LOW IQ 01の青春時代「SUPER STUPID結成、人生最大のパワーを使った1994年」

LOW IQ 01

LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1993年を振り返った前回に続き、第12回は「1994年編」。イッチャンが過ごした1994年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。

ー今回の1994年はSUPER STUPID結成の年ということで、イチさんにとってはかなり重要な年ですね。

この連載では毎回言ってますが、今回が最大のターニングポイントだね。自分のバックボーンや、聴いてきた音楽、その時代・時代があって今があるけど、1994年がなかったら、それこそ俺がやっている音楽ってどうなってたのかなって思う。

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ー連載11回分で話してきたイチさんのバックボーンは1994年に全てが重なりました。

1番力を入れた年なんじゃない? 今でも毎年力入れてますよ。でも、バンド結成って人生の中で今までにないパワーを使うと思う。いろいろなバンド歴があって、GAS BAGというバンドをやっていたり、自分のバンドではあったんですけど、ちょっとお遊び程度な感じでレギュラーでライブとかもやったわけじゃなくて。その後にAPOLLO’Sに加入して脱退して、新しいバンドを組もうってなったのがACROBAT BUNCH。言い出しっぺは俺じゃないし、アイゴンがやろうって言ったから、その流れで結成したんだけど、1994年は決断の年です。

ーいろいろなターニングポイントがある中で、本気で音楽に取り組むスイッチが入った瞬間がいくつかあったと思うんですけど、SUPER STUPIDを結成したのは今までとは質の違うスイッチなんでしょうか。

SUPER STUPIDは、本当に自分が立ち上げたバンド。自分でほぼ全曲作って仕切る初めてのバンドなんだよね。今までの音楽量とは違う量をこなさなきゃいけなくなるわけよ。1994年はその覚悟ができた年です。1994年4月にACROBAT BUNCHを辞めるんだけど、辞めるのにも結構パワーを使った。でも、結成ってもっとパワーを使うわけで、辞めるって言った次の日から即メンバー探しです。4月からすぐ新曲作りに入って、メンバー探しを始めていましたね。

ーACROBAT BUNCHを辞めたいという意思で次に向かったのか、次のことをやりたくて辞めたのかだとどちらなんですか?

半々だったかな。自分のできることがACROBAT BUNCHではできなくなったというか。分かりやすく言うと、アイゴンがリーダーだったから、意外に却下されることが多かったりして。俺が激しい曲を持っていくと、「そういう気分じゃないんだよね」って感じで片付いちゃったり、それがどんどん溜まって、どちらかと言うと「これバンドじゃねえな」って怒りになってきた。他メンバーもアイゴンの意見を聞いて、3対1の構図ができあがっちゃっていた。その頃にはアイゴンは音楽で仕事をするようになってきて、変な話、アイゴンについていけば間違えないだろうと思っていたんだよね。それを全部ひっくり返したのは、音楽性の違いがでかいのかな。3対1って構図がもうやってらんねえって感じ。分かりやすく言うと、アイゴンのEL-MALOと俺のSUPER STUPIDの違いだよね。ACROBAT BUNCHも俺が辞めて、サポートメンバーでベースを入れてライブをやったんだけど、結局自然消滅みたいな感じになっちゃって。僕が辞めた時点で、前回も出たストリート精通者がこっち側に来てしまった。

ー「それ、ストリートじゃないよね」という話ですね。

そうそう。ACROBAT BUNCHを続けていたら、ちょっと歌モノっぽい今のレッド・ホット・チリ・ペッパーズみたいな音楽になっているのかなって。ライブの1週間ぐらい前にCOKEHEAD HIPSTERSのベースのKOBAが骨折しちゃったんだよね。急遽俺に「ベース弾いてくれない?」って話になって弾いて、それがすげー楽しかった。あともう1つ、それがストリートだったんだよ(笑)。メジャー系の音楽ではなくて、ゴリラ・ビスケッツとか、シック・オブ・イット・オールとか、セブン・セカンズとか、マーフィーズ・ロウとかああいう感じの音楽をやりたい。それにちょっとミクスチャーのフィッシュボーンみたいな要素が入っていればいいなと思ったんだけど、ACROBAT BUNCHは本格Pファンクみたいな方に行ってしまったので、考え方がそこで分かれたのが大きいポイントだった。

ーイチさんがストリートの方に行った一方で、EL-MALOはオルタナティブな領域に行った感じがしました。

プログレとかで、例えばキャプテン・ビーフハートとか、フランク・ザッパとかEL-MALOのやったものに影響を受けて、逆輸入みたいなこともあってSUPER STUPIDでそういうテイストを後にやったこともある。バンド的には分かれたけど、お互い影響し合ってはいた。別に仲悪くなったわけじゃないから、その後もコンタクトをとってたし。何ならSUPER STUPIDを組んだときにジャッキーはEL-MALOのサポートメンバーで、繋がりはあった。俺は分かれて正解だったなと思ってる。

Rolling Stone Japan 編集部

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