Skaaiが語る「一度死ぬ」理由、求められる役割の認識と新たな挑戦

「それでも俺は表現をしちゃうんだ」っていう、諦めに似た感情

―EPの冒頭は「PRO」という曲から始まります。ここでSkaaiさんが定義する“プロ”とは何ですか?

結構、センシティブかつオフェンシブなコンセプトなので、なかなか断定はしにくいんですけど、「PRO」は世の中のアーティストに向けてプロとしての姿勢を問うた曲ですね。探究者はプロだと思います。自分の可能性を永遠に広げていくという姿勢はプロだと思うし、外側だけ着飾って中身は全く伴っていない姿を見ると「アマチュアだな」と思う。やっぱり、常に前を見て進んでいる人はプロだなと思います。

―全体を通して、コーラスの入れ方や声の揺らぎ方、アドリブの感覚など、ディテールの細かい変化を感じました。

より遊ぼう、という感覚はあったかもしれないです。あまり完璧を求めないようにしよう、と思って。未熟な発想だとしても、それを取り入れようというイメージです。

―以前、他の取材でお話を伺った時に「書けなくなった時期があった」とおっしゃっていたのが印象的だったんです。

今年の夏くらいですかね。「完全に終わった」と思いました。もう、自分というものを出し切っちゃったんだなと。引き出しの少なさにも絶望したし、“言うことがない”という状況にも絶望しました。EPに入っている「WE’LL DIE THIS WAY」という曲は、インタールード的な短い一曲なんですけど、この曲を作った時に光って聴こえたんですよ。曲を書けない時期が3、4カ月あったんですけど、この曲のビートを聴いた瞬間に歌詞が浮かんできたんです。なので、これはタイトル曲にしなきゃ、と思いました。そもそも、EPのタイトルは最初から決めていて、そのタイトルにもしっくり来た曲でもありました。



―歌詞の中に入っている「gross」というフレーズが気になって。気持ち悪いとか、悍ましいとか、ポジティブな意味の単語ではないですよね。「この1年、Skaaiは何を見てきたんだろう?」と逆に想像力を掻き立てられました。

表現をするということは、簡単じゃないんだな、と思うんです。自分が外に発信しているものと、その対価が見合わなくてしんどいなと。特にヒップホップって、自分の意志を大事にするジャンルだし、フェイクであることが嫌われるじゃないですか。なので、物事を断定してしゃべらないといけない時もあるんですけど、そもそも、言葉を使って自分の気持ちを断定するなんて出来ないじゃないですか。言葉って揺れ動くものだし、解釈も人によって違う。そういうことを意識していると、そこにもストレスを感じるようになったんです。それが嫌で、「表現したくないな」と思うこともあるけど、そういう感情が次の創作に繋がるときに「救えねえな」と思うんです。そこの難しさとか気持ち悪さ。結局、「それでも俺は表現をしちゃうんだ」っていう、そういう諦めに似た感情もあります。


Photo by Yukitaka Amemiya

―才能がある故の葛藤なんですかね。

優れたアーティストって、社会的に求められる役割が必ずあると思うんですよ。それに応えるかどうかはアーティスト自身の判断だけど、それ自体がすごく稀有なことだなって思うんです。Skaaiにも多分、その役割があると思うんですよね。だから、その役割を自分で認識しながらそれに応えようとしていたんですよ、これまで。僕のところに届く言葉の節々にその期待を感じるから、「俺はこの期待に応えることがベストなようだ」って仮説を立てて走ってきたんですけど、それが「どうやら違いそうだな」と。なので、僕からは応えないことにしました。

ーSkaaiさんはAbemaTVで放送されていた「ラップスタア誕生」に応募して、そこでの健闘っぷりを見てファンになった方も多いと思うんです。私もそうですけど、そこからのSkaaiを知っているからこそ、一曲一曲が全て繋がっているというか、表現者・Skaaiがどのように成長しているのかをリアルなドキュメンタリー・コンテンツとして受け止めている感覚もあって。だからこそ、グッと思い入れが強くなるという側面もある。

でも、逆に僕はそのドキュメンタリーぽさをここで断ちたいんですよ。僕のキャリアって「ラップスタア」から始まってるので、Skaaiがどこから来ているのかっていうことをみんなが分かっているんですよね。実家の景色までテレビで映っているわけだし。それが、つらいと感じる時もあるんです。だから、ドキュメンタリー性だけをなくして、新しいチャレンジをしたいなと思っています。



Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE