ブッキング秘話と独自の信念一方でこんなケースもある。ビルボードライブの記念すべきこけら落とし公演は、6年ぶりの来日となったスティーリー・ダンだったのだがーー。
「裏話をすると、実は当初ドナルド・フェイゲンのソロを交渉していたんです。で、それが決まったんですけど、告知する段階でウォルター・ベッカーも一緒に来ることになった。それってスティーリー・ダンじゃん!っていう(笑)。そういうラッキーなことがたまにあるんですよ」
スティーリー・ダン(2007年)
スティーリー・ダンによるこけら落としは大きな話題を呼び、まさしくビルボードライブのブランド付けにも繋がった。がしかし、その10年後にウォルター・ベッカーが死去。ビルボードライブのあの公演が、日本のファンが観ることのできた最後となった。そういったケースはほかにもある。
「これもオープンの2007年ですが、アンリ・サルヴァドールを呼ぶことができた。でも公演の半年後にお亡くなりになられたんです。ジョー・サンプルも、ハンク・ジョーンズも、日本での公演が最期になってしまったアーティストは数多いですね。萩原健一さんも亡くなられる数カ月前にライブをしてくださいました。あと、個人的に印象深いのが松原正樹さん。長らく活動休止状態にあった伝説のバンド、PARACHUTEが復活してビルボードライブで公演し、みんな楽しかったみたいで、翌年もやってくれたんです。でも2016年に正樹さんが亡くなられた。僕は正樹さんのトリビュートをPARACHUTEでやりませんかという話を斉藤ノブさんにしたんですが、“正樹なしでPARACHUTEは絶対にやらん!”という回答がきまして。断られたけど、その言葉にはグッときちゃいましたね」
2009年以来度々出演した小坂忠は2022年も公演する予定だったが、結局最期の公演はできなかった。s-ken & hot bombomsは2022年7月に久々の出演を果たしたが、キーボードの矢代恒彦(パール兄弟ほか)にとって、それが最期のステージになってしまった。観るべきライブは躊躇せずに観ておくべきということだ。
ダン・ペン&スプーナー・オールダム(2019年)ほかの招聘元がそうそう呼ばない伝説的なミュージシャンや、もう何十年も来日していなかったミュージシャンのライブを観ることができるのも、ビルボードライブのいいところだ。
「そこはひとつの強味です。例えば2018年のカーラ・トーマス。初来日だったので、“よくぞ呼んでくれた!”という声をたくさんいただきました。2019年のダン・ペン&スプーナー・オールダムも多くの人に喜んでもらえましたね。ほかの招聘元はサザンソウルをあんまりやらないでしょ?」
90年代にピークを迎えたR&Bシンガーも、ビルボードライブのあの空間によくマッチする。
「メロウなR&Bはオープン当初から意図的に多くやっています。Joeとか、K-CI & JOJOとか。ベイビーフェイスも呼びました。90年代R&Bは根こそぎ呼びましたね(笑)」
Joe(2007年)また、クリスマス時期と言えばスタイリスティックス、年末カウントダウン・ライブと言えばアレステッド・ディベロップメントやアル・マッケイ・オールスターズといったように、同じ時期に度々来て盛り上げてくれるグループもいる。
「アーティストの年間スケジュールというものがあるから、大体同じ時期のほうが収まりがいいし、“この時期は空けといてね”と早くに約束できるんです。アレステッドは毎回気持ちの入ったライブをしてくれますね。アル・マッケイ・オールスターズも頻繁に来てくれていますけど、ああいうディスコ系やファンク系はうちが一番多くやっているという自負がある。僕らの先輩ブッキング担当の代から、そこはずっと好きで脈々と受け継がれているDNAなんですよ」
アレステッド・ディベロップメント(2008年)一方、国内アーティストも当然のことながら拘りを持って選んでいると長﨑氏は話す。
「オープンした年の、初めての国内アーティストが井上陽水さん。翌年には細野晴臣さん、横浜のこけら落としはMISIAさんに出ていただきました。といってもベテランに拘っているわけではなく、2010年にはSAKEROCKとか。新しい才能を見つけることも大事にしています。Aimerは大ブレイクに至る前の2016年に出てもらいましたし、milet、Awesome City Clubも早くに出てもらった。さっきも言いましたが、流行っている・流行っていないではなく、僕らがいい!と思ったアーティストに声をかけるようにしているんです」
井上陽水(2007年)Aimer(2016年)MISIA(2020年)