若者を殴打し銃を振り回したNBAスーパースター、さらなる揉め事を犯す前兆か? 米


インディアナ州インディアナポリスのゲインブリッジ・フィールドハウスで行われた対インディアナ・ペイサーズ戦で、ジェイレン・スミス選手の頭越しにダンクシュートを決めるジャ・モラント(DYLAN BUELL/GETTY)

この2件の後、1月29日にも騒動が起きた。インディアナ・ペイサーズの従業員がNBAに語った話では、モラントが載っていた車がペイサーズのチーム専用バスに赤いレーザー光線を照射し、「重大な危険」にさらしたという。バスに乗っていた2人の人物がジ・アトランティック紙の取材に応えている。「SUVからレーザーを照射したのが誰かは分からなかった。レーザーが銃に装着されたものかどうかも定かではなかったが、2人はおそらくそうだったと考えている。当時搬送エリアにいたペイサーズの警備員も、『あれは100%間違いなく銃だった』と発言している」

昨年5月、Twitterで「女々しい弱虫」呼ばわりされたモラントは、見ず知らずと思しきそのユーザーに「ホロー(殺傷能力の高いホローポイント弾か?)がどんなもんか思い知らせてやる」とコメントした(ユーザーはその後アカウントを削除した)。あまりの勢いに、グリズリーも介入してモラントを謹慎処分にせざるを得なかった。

モラントは3月4日に声明を発表。「昨夜の自分の行動について、全面的に非を認めます。家族やチームメイト、コーチ、ファン、協賛企業、メンフィス市、そしてグリズリー関係者の期待を裏切ってしまい、申し訳ございません。今後はしばらくチームを離れ、サポートを受けながら、ストレスや心身の健康に善処する方法を探っていきます」

モラントは仲間とつるんで危険な道を歩んでいる。彼の半生をつぶさに追いかけてきた人々は、理解に苦しんでいることだろう。モラントはサウスカロライナ州の小さな町ダルゼルで生まれ育った。ヨーロッパでバスケットボールの夢をあきらめた父親のティーは、専業主夫としてモラントの母親ジェイミーとともに息子の世話をした。父親は裏庭にバスケットコートをしつらえ、年中モラントをトレーニングして技の手ほどきをした。モラントは高校を出た後低賃金の仕事に従事し、最終的にマレー州立大学に入学。2年生の時には中流クラスの大学をNCAAトーナメント第2ラウンドに導いた。2019年にはNBAドラフト2位に選ばれ、たちまちリーグで一二を争う若手スターとして頭角を現すと、その年の新人賞を獲得。オールスター戦にも2度選ばれた。かのドライモンド・グリーン氏は超人的な運動能力を持つ彼を、コートの上で「チェスのような試合」を展開できる、もっとも頭が切れる選手の1人だと述べた。彼は悪い連中とつるむような人間ではなかった。

だが、今回の一件は単なる若気の至りではない。病んだ社会の現れだ。モラントはコートの上では見事だが、多くの若者が抱いている「タフガイ」のイメージを体現したい欲求に勝てなかったのではないだろうか。アメリカは組織的不平等の上に成り立っており、結果としてコミュニティには生き残りモードで暮らす人々があふれている。ネイサン・マッコールは自叙伝『Makes Me Wanna Holler: A Young Black Man in America(原題)』の中で1960年代にバーニジア州ポーツマスで育った青春時代のことを振り返り、近所の少年たちは聡明だとか、ユニークだとか、優しいとかよりも、相手を屈服させるためなら何でもする「クレイジーなニガー」と呼ばれたがっていた、と書いている。この呼び名について彼はこう定義している。「気性が荒く、老若男女問わず誰にも文句を言わせない人物。自分たちにとってクレイジーとは、白人が勇気を崇めるように、尊敬に値する美徳とみられていた。実際自分たちの考えでは、クレイジーと勇気は同じものだった」

Akiko Kato

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