indigo la Endが語る、「大衆性」と「哀愁性」を備えたバンドの現在地

Photo by Mitsuru Nishimura

indigo la Endがメジャー7作目となるアルバム『哀愁演劇』を完成させた。これまで毎年のようにアルバムを発表してきた彼らにとって、前作『夜行秘密』からの2年8カ月というインターバルは過去最長。その間に配信された楽曲もすべて収録された全15曲には、バイラルヒットを記録した「名前は片想い」や、韓国のラッパー・pH-1とコラボした「ラブ feat. pH-1」などに加え、川谷絵音が原田知世に楽曲提供した「ヴァイオレット」や、FM802のキャンペーンソングとして書き下ろした「春は溶けて」のセルフカバーも含まれ、indigo la Endの持つ「大衆性」と「哀愁性」が存分に発揮されている。インディーズ時代に発表した1stアルバム『夜に魔法をかけられて』からちょうど10年。indigo la Endという稀有なバンドの物語においても重要な意味を持つであろう作品について、4人に話を聞いた。

【写真ギャラリー】indigo la End撮り下ろし(記事未掲載カット多数)


左から後鳥亮介(Ba)、佐藤栄太郎(Dr)、川谷絵音(Vo, Gt)、長田カーティス(Gt)
Photo by Mitsuru Nishimura


―「大衆演劇」をもじった『哀愁演劇』というタイトル通り、indigo la End(以下、インディゴ)の持つ大衆性と哀愁性が発揮された素晴らしいアルバムだと思いました。ご自身たちとしてはどんなアルバムになったと感じていますか?

川谷:バンドとしてこの13年ぐらいで、一番いいアルバムだなと思うんですけど、大衆性にちゃんと振り切れたかどうかと言われると疑問もあるというか、「名前は片想い」とかしか知らない人がこのアルバムを聴いてどう思うのかはちょっとわからないですね。いい塩梅が取れてるのか取れてないのかは未だにわかってない感じもあるし、毎回そうなんですけど、作り終えてからいろいろやりたいことが見えてくるっていうのもあるから、自分の中ではまだ覚醒してる感じがあるんですよ。なので、「今の方がもっといい曲作れるのにな」とか思ったりもするんですけど、でもこのアルバムはこのアルバムですごくいいバランスにはなったと思います。

―コンセプトアルバムみたいなイメージもありましたか?

川谷:アルバムタイトルを決めてから作り始めたので、わりとタイトルに引っ張られた部分も多くて、コンセプチュアルと言えばコンセプチュアルですね。

―今回タイアップ曲がないじゃないですか? それもコンセプトを重視して意図的にそうしたのかなって……それは考え過ぎ?

川谷:そんな硬派なバンドじゃないです(笑)。 ただ今回は仮想タイアップが多いんですよ。「忘れっぽいんだ」はとあるドラマ、「ヴァイオレット」は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、「プルシュカ」は『メイドインアビス』みたいに作品を想定して歌詞を書いていて、そこもタイトルの「演劇」に引っ張られた部分ではありますね。



ー『哀愁演劇』というタイトルが発表された昨年の日本武道館公演のアンコールラストに初披露されたのが「名前は片想い」で、その曲がそこからインディゴのキャリアの中でも最大級のバイラルヒットを記録したのは今振り返ると出来過ぎたストーリーのように見えますが、あのタイミングで「名前は片想い」をリリースすることを選んだのは、どの程度意識的なものだったのでしょうか?

川谷:キャッチーでいいやと思って作って、メンバー的に「これ大丈夫なのかな?」って思ってる状態なのもわかってましたけど、あのとき何となく「今出すべきだな」と思ったんです。もともと武道館の最後にやるつもりでもなかったんですけど、でもやった方がいいんじゃないかなっていう勘がたまたま……でも雰囲気でわかるじゃないですか? 今の自分たちの雰囲気と、そのときのお客さんの熱量とかも何となくわかるので、それを感じ取って、そのタイミングがたまたま上手く合ったのかなって。


Photo by Mitsuru Nishimura

―長田さんは「名前は片想い」がたくさんの人に聴かれたことをどう受け止めていますか?

長田:すごく意外だったって感じですね。個人的には、完全にアルバム曲のつもりでアレンジをしてたので。

―ギターソロのいなたいアプローチはもともとあまり乗り気じゃなかったそうですね。

長田:そういうのもあったから、「これを先行で出すんだ」と思ったし、「これ意外と聴かれるんだ」っていうのは、結構不思議な感覚ではありましたね。まあ、作ってるときはちょっと疑問もありましたけど、歌が入って、ミックスして、ちゃんと仕上がってしまえば、確かにキャッチーでわかりやすい曲だから、こういう聴かれ方をするのは必然なのかなっていうのもありましたけどね。

後鳥:(インディゴが所属している)ワーナーミュージックさんがTikTokとかでいろいろやってくれたっていうのもあるだろうし。でも武道館の最後でやるって言い出したのは確かにすごいなと思って、武道館の映像を見たらみんな「これ大丈夫なのかな?」って顔して演奏してるんですよ。「最後にこの曲で終わるのってどうなのかな?」っていう、ちょっとフワッとした感じで、今だったらもう少し佇まいとかもちゃんとできるかなと思うんですけど、そういう曲が一つのきっかけになったのはラッキーだなって感じです。


『哀愁演劇』初回生産限定盤には、2022年11月に開催された自身初となる日本武道館公演「藍」ライブ映像/音源を収録

―これまでだともっとシューゲイザーっぽいような曲で終わることが多かったけど、あの場面で新曲を、なおかつパッと聴いた感じ明るくてキャッチーな曲をやるっていうのは、本人たちとしてもやや戸惑いがあったと。栄太郎さんはどうですか?

佐藤:「これぞ」みたいな型を作っていくのも、一つのアーティストのやり方としてすごく正しいと思うんですけど、あの日「名前は片想い」をやったのは、ちょっと型を揺さぶってるとも取れるじゃないですか? それってすごく特殊で、何年もかからないとできないし、ある種の忍耐力と、それでも上手くいかせたいっていう思いのどっちもがないとできないことだと思うから、そういうちょっと型を挑発するような形でヒットになったのは、ものすごくいいことなんじゃないかなと思います。このオールディーズでビンテージなサウンド、10年ぐらい前にメトロノミーがやったようなドラムの音とか、それをエンジニアの高山徹さんも汲み取ってくれて、型が広がる楽しさもありましたね。

―大枠のリファレンスはメトロノミーだった?

佐藤:僕の中ではアバとメトロノミー。ギターソロのときのドラムの、ロールだけど2・4で、みたいなのはそこから出てきたアレンジだったかなと思います。



―バンドで共有してる曲全体のリファレンスと、個人で持ってるリファレンスとが組み合わさることによって、それぞれの曲の個性が生まれていく?

佐藤:バンド全体でこれにしましょうって持つときと、各々の読み取りのままにしておこうっていうのは、結構曲によって違うかもしれないです。「夜風とハヤブサ」とかは、しっかりみんなで1つのリファレンスを追っていこうっていうディレクションがあった状態で始めたものではあって、個人で持ってるリファレンスは、サウンドとか音作りにとどまってることも多いかもしれない。それが組み合わさるのも楽しいですけど。

川谷:「プルシュカ」のリファレンスはDA PUMPだったんですよ。あの年代の平成感というか、その基を辿れば当時のUSのR&B的なものではあるんですけど。でも出来上がったものは全然違うので、あんまり関係はないですね(笑)。



RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE