コーダラインが語るデビュー10年の足跡、シンガロングを巻き起こすアンセムの背景

Photo by Jennifer McCord

 
今からちょうど10年前、まさにアイルランドのインディロック界が面白くなり始めた時期にデビューし、瞬く間にワールドワイドな舞台に踏み出していたのが、ダブリン郊外の町ソード出身のコーダラインだ。幼馴染みであるスティーヴ・ギャリガン(Vo)とマーク・プレンダーガスト(Gt)、ふたりと中学時代に出会ったヴィニー・メイ(Dr)、最後に加わったジェイソン・ボーランド(Ba)の4人から成るこのバンドは、今までに4枚のスタジオ・アルバムとライブ作品を発表。人懐っこいメロディをこんこんと紡ぎ出し、センシティブな佇まいに強い意志を秘めたアンセムを、切れ目なく送り出してきた。

共に歌わずにいられない、そんな高いシンガロング度を誇る曲の数々を携えて、先頃彼らが4年ぶりに来日。インタビューに応えてくれたスティーヴ&ジェイソンと10年の足跡を一緒に辿ってみた。今やアイルランドを代表するバンドの一組に成長した彼らだが、いたって謙虚で、かつスマイルを絶やさず、作風そのものの誠実さが人柄にも窺えた。


2023年9月24日、東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて(Photo by Kazumichi Kokei)


―来日は5回目になりますが、日本での体験で特に印象に残っていることはありますか?

スティーヴ:毎回いい意味でカルチャー・ショックを受けていて、とにかくほかのどの国とも全然違うんだ。ほかの国々と似ている部分もあるけど、日本って日本でしかないというか(笑)。個人的に一番印象深かったのは2013年のサマーソニックかな。何しろ初めての日本だったからすごくシュールな体験だったし、大阪公演が終わったあとロック・バーに行って……。

ジェイソン・ボイド:そうしたらメタリカのジェイムスとカークがいたんだよ。あの夜はめちゃくちゃ楽しかった(笑)。そもそもアジアで公演するのも初めてで、何が起きるのか予測がつかなくてね。そうしたらみんなが僕らの曲を一緒に歌ってくれて、あれを耳にした時は最高の気分だったよ。

―でも実は1stアルバム『In A Perfect World』収録の「Brand New Day」で、“We could be big in Japan”と歌っていたんですよね。

スティーヴ:まあね。あの曲は、ソーズという小さな町で育った僕らが故郷の町を離れて、音楽をプレイしながら世界を旅する姿を思い浮かべている曲だった。そして“日本でビッグになれるかもしれない”と想像していて、冗談のつもりだったんだけど、早速日本に行くことができてビックリしたよ(笑)。


スティーヴ・ギャリガン(Photo by Kazumichi Kokei)


ジェイソン・ボーランド(Photo by Kazumichi Kokei)

―その『In A Perfect World』がリリースされたのが2013年で、今年はデビュー10周年にあたります。何かお祝いをしたりしたんですか?

スティーヴ:それが、何もしてないんだよね。僕らはそういうことをずっと避けてきていて、常に前を見て忙しく活動していると、毎日が新しい体験で、毎晩楽しみなライブがあって、来た道を立ち止まって振り返る機会がなかった。でも10年って確かに長い時間だし、バンドとしても、4人それぞれ個人的にもたくさんの変化を経てきたから、重みは実感するよ。例えばつい最近、『In A Perfect World』からのシングルだった「All I Want」の再生回数が10億回を超えたんだ。それも途方もなく大きなマイルストーンだし、自分でも信じられない。ほんと、たくさんの体験ができてすごく恵まれていると思うよ。




―とにかくそんな節目の年にあたるので、今日はこれまでに発表したアルバムを順番に振り返ってみたいと思うんですが、まずは2013年の1st『In A Perfect World』。実はその前にスティーヴとマークとヴィニーは21 Demandsとして一旦デビューしたのち、ジェイソンが加わってからコーダラインとして再出発したんですよね。

スティーヴ:21 Demandsは子どもの遊びみたいなものだったからね。

―でもデビュー・シングル「Give Me A Minute」はナンバーワンになりました。

スティーヴ:アイルランドだと、3人買ってくれればナンバーワンになるんだ(笑)。当時はみんな16〜17歳でまだまだ未熟だったし、初めて本物の曲が書けたなと僕が実感したのが、コーダラインのデビュー・シングルになる「High Hopes」を完成させた時だった。あの曲が生まれたのをきっかけに、僕らは俄然勢い付いたんだけど、ジェイソンと出会うまでイマイチしっくりくるヴァイブを掴めなかったんだ。彼が加わった時にすぐに「これだ!」と確信できたし、早速1stに着手して、それ以来4人でひたすらツアーと曲作りとレコーディングを続けてきた気がするよ。




―2年後の2015年には2nd『Coming Up For Air』が登場しました。

スティーヴ:あのアルバムの収録曲はほとんどがツアー中に書いたもので、公演の合間にスタジオに入って、短時間で完成させたんだ。2017年に亡くなった、ジャミロクワイのトビー・スミスが所有していたスタジオで。どの曲も僕ら自身の体験に根差していて、あの時期のめまぐるしい日々が記録されている。だからこそ『Coming Up For Air(ひと息入れる)』と命名したんだよ。「Ready」は、ひと息入れたあとで「さあ、また行くぞ!」っていう曲だったしね。




―次いで、2018年発表の3rd『Politics of Living』では新しい試みを取り入れましたよね。

スティーヴ:そうだね。僕らは初めて外部のソングライターたちと共作して……自分たちはあまり望んではいなかったというか、少なくとも僕は乗り気じゃなかった。周囲の勧めでそうなったんだけど、ポップ・シーンの最先端で活躍する人たちと組んで、結果的には僕らの代表曲のひとつである「Brother」も生まれたし、いい経験にはなったよ。

ジェイソン:LAに滞在して、異なるソングライターと次々にセッションをして、お互いどんな人間なのかよく分からないままに終わってしまって、まるでお見合いパーティーみたいだった(笑)。

スティーヴ:で、みんな最終的な目標がヒット曲を作ることにある。もちろんミュージシャンなら誰でもヒットが欲しいわけだけど、音楽を作りたいという根源的な衝動は別のところにあると思うし、真摯で混じり気のない気持ちで書いたほうがよりいい曲が生まれるはず。少なくとも僕らの場合はそうだからね。




―なるほどね。そして4作目『One Day At A Time』は、パンデミックが始まって間もない2020年6月にリリースされました。

スティーヴ:あのアルバムはジェイソンがプロデュースを担当して、ダブリンにあるバンドのリハーサル・スペースで作ったんだ。

ジェイソン:うん。ツアーを終えてダブリンに戻って4人だけの世界に籠もって、敢えて月曜日から金曜日まで“出勤”して、9時から5時まで作業をしたんだよね。まるで普通の仕事をしているかのような、すごく奇妙な体験だった。

スティーヴ:僕は結構好きだったけどね。同じように勤め人みたいなスタイルで音楽作りをしているデーモン・アルバーンが、規則的なスケジュールはソングライティングに役立つという発言をしていて、一理あると思った。




―4人だけで作る原点回帰的アプローチは、前作への反動だったんでしょうか。

スティーヴ:そう思うよ。自分たちを外の世界から切り離して、主導権を取り戻すというかね。

ジェイソン:みんな人間として成長したこととも関係しているんじゃないかな。色んなことを体験しないと、自分たちにとって何が一番いいやり方なのか分からないし。

 
 
 
 

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