリーならではの音楽史観が透けて見えるように思うのだ。ビデオ作品としての楽しさも「アップタウン・ガール」のMVは群を抜く。50s的でありながらブレイクダンスもフィーチャーした内容は、オールディーズを80s的視点で再定義した『イノセント・マン』のコンセプトと合致していた。


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