LOW IQ 01の青春時代「SUPER STUPID結成、人生最大のパワーを使った1994年」

ーSUPER STUPIDのメンバーは具体的にはどう集めたんですか?

友だちに「いいギタリストいるよ、紹介してあげるね」って言われたりもしたんだけど、それはそれでストリート過ぎちゃう人もいて。もうちょっとミクスチャー感も欲しいなと言いながら、ちょっとはファンクミュージックもやりたいなと思ったり。パンクとファンク、プログレロックをかけ合わせたのがスプリットで出した『PULL UP FROM THE UNDERGROUND』なんだけど、ああいう音楽をやりたかったんだよね。ジャッキーがAPOLLO’Sに加入していて、もともとやっていたバンドがアメリカのスケートバンドでAPOLLO’Sとは自分のやりたい音楽が違うということで、「じゃあ一緒にやらない?」というのが始まり。ドラムのツネ(恒岡章)はHi-STANDARDをバリバリやっていたんだけど、もともとツネとジャッキーは一緒にバンドをやっていたからサポートで、遊び程度だったらという感じだったかな。それで第一期SUPER STUPIDが1994年から始まった。

ーSUPER STUPIDの活動を開始して、特に覚えていることはありますか?

やっぱりジャッキーのギタープレイが優れていたんだよね。パンクだけじゃなく、ジャズも弾けるのが大きかった。当時ジャズが弾ける人をその年齢で見たことがなくて。あと、バンジョーとかブルーグラスとかもすごく上手い。これは今までにないパンクバンドを作れるなと思った。最初は希望しかなかったですよ。

ーSUPER STUPIDの最初のライブのことは覚えています?

今でも忘れもしない王子の3Dでやった伝説のイベント「SCRAMBLE CROSSING」ですよ。ヒップホップ、レゲエ、スケート、ハードコア、いろいろなものが入り乱れてストリートど真ん中って感じだった。1994年10月で、俺らがここで初ライブをやったんだよね。坂本さんと大野さんのDBXとSHAKKAZOMBIEになる前のP.O.D.って名前のグループも出てた。ヒデボウイがまだいないときでツッチーと大隅ともう1人がいて、ラップをしてもらって。ACROBAT BUNCHのときにもヒップホップのアーティストとコラボをやってたりしていたので、意外に夜明け前な感じだったんですよ。ヒップホップもロックとかパンクとか、アメリカの音楽みたいな感じ。ストリートミュージックが90年代初頭でこれから来るぞってとき、1994年で土台ができてきてた。レゲエアーティストもいっぱいいたし。

ー1994年の世相で思い入れがある出来事はありますか?

この頃のイメージはやっぱり音楽だよね。1994年でACROBAT BUNCHを辞めて、SUPER STUPIDを結成した。でも実は4月まではACROBAT BUNCHをやっていたわけで、スタジオの帰り道とかいつもアイゴンの車に乗せてもらって、車の中で聴いていた音楽。俺はニューヨークのハードコアを聴いているんだけど、アイゴンはそういうのをあまり聴かず、どちらかと言うとよくかけていたのがブラー。俺はビートが速いのが好きで、アイゴンはUKの音楽が好きだった。そこで覚えているのが、ブラーがザ・フーの「Substitute」をカバーしているのを聴いて、こんなことやっているんだって思った。ブラーとオアシス、どちらかと言うと、ブラーの方が最初に出てきたイメージがあるんだよね。オアシスの方が世界的なバンドになってしまったけど。ニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなって解散した年でもあるね。

ーカート・コバーンは1994年4月8日に亡くなってますね。

そこで次は誰だろう、ブラーかオアシスなのかなって気はした。海外のロックの流れはそんな感じで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかビースティ・ボーイズとかも落ち着いてきている感じがしてた。ヒップホップがガーンっとくる感じ、ナスともたしかアルバムを出してる。ロックとヒップホップが攻め合っている感じで、いち早くそういうのを取り入れた人たちは、俺ら世代の年齢なんじゃないかな。当時20代前半の人とか。海外のアーティストで言うと、マライア・キャリーも一応R&Bの歌みたいに「恋人たちのクリスマス」がバカ売れした年じゃないですか。マライアはたしか俺と同い歳。そこからドラマの話になるんだけど、やっぱり主題歌だよね。『29歳のクリスマス』。ぎばちゃん(柳葉敏郎)と松下由樹と山口智子と仲村トオル。仲村トオルがイメージ的にビーバップな感じが抜けた。『あぶない刑事』がずっと再放送してたから、そのイメージは続いていたんだけど、でもこれでビーバップイメージは完璧になくなった。「J-POP」って言葉ができた年が90年代からではないかって言うけど、売れた人たちってドラマからだよね。Mr.Childrenの「Innocent World」もドラマはアクエリアスのCM主題歌か。1992~1993年って渋谷La.mamaとかで普通にミスチルがライブやってた。まさかこんなに国民的バンドになるとはね。

ーLa.mamaに行ったら普通にライブやってるって感じだったんですか?

名前は聞いていたから、この頃はウルフルズとかそういうバンドの動きもあった。かたや僕らストリート側はニューキーパイクス大好きな人たちが集まる、バッド・ブレインズ大好きな人たちが集まるみたいな感じがあって。あと、日本の音楽は90年代に入ってから、チャートはずっとB’zなような気がする。今でも代表だけどね。

ーあと小室哲哉さんもですね。

そうだよね。篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」。篠原涼子ってダウンタウンファミリー兼小室ファミリーですごいよね。ダウンタウンの『HEY!HEY!HEY!』もこの頃からかな。

Rolling Stone Japan 編集部

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