米国人タリバン兵、出所後にテロ組織支援者と密会「今なお過激思想を抱いている」米FBI

全米で数十年にわたり展開された「対テロ戦争」で初の拘留者となったリンドは、10代の頃にイスラム教に改宗してアフガニスタンに渡った。その後同時多発テロ事件ではタリバン兵に加わって、アフガニスタンの北部同盟を相手に戦った。2021年11月、北部同盟の兵士はカライジャンギ要塞に設置した簡易刑務所に、大勢のタリバン兵とリンドを拘留した。ここでリンドはCIA職員のジョン・マイク・スパン氏から尋問を受けたが、刑務所内の暴動に乗じて逃亡。この暴動でスパン氏は命を落とした。アメリカ政府関係者に再び捕らえられたリンドはアメリカに送還され、タリバンを支持した罪と犯行目的で爆発物を所持していた罪で有罪となった。

2017年にフォーレンポリシー誌が入手した国家テロ対策センターの資料には、リンドが歳を重ねて丸くなるどころか、「世界規模のジハード運動を擁護し続け、暴力的で過激な文面を書いたり翻訳していた」他、「TVニュースのプロデューサーにも、釈放されたあかつきには引き続き暴力的で過激なイスラム思想を広めていく、と語っていた」とある。リンドはISISへの支持も表明していた。

アリ・アミンは保護観察違反で再拘留された。2月中旬には、監視付き釈放の撤回を判断する審理が予定されている。

アミンは2015年にFBIに逮捕された後、AmreekiWithnessというTwitterアカウントを運営するなどしてISISに物資支援を画策していたとして起訴された。彼はTwitterアカウントにISISのプロパガンダを投稿し、イラクやシリアで同志と合流する方法や、ビットコインでISISに寄付する方法などをアドバイスしていた。

だが彼が犯したもっとも重大な罪は、2015年初旬にバージニア州在住のレイザ・ニクネジャドをISIS要員として引き抜き、シリアのグループと合流させる計画に加担していたことだ。アミンはニクネジャドをダレス空港まで車で送り、ニクネジャドはトルコに飛んだ後、国境を越えてシリアに入国した。さらにアミンは、ニクネジャドを海外の匿名支援者に紹介し、その支援者がISISが制圧するシリア領域に移動するまでの手筈を整えた。

裁判所資料によると、ニクネジャドは「2016年1月、シリアとトルコの国境付近で殺された可能性が高い」そうだ。

アミンは収監中、刑務所職員からも問題視されていた。刑務所内で「イスラム教徒コミュニティとの間に衝突を起こした」として他の囚人から引き離された他、始末書には暴行および「禁制品の所持」が記録されている。2020年、政府はアミンの監視付き釈放の条件について、保護観察官の許可がない限りコンピューターの使用を制限する、という修正を要請。連邦判事はこれを認めた。また、「既存の暴力的な過激主義者」との接触も禁じられた。

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from Rolling Stone US

Akiko Kato

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