林哲司×土岐麻子のシティ・ポップ談義 洋楽が日本語ポップスに与えた影響を辿る

 
シティ・ポップと「英語フレーズ」

─林さんは当時、曲作りはどのように行っていたんですか?

林:自然に自分の書きたいものを書いていました。70年代はまだ主流は歌謡曲で、自分が書きたい曲を書く場面がなかった。それが70年代後半に大橋純子さん、竹内まりやさん、松原みきさんがデビューし、やがて80年代になって僕のような曲を歌うアーティストが頭角を表し始めた。洋楽の要素を如実に受けた当時の要素としては、「真夜中のドア ~Stay With Me~」がわかりやすいですけど、歌い出しやサビの頭で英語の慣用句を使うとか。それまでは全部日本語で攻めたりしていたのを、ポップ感を出すためにサビ頭とか印象的なフレーズのところは英語にしてしまう。



土岐:サビの頭で英語やタイトルのフレーズが出てきて、イメージが抽象的になるという手法に、私はものすごく影響を受けています。それが来ないとサビじゃないような気がしているというか(笑)。

林:そうなんですか!

土岐:小学生の頃、お正月に歌本を祖母に買ってもらって熟読していたんです。「これがフックなんだな」とか「ここに行くまでのBメロなんだな」とか。当時はフックなんて言葉は知らなかったですけど(笑)。サビの頭の1行にどれだけ印象的なフレーズを持ってくるか、それまでのAメロ、Bメロが伏線になるか、そういう要素で曲の聴こえ方が全然変わっていく気がするなと当時から思ってました。近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」もサビが「スニーカーぶる~す」じゃない普通の言葉だったらヒットしなかっただろうなと子供ながらに思ったり(笑)。

林:そこはフレーズのインパクトですよね。

土岐:作詞と作曲は切り離せないものなんだなと思ってました。

林:今振り返ってみると、そういう横文字の置き方は非常に作為があるんだけど、そこで頭を切り替えさせる力もある。流行歌の作り手として意図的にそういうことをやっていたんだと思います。



─海外のシティ・ポップ・ファンにとっては、サビに英語のフレーズがあることで急に歌詞の気持ちがわかるという魔法的な効果もあるようです。

林:それは逆にいうと、僕らが洋楽を聴いた時も同じでした。瞬時に英語は入ってこなくても、なんとなく耳慣れた英語のフレーズがポンと耳に入ってくるといろいろ想像できますよね。

土岐:私も歌詞はわからなかったけど、アース・ウィンド&ファイヤーの「セプテンバー」の「パーリヤ♫」みたいなスキャット・コーラスは子供ながら真似して歌ってました(笑)。

林:僕たちが聴いてた感覚と同じようなことが海外でも今シティ・ポップに対して起こっているんですよね。でも、そこに他の部分を作る日本語の歌詞が要らないかといったらそれは違うんです。やっぱりヴォーカルも歌詞の世界を一体になって聴いて歌っているから、その気持ちの流れは必須なもの。ヴォーカル曲はいろんなものが組み合わさって出来上がっているから、そこに反応している気はします。

土岐:最近の子供たちが好む流行歌を聴くと、言葉を羅列してすごく詰め込んでいて、言葉に曲が合わせていくようなノリに変わっていて、多様で面白いなとは感じてます。

林:比喩とか韻とか関係なしで言葉を羅列してるような曲はアメリカでも流行ってますよね。言葉数が多いということはメロディも言葉を埋めるために細分化されていく。昔はフレーズとフレーズの間に隙間がある曲が多くて、その行間の余韻でリスナーが何かを感じ取るのはあった気がします。

─確かにそうなんですが、その一方でシルク・ソニックやハリー・スタイルズが全米で売れていたり、メロディ復権の流れもありますよね。

林:最近のチャーリー・プースやデュア・リパもそうですよね。ザ・ウィークエンドの最新作でも日本のシティ・ポップをサンプリングしたり、結構メロディアスになっている。グルーヴは今の感じですけど、その上に乗っているメロディはちょっと回帰してきてるのかもしれない。

 
 
 
 

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