瀬尾一三のアレンジ曲から読み解く、70年後半から80年代頭の音楽的な文明開化

たわいないトワイライト / 松崎真人

田家:松崎真人さん「たわいないトワイライト」。84年のポプコンの優秀賞曲で、世界歌謡祭も出場されたというシンガーソングライター。

瀬尾:ある意味サウンド的にちょっとウエストコースト調のサウンドでバラードにしてみたんですけども。今彼は北海道で頑張ってるんで、『MUSIC★J』って番組のディスクジョッキーやってて、とても個人的な好みの選曲してますよ(笑)。

田家:この頃は、この人はこういう方向で成功するかも知れないと。

瀬尾:そうですね。それがあったんですけど、それはときの運とかそれもあるし、もう何人もそういう人たちを見てきてるので、実力というか何かあっても世の中っていうのは本当に難しいもので、ちょっとこういう要素を入れてみました、

田家:80年代のとても洋楽的なAORっていう1曲ですもんね。次も80年代的な曲じゃないでしょうか。

愛を振り向かないで / 石川優子

田家:1986年のシングルで、作詞が秋元康さん、作曲が石川優子さん。石川優子さんはご自分で曲をお書きになっている。

瀬尾:この時代の曲で、秋元さんちゃんと書いてるよね。今書いてないわけじゃないけど(笑)。長渕さんにしてもいろんな人の歌詞を書いてたから。この頃の秋元さん僕好きですよ。今が嫌いという意味ではなくて。すごい後付けで言ってるからちょっとよくないけどね。

田家:石川優子さんは例えば先週ちょっと話に出たアイドルの人たちで、レコーディングには本人はいなくて、歌詞もなくて、演奏だけ。瀬尾さんは出来上がったものだけ聞いてっていうタイプの人ではなかった。

瀬尾:この人の所属はヤマハなので、そういうことはないです。必ずレコーディングは来ます。

田家:この頃のポプコンはCHAGE and ASKAとか円広志さんとか大友裕子さんとかクリスタルキングさんなんかと一緒に、石川優子さんも出たっていう。

瀬尾:え、そんな経歴があるの! もっと新しい人かと思った。

田家:この曲の6年前ってことですもんね。やっぱりそういう積み重ねがあった。

瀬尾:そうでしょうね。歌がうまいんで、仕事楽しかったですよすごく。

田家:そういう流れの中で次の人はアルバム初収録。こういう人もやってらしたんだっていう曲でもありました。



田家:86年に発売になった曲ですね。作詞が安藤芳彦さん、作曲が村田和人さん。村田さんはとても都会的なホップスをやって。

瀬尾:村田さんムードいっぱいの曲なんで(笑)。村田さんが自分でも歌ってますけど。

田家:この曲は2ndアルバム『MICHILLE』に入ってて、アルバムは全曲が瀬尾さんだった。シングル以外は。

瀬尾:たまたまアルバムの方を任されたので。彼女は歌えるんだけどどっちなのかなみたいなのがあって。お父さんが宝田明さんで、お母さんが児島明子さんで、ミスユニバーサルでしょ。

田家:八頭身で有名になった。日本初の八頭身女性ですよ。

瀬尾:そこの2人のお子さんなんで。モデルみたいでもあり、歌も歌うっていう感じだったんだと思うんですけども。

田家:デビューアルバムは全曲作詞が松本隆さんで、作曲が林哲司さんだった。

瀬尾:そのグループね。ヒット曲コンビじゃん。

田家:林哲司さんは、いまや「真夜中のドア」でシティポップスの教祖的存在のようになってますね。そういうアイドルの人たちに新しいことをやろうとしてた。

瀬尾:当時のディレクターの方も、さっき言った音楽文明開化っていうか、ミュージシャンとかアレンジャーだけじゃなくてディレクターもそうだった。音楽業界の制作してる側の人間たちが全員吸収してた時代だったので70年代、80年前半までぐらいは。そういうのが集まると、このレコード知ってる?とか、この曲知ってる?とかそういう自分の知ってることを優位にしてマウント取るみたいなとんでもない時代だった(笑)。

田家:そういう中でシティポップが生まれた。

Rolling Stone Japan 編集部

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