スピルバーグ節全開、『ウエスト・サイド・ストーリー』が問答無用の傑作となった理由

アリアナ・デボーズ、『ウエスト・サイド・ストーリー』より(Photo by Niko Tavernise (C)2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.)


オリジナル版から存在し続ける「差別」と「分断」

本作はそういったシーンで幕を開けるわけではない。ジェッツとシャークスの対峙、トニー(アンセル・エルゴート)とマリア(レイチェル・ゼグラー)の馴れ初め、クラプキ巡査による不良たちの指導、一体いくつ弾が入っているのかとツッコミたくなる銃……これらを差し置いて我々がまず目にするもの、それはニューヨーク・シティだ。正確に言うならば、歴史から姿を消しつつあるニューヨークの街並みだ。倒壊寸前のビル群を捉えながら目まぐるしく動くカメラには、建設工事中の看板を掲げたリンカーンセンターが映し出される。白人でありながら成功とは縁遠い唯一の民族とされていたプエルトリコ系移民たちがかつて暮らした家々は、オペラ鑑賞を趣味とする富裕層の意向により次々と取り壊されていく。2つのギャングが縄張り争いを繰り広げる芝地を勝ち取るのは、飛び出しナイフを振りかざした若者ではなく、権力とブルドーザーを所有する第三者だ。最初の曲のエンディングの場面で、警察官たちが喧嘩を止めた後、ジェッツのメンバーたちは瓦礫の山の頂上に立って勝利の歌を歌う。

プライド(ライバルたちや権力に対する「ファック・ユー」のアティテュードを、シャークスはスペイン語の歌で表現する)と分断の源であり、時に武器として利用される人種というトピックは、今作においても不可欠なファクターとなっている(コリー・ストール演じるシュランク警部補の口から発せられる腹立たしいセリフが、一部の芸能人や政治家を思い起こさせるのは、決して偶然ではない)。また階級という概念も重要な要素であり、スピルバーグと脚本家のトニー・クシュナー(アーサー・ローレントの原作をかなり積極的にアレンジしている)は、本作で描かれる争いがいかに無益であるかを強調している。彼らは偏見から目を逸らしているのではなく、オリジナル版に見られる時代錯誤な固定観念に同調しているわけでもない。それでも、建物の屋上ではなく騒がしい路上で歌われる「America」はやはりハイライトであり、“アメリカでの暮らしは悪くない / 君が白人ならね”というビターな一節もそのまま採用されている。



だが本作の制作陣は、1950年代に見られた有害な価値観と現代における問題を明確に差別化しており、後者によりフォーカスする一方で、その問題が当時から変わらず存在し続けていることを強調している。「国民」であることを証明するために倍の努力を強いられている人々を見下す風潮は、この国に依然として残っている。シャークスのリーダーが敵をポーランド系の人々に対する差別表現で呼ぶ時、彼のガールフレンドはこう言い放つ。「やっとアメリカ人っぽくなってきたじゃん」。カメラが安全地帯へと避難する中、登場人物たちは取っ組み合いの喧嘩を始める。当時から変わったもの、それは彼らを取り囲む環境だけだ。

いやもう1つある、それはキャスティングだ。肌を濃く見せるためのメイクを施した白人の俳優たち(1961年時点ではリタ・モレノでさえもそれを必要とした)が演じていたラテン系のキャラクター役には、ラテン系の俳優たちが起用されている。これぞ21世紀の『ウエスト・サイド・ストーリー』のあるべき形だろう。またリード役からバックダンサーまで、スピルバーグの審美眼にかなった若者たちのアンサンブルは、今作を金に物を言わせただけの作品とは一線を画す大きな要因となっている。



ゼグラーが演じるマリアは目を大きく見開いて思ったことをはっきりと口にし、「Tonight」のようなスタンダードで披露しているその声は、小さな劇場からブロードウェイの大舞台にまで対応できる器量を感じさせる。アニータを演じたアリアナ・デボーズは今作におけるMVP候補の1人であり、歌とダンスで見せる圧倒的なエネルギーから、空気を読んだり不信感を露わにする時のユニークな表情まで、抜群の存在感を放っている。彼女こそ今作の屋台骨と言っていいだろう(レディ・マクベス、ジャニス・ジョプリン、『人形の家 』のノラ、そしてジョージ・キューカーの『女たち』のリメイクのあらゆる役には彼女こそが相応しい)。喧嘩っ早い荒くれ者のリフとベルナルドをそれぞれ演じるマイク・ファイストとデヴィッド・アルヴァレスは、キャラクターに魂と鋭いエッジを吹き込んでみせる。アンセル・エルゴートの演技がやや硬く感じられるとすれば、それは他の出演者たちがあまりにエネルギッシュであるがゆえに、相対的に彼が大人しく見えてしまうということだ。歌と演技の両面で、彼のトニーとしてのパフォーマンスは申し分ない。一方でロマンティックなシーンでは、彼の実生活におけるスキャンダルが頭をよぎってしまい、やや居心地の悪さを感じてしまうのは致し方ないだろう。

Translated by Masaaki Yoshida

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