テデスキ・トラックス・バンドが語る来日の抱負、夫婦の絆、クラプトンやジェフ・ベックへの敬意

 
テデスキ・トラックス・バンドの進化と現在地

─新しく加わったドラマー、アイザック・イーディのプレイが観られるのも楽しみです。彼はどんなプレイヤーで、どんな人柄の人物ですか?

デレク: アイザックは心の優しいモンスターだよ。ヨンリコ(・スコット、2019年に死去)がデレク・トラックス・バンドに在籍していた時、彼は本当に興奮の頂点に持っていけるようなドラムを叩いてくれた。J.J.(ジョンソン)も同じくモンスターだった。でもアイザックはまたちょっと違うエネルギーとスピリットを持っている。ピアノ、歌、ベース、ギターと多才な男だ。2歳の時からファミリーバンドで演奏してたっていう男さ。おじいさんはブルースギタリスト、おじさんも皆ゴスペルかブルースのプレイヤー。ディープサウス出身なんで、アイザックにはその血が流れてるんだ。子供の頃からデレク・トラックス・バンドやスーザンのバンドを聴いて育ったので、ヨンリコとコフィ(・バーブリッジ:キーボード&フルート担当、2019年に死去)がいる僕のバンドを14〜5才の時に観てるんだよ。だから昔の曲をやる時は、アイザックを通して二人がいた頃のエネルギーや楽しさが再び戻ってきたかのように感じる。

アイザックの家はミュージシャン一家ってだけでなく、ウィスキーメイカーの一族でもあるんだ。ひいひいお爺さんはジャック・ダニエルズの最初のマスター・ディスティラーで、アンクル・ニアレストというウイスキーブランドの創始者であるアンクル本人(ネイサン・ニアレスト・グリーン)なんだよ。テネシーウィスキーとブルースとゴスペルが彼の中にはある。そのどれも僕は大好きだ!

アイザックとファルコン(タイラー・グリーンウェル、もうひとりのドラマー)との相性もバッチリだよ。僕らがアイザックと最初に接点を持ったのは、ニューオーリンズ・ジャズフェスにテデスキ・トラックス・バンドが出演した時さ。コフィがハウリン・ウルフ(ライブハウス)で行われたアフターショウに出て、それを見ようと列に並んで待っていたアイザックがコフィと話したんだ。J.J.とファルコンも同じ頃にアイザックと知り合って、お互いに「もしどちらかがバンドから欠けることがあれば後任はこの坊やだ」と言ったらしい。そんなわけで、彼がバンドに入ることになったのはごく自然な流れだったのさ。5〜6人オーディションしたけれど、彼がスタジオにやって来て音を出した瞬間に決まった。『アイ・アム・ザ・ムーン』の曲はもう書けていたので、翌日からアイザックを入れてレコーディングを始めたんだ。その時のファーストテイクの多くがアルバムに収録されたよ。「Dゲーリー」もそうだし、「パサクアン」も互いのことを知り合っていく中で爆発したという感じさ。うまく行く予兆があったんだ。


Photo by Stuart Levine



─気が付くと、テデスキ・トラックス・バンドに名前が変わってから、早いもので10年以上が過ぎました。来日を記念して再発されるライブ・アルバム『エヴリバディズ・トーキン』(2012年)の頃からメンバーがすっかり変わり、ライブも様変わりしてきたと思うのですが。今現在のメンバーは、どんなところに魅力を感じていますか?

デレク:グループで一緒に音楽を作ることが楽しい、ってことが僕らの強みじゃないかな。今のメンバーは年齢的にも幅があるし、バックグラウンドも様々だ。そんな僕らだが、大きな音楽への愛がある。そしてそれを仕事にできていて、その愛を聞いてくれる人に返すこともできている。このパンデミックを乗り越えられたのも、どれだけ僕らが恵まれているのかという感謝を忘れず、謙虚な気持ちになれたからだと思う。ツアーってやっている時は辛いこともあるし、家族に会えない寂しさもあって、そのことについつい文句を言いがちだけど、ツアーが無くなってみると、無いことがどれほど辛いかわかったよ。今、僕らはこうやってツアーができることの特別さを全員が感じてる。誰一人として手は抜かないよ。出来の悪いギグの日は全員が同じくらい頭に来てる(笑)。一人のせいにはしない。そういうバンドの資質は昔から変わってないんだけど、それぞれが少し歳をとって大人になったせいで、今まで以上に感謝の気持ちが強いようだよ。

Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

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