The 1975密着取材 マシュー・ヒーリーが探し求める「本物の愛」

iii.「本物の愛」について

ソーシャルメディアとオンライン生活のリアルを描いてきたThe 1975は、ミレニアル世代の代弁者とされてきた。だが実際には、このバンドが一貫して追求してきたのは愛というテーマだ。10代のドラマを描写したデビューアルバムで、マシューは「僕を愛してくれ、僕たちを愛してくれ!」と懇願していた。後半の曲群(「Love Me」という直球の曲を含む)では愛されることと愛すること、ドラッグとセックスと関心を介して愛を得ようとすることについて歌っていた。その一方で、『Brief Inquiry〜』以降の彼らは、ロマンティックな愛の成就や育成を阻む現代特有の物事にストレートに言及してきた。

「僕自身はそんなふうに考えたことはなかったな。自分自身をいろんな角度から愛そうとするのは、大半の人に言えることだと思う」。筆者の考えについて、マシューはそう語った。「作品ごとに異なる疑問を投げかけてきたことは自覚してるけど、『君は? 僕は? 僕たちは?』っていう形式は共通してるんだよ」

『Brief Inquiry〜』はデヴィッド・フォスター・ウォレスの本と、誠実さ(sincerity)こそがシニカルなカルチャーに対する特効薬だというウォレスの思想にインスパイアされたアルバムだったが、新作はそのコンセプトの成熟を感じさせる。ウォレスが掲げた理想を、マシューは夢想するのではなく体現しようとした。その結果生まれたレコードは、誰も予想しなかったほどに真剣だ。

「今作は間違いなくそういう考え方にインスパイアされてる。20代の頃はニヒリズムってセクシーでクールかつリアルで、筋が通ってる部分もあると思うんだよ。でも歳を取るごとに、そういうポストモダンでエキサイティングなアイデアは、お世辞にもセクシーとかヒップとは言えない保守的な価値観に置き換えられるようになる。責任感や大人としての自覚というものにね」。マシューはそう話す。「今作で僕が問いかけていること、それは皮肉とポストモダニズムに満ちたこの世界で、君が本物の愛を見つけられるかどうかってことだ。新自由主義 vs. インターネット vs. テクノロジーみたいな安易な言い方はしたくない。20世紀初頭の人々がカルチャーを追求するなかで手にしたのと同じやり方で、僕たちは本物の愛を見つけることができるだろうか?」。その問いに対する自身の考えについて訊くと、彼はこう言った。「どうだろうね。ものすごく難しいのは確かだよ」

マシュー自身はそう話しているが、『Being Funny〜』では僅かな間であっても愛を見つけることは可能だという見解が示されているように思える。彼にとって、外国語でユーモアを表現することは洗練の極みを意味している。それは他人に共感する能力と、過ちを犯すリスクを取ることで、脆さと人間らしさを受け入れようとする意思があって初めて可能になる。「愛、幸せ、もしくは一体感。今作のテーマは、そういう儚いものを求めてもがくことだと思う」と彼は話す。


Matty wears coat by Ann Demeulemeester, shirt, Matty’s own (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)

『Being Funny〜』の音楽性と色合いは、アルバムの前半と後半で明確に異なっている。ポジティブなトーンが中心となっている前半では、文化戦争の真っ只中で愛を見つけることをシニカルかつ論理的に捉えようとしており、シンプルで自身の恋愛について綴った日記のような親密さがはっきりと感じられる。「文化戦争と恋に落ちること、その両方に触れたかった。『全部どうでもいい、キスしよう』『うわ、キモい』みたいなさ」とマシューは語る。「『今のはかなりいい線いってた』みたいなのにはうんざりだから。心温まる言葉をかけるのって、マジでめちゃくちゃ難しいんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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