ロードとデイヴィッド・バーンが語る、表現者としての葛藤とソングライティングの秘密

明快さと謎めいた部分のバランス

バーン:君に聞きたいことがあるんだ。私は具体的なトピックを曲にできる人のことが羨ましいんだけど、新しいアルバムに収録されてる「California」で、君は Laurel Canyon Country Storeに言及しているよね。私は80年代半ばにあの辺に住んでいたから、あの店には馴染みがあるんだ。よく食材やピザを買いに行ったよ。

ロード:ピザが美味しいんですよね。

バーン:そうなんだ。あの曲を聴くとあの店のイメージがはっきりと浮かんでくるんだけど、それってとても難しいことだと思う。私は一般的な物事を曲にすることが多いから。

ロード:確かに、あなたの作品にはそういう傾向があると思います。私が具体的なトピックを曲にするケースが多いのは、作品を自分専用の地図のようなものにしたいって思っているからなんです。自分しか知らない意味のある何かを曲に含ませるようにしていて、スクラップブックみたいなものというか。

バーン:あの曲では、あの街を離れることについて歌っているのかな?

ロード:そうです。アメリカに移住して最初に住んだ街だったんですが、自分には合わないと思ったんです。自分を見失ってしまいそうになってしまって。

バーン:私も同じように感じたことを覚えているよ。ロサンゼルスでは充実した日々を過ごせたんだけどね。朝目覚めて外に出て、太陽の光をたっぷり浴びながらコーヒーを飲んでいると、これも悪くないなって思ったよ。



ロード:告白しないといけないんですが、私はまだ『アメリカン・ユートピア』を観ていなくて。というのは、どうしてもまず生で観たいからなんですが。あの作品ではストーリーに沿って、いろんなレコードからの曲が使われているそうですね。それって抵抗を覚えたりしませんでしたか?

バーン:気にしないよ。客が求めているものを披露することの必要性を、私は身を以て理解したからね。

ロード:客が期待する曲を演奏しないこともあったのですか?

バーン:一度だけあるよ(1989年に行われたツアーのこと)。大所帯のラテンバンドと一緒に演奏していたんだけど、プレイしたかった古い曲の多くが彼らのスタイルと合わなかったから、セットリストの8割がオーディエンスの知らない新しい曲で構成されていた。私自身はこの業界のそういうオープンじゃない部分を、常々疑問に感じているんだ。映画だと同じシーンを何度も撮影することがある。「1つ前のテイクがすごくよかったから、あれをもう1度やってくれ」みたいなね。でも音楽はそういうものじゃないんだ。

ロード:分かります。すごく面白い視点ですね。

バーン:一方で、音楽にそういう面があることも事実なんだ。繰り返し再生できて、その度に人々を踊らせることができるから。



ロード:あなたの作品の明快な部分と謎めいた部分のバランスについて、話を聞かせてください。10代の頃、私の仲の良かった友達の多くはアートスクールに進んだんですが、みんな自分が熱中しているものを勧めてくるんです。それを理解しようと努めるんですが、時々脳が処理できなくて混乱してしまうことがあって。後になって、それが自分を含めて誰のせいでもないって分かったんですが、私は何かを理解するために努力しすぎると、脳がパンクしそうになってしまうんです。でもあなたの作品には、私を夢中にさせる謎めいた部分だけでなく、明快さも同時に備えていると思うんです。そのどちらか一方に傾倒することもあるのでしょうか?

バーン:私の歌詞や表現は、基本的に抽象的なものが多いと思う。疑問だけで構成される曲が好きだけど、私の作品にそういうものは多くないんだ。

ロード:曲が疑問を投げかけるのっていいですよね。

バーン:つい先日、こういう文章を目にしたんだ。「これは本当の自分なのか? それとも私は演じているのか? もしそうだとしたら、あなたもまた演じているのだろうか? もしあなたが私を演じ、私があなたを演じたらどうなるのだろう?」。疑問の連鎖による堂々巡りだよ。

ロード:すごくクールですね。

Translated by Masaaki Yoshida

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