『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』自身初の傑作アルバム誕生秘話

 
当時の恋人、スーズ・ロトロの影響

デビュー・アルバムとは違い(そして、その後のほとんどのアルバムとも違い)、『フリーホイーリン』は、録音開始当時まだ20歳だったディランが、しっかりと自分の時間をかけて作ったプロジェクトだ。デビュー作の『ボブ・ディラン』がわずか2日で録音されたのに対し、この作品は1962年4月から1963年4月にかけて、少なくとも8回はスタジオに入って制作された。ディランはその間ずっと、驚くほど高速に進化していく自身の作曲能力に必死で付いていこうとするかのように、曲を書き直したり、選曲を見直し続けていたのだ。

ディランは1961年にニューヨークに来てから、人知れずノンストップで曲を書き続けていた。「彼は毎晩のようにクラブのテーブルで曲を書いていたよ」と語るのはピーター・ヤローだ。「今日は新聞を読んでいるな、と思っていたら、翌日には新聞で読んだことについての曲を書いていた」



このアルバムにはまた、急激に高まる政治意識、初めての海外旅行、アルバート・グロスマンのマネージャー就任など、当時のディランに次から次へと訪れた新たな体験やアイデアの影響も盛り込まれていた。しかし、『フリーホイーリン』でとりわけ顕著なのは、恋人スーズ・ロトロの影響だ。このアルバムの象徴的なカバー写真には、雪のジョーンズ・ストリートでディランと身を寄せ合うロトロの姿が見られる(「このカバーはアルバムの最も重要な要素なんだよ」とディランは友達に語っていた)。

このアルバムの制作中、ロトロはアートを学びにイタリアに行っており、彼女がいないことに対するディランの恋慕や、時には怒りまでもが、多くの曲に影を落としている。さらに重要なのは、ロトロの家族がディランの世界観に作用を及ぼしていることだ。ロトロの両親はアメリカ共産党の党員だ。またディランによるとスーズは「平等・自由うんぬんについては、自分よりずっと前から入れ込んでいた」ということである。

Translation by Kuniaki Takahashi

 
 
 
 

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