ASH DA HEROが語る野望「歴史を作り、ロックバンドとしての道を示したい」

ー5人の音楽的バックグラウンドも知りたいのですが、まずNarukazeさんはこれまでどんな音楽に触れてきたんでしょう?

Narukaze:入りはフォークソングで、そのあとすぐにロックと出逢うんですけど、BLANKEY JET CITYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに傾倒していって、そこから洋楽のハードロック、ヘヴィメタルへ。自然とそれらの音楽性は今の自分のギターにも反映されていると思いますね。勉強と思って音楽を聴かないようにしていて、知識として今流行っている音楽に触れたりはするんですけど、自分に落とし込むのは純粋に好きな音楽だけでありたくて。その結果、今みたいなスタイルになりました。なので、ASH DA HEROは、自分のバンドだし、その辺は遠慮せず全面的に打ち出しています。あと、ギターとケンカできるボーカリストが好きなんですよ。今までサポートギターをやってきて、そういうボーカリストとはなかなか会えなかったから、ただギターがしゃしゃっている感じになっちゃっていたんですけど(笑)、ASHはそれを食ってくる感じでぶつかってきてくれるんで、今は楽しくて仕方ないです。

ASH:俺にはNaruくんのギターが必要だし、Naruくんには俺の歌が必要だった。そういう意味で「両想いだった」と先程言ったんですけど、良いところも悪いところもすべて愛おしく思えるんですよ。なので、何でもウェルカム。どんな球を投げてこられても、「うわぁ、マジか!」みたいな球が飛んできたとしても、全力で応えたいなと思う。それはNaruくんだけじゃなく、全メンバーに対して思っていますね。


Sato(Ba.)

ーSatoさんはどんな音楽遍歴を歩んでこられたんでしょう?

Sato:小学生のときに同級生の兄貴からまわってきたBOØWYのアルバムを聴いて、それがロックとの最初の出逢いで「なんじゃこりゃ」となって。そこからX JAPANも聴くようになって『紅白歌合戦』で傾(かぶ)いている姿にすごくトキメいて。90年代のバンドブームとちょうどドンピシャな世代なので、その人たちが聴いていた洋楽も辿るようになって、クラッシュを知ったり、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを格好良いなと思うようになったりして、そうしたパンクロックとビートロックの出逢いから自分も毎晩ずっと楽器を弾くようになったんです。それで自分もバンドを始めたら、ミクスチャーロックの時代がやってきて、ジャズとかも聴くようになって、そうしたテイストの音楽を自分のバンドでもやるようになって。で、ASH DA HEROはソロ時代からメロディーが本当に良くて、そこにパンクだったり、自分のベースになっている音楽要素もあったから、サポートしているときからめちゃくちゃフィットはしていたんですよ。だから、ここに辿り着いたのかなって。

ー続いて、WANIさん。

WANI:中学のときにHi-STANDARDがめちゃくちゃ流行っていたので、それをきっかけにインディーズのメロコア系を好きになって、そこからグリーン・デイなど洋楽も自然と聴くようになったんですけど、blink-182のトラヴィス・バーカーは今でも俺が尊敬し続けているドラマーで。なので、自分がやるバンドも「2ビート命」みたいな感じだったし、僕のルーツは完全にパンクですね。

ー続いて、Dhalsimさん。

Dhalsim:今でも大好きなんですけど、最初はサザンオールスターズ。で、中学生になってからORANGE RANGEを聴いて、初めてラップというものに触れまして。そこから「ヒップホップ命」みたいな感じになっていって、RIP SLYMEやKICK THE CAN CREW、アメリカだったらカニエ・ウェストとかにどっぷり浸かって。大学生になってギターを始めてからは、打って変わってL’Arc~en~Cielを聴いたり、布袋寅泰さんから辿ってBOØWYも聴いたり、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとかも聴いたり、とにかくいろんなバンドの音楽を聴くようになっていったんですよね。

ーDJに目覚めたきっかけは何だったんですか?

Dhalsim:最初はラッパーになりたくて、ラップをすごく練習していたんですけど、リリックは書けないし、歌は下手だし…… と思っていたら、DJという存在に気付いて、当時はDJに関する知識もないので、レコードをこする人ぐらいの認識しかなかったから「これなら出来るかも」と思ったんです(笑)。それでお小遣いを貯めてDJセットを購入したんです。ただ、高校生ぐらいのときに小さなDJバトルとか出たりしたんですけど、全然上手くならなくて挫折しかけたんですね。そのタイミングでギターと出逢って、その後バンドでギターを弾いていたら、メンバーが俺のDJしている動画を見つけてきて「おまえ、DJできんの?」みたいな感じで、そこからまたDJ一本でやっていくことなったから死ぬほど練習して。なので、クラブDJとかヒップホップのDJみたいな感じではなくて「バンドに特化したスクラッチャーになろう」と思って活動してきたんですよね。

ーASHさんはどんな音楽と共にこれまで歩まれてきたんでしょう?

ASH:幼少期は母親の影響でAORをずっと聴いていて、小学生に上がってもAORをはじめとした洋楽が好きで。とは言え、学校へ行くとまわりはみんなJ-POPを聴いている子供たちなので、J-POPも聴いているフリはしていました。じゃないとイジめられるんで(笑)。でも、家では、エア・サプライ、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、ボズ・スキャッグス、クリストファー・クロスなどを好んで聴いていたんですよね。小学校高学年ぐらいで自我に芽生え出すと、エリック・クラプトン、クイーン、ザ・ビートルズを「良いな。80年代より前はこういう音楽があったんだな」と聴くようになって、中学生になってからは「俺は将来ラッパーになるんだ。俺なら出来る」と思いながらヒップホップに傾倒していって、その時点でもうリリックは書いていたんですよ。親が寝静まったあとの自分の部屋で、J-POPのCDシングルに収録されているカラオケ音源を流しつつ、もうひとつのラジカセにカセットテープを入れて録音しながら、自分で書いたリリックをハメたりしていました。で、そのテープが親に見つかったとき、おとなの本が見つかった以上にキレるっていう(笑)。

ーその時点でレコーディング作業をしていたわけですね。

ASH:ピンポイントのアナログレコーディングをしていました(笑)。そこから高校に上がって、ひょんなことからふてくされてしまい、そのタイミングでバンドに誘ってくれたメンバーからパンクロックを教えてもらって。で、パンクバンドのカバーをするライブがあったんですけど、それが僕にとって人前に立って歌う初めてのステージだったんです。でも、まったく緊張しなくて、それまで学校でもどこでも「自分の居場所がないな」と思っていたんですけど、ステージの真ん中に立たされて、マイクを渡された瞬間に「めっちゃ落ち着く」みたいな。初めて自分の居場所を見つけた感覚になったんですよね。それからパンクのアティチュードや背景にあるものを知っていくうちにレヴェルミュージックにハマって、レゲエにも傾倒するようになって。なので、ヒップホップ、パンク、レゲエが僕にとっての三大ルーツなんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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